参:プリン
丘の上の洋館には魔女が住んでいる。そんな噂がまことしやかに街にあった。
怪談の一種にちかく、小学生の幼い者や血気盛んな若者が興味本位で肝試ししようとすることがちらほらある。だが、誰もなかに入れたものはいない。閉ざされた門や塀をよじ登ろうとするものがいても、手や足を滑らせて落ちたり、眩暈に襲われ、のぼりきることが叶わない。裏手の垣根から潜ろうとしても、かえってでてきてしまう。
どんなに試してもそうなるので、次第に気味が悪くなり子どもや若者は断念してしまう。だが、なかを格子の門から覗くことはでき、館の窓に女性らしき人影が稀に目撃された。目撃者の子どもが成人してからふと立ち寄ったときにも、老いた様子はなく記憶と相違ないため魔女だ、と囁かれるようになったのだ。
若い者たちだけに限らず、年老いた老人にすら目撃証言があるものだから妙に信憑性をもってしまい、いつしか噂に尾ひれがつき、館に入れた者は魔女がひとつ願いを叶えてくれるというものに変質した。
ある晴れの日の昼下がり、十代前半とおぼしき少女がひとり、格子の門に手をかけた。
「ごめんください」
正規手法で訪問の声をかけてみる。周囲を見回すがドアベルらしきものは旧式のものですら見当たらない。もう一度声を張ってみたが、門から館までの庭は広く、仮に館に人がいるとしても届いているかは怪しい。
蔦薔薇の這う洋館は、元は華族のものだったらしいが、青空の広がる晴天でもなければ鬱蒼とした人の手の入っていない庭含め不気味に感じる。だから、少女は晴れの日中に訪れたのだ。
仕方なく、他に入れるところがないか塀づたいに歩いてゆく。いかほどたどったか、塀ではなく垣根に変わった境に、少しばかりの隙間が足元にあった。這ってゆけばくぐれなくもない。
少女は逡巡した。正装がよいだろうと学校の制服を着てきたのだ。汚したらクリーニング代がかかると親に叱られかねない。
しばし悩むも、引き返す選択肢がなかったため、少女は意を決してくぐった。垣根が厚いのか、低木などの藪もあるのか、なかなか立ち上がれるほどの空間にはでない。葉や枝ばかりの視界でまっすぐに前進できていのか不安になり始めた頃、ようやく叢から抜け出せた。
立ち上がり、ふっと息を吐きながら可能な限り土や葉を払う。おさげ髪も乱れていないか気がかりだったが、身ひとつで手鏡もなく軽く撫でつけるしかできなかった。
後ろを振り返る木々や藪の奥にくぐった垣根がみえる。前に向き直ると木々に阻まれているものの、蔓薔薇の這った館の屋根が見上げないと視界に入らない距離になっていた。
「入れ、た?」
嘘、と思わず呟く。入れるとは思わなかった。いや、入りたくはあったのだが。
どうして自分が館の敷地内に入れたのか不思議に感じながらも、館の建つ方へと歩を進める。手入れのされていない庭は、噴水も枯れていた。溜まっているのは雨水だろう。人が住んでいるとは到底思えない。
からん、と軽やかな音がした。
魅かれて視線を音がした方へ向けると、石畳のうえにテーブルと椅子が二脚向かい合わせに置かれていた。うち片方の席はすでに埋まっており、着流し姿の妙齢の女性が足を組んでティーカップを傾けている。さきほどの音は、彼女が足を組みかえた際に高下駄が石畳をうった音だろう。
大輪の華の羽織を肩にかけ、染められていない髪は流れるがまま。洋館を背景にみる和装の彼女はちぐはぐなはずだが、妙に堂に入っている。
ごく自然に少女と目を合わせ、彼女は手招きをした。少女は素直に従い、向かいの席に着く。漂う香りで彼女が飲んでいるのが紅茶だとわかる。紅茶で満たされたティーカップが少女の前にも置かれた。
「ミルクかレモンはいりますか?」
問われ、少女は肩を跳ねさせる。ティーカップを置いた手の手首、腕、肩とたどってゆき、視線は黒縁のメガネをかけた少年の顔についた。年頃が近そうだ。しかし、いつからそこに。足音などなかった。
「じゃあ、ミルクを」
答えると、ミルク入れと角砂糖の入った蓋つきの小壺を添え置いてくれた。そのあと、少年は妙齢の女性の脇へと控える。
少年の行き先をおったゆえに、女性とまた目が合い、促すように微笑まれる。角砂糖ひとつとミルクを注ぎ、ティースプーンで音をたてないようにまぜてから、口にする。淹れられたばかりなのだろう。ミルクを足しても香り高かった。
「おいしいです」
「それはよかった」
少女の感想に、女性の方が嬉しげに目を細める。
「魔女さん、ですか?」
目の前の彼女が噂にきく願いを叶える魔女なのか。女性なのに着流し姿という奇抜さはあるが、自分と変わりない人にみえる。むしろ、広く厚いレンズで顔がわかりづらい青銀の髪の少年の方が、人間離れした雰囲気をもっていた。
「そう呼ばれることもあるね。さて、お嬢さんの願いは何かな」
目的を言い当てられ、噂は本当なのだと少女は確信する。膝のうえでかたく拳を作り、願いを口にのせた。
「倒してほしいのがいるんです」
「なかなかに物騒だね」
うら若き女学生の願いが可愛らしいものではなく、魔女は意外さに足を組み替える。ころり、と高下駄が鳴った。
「アレは、普通の人じゃ倒せなさそうで。でも、たぶんわたしが次、で」
拳を作って抑えていたが、抑えきれずかたかたと少女は震えだす。魔女の双眸は、湖のように凪いでいて、目が合うと少女はわずかに落ち着きを取り戻した。
「わたしの通っている学校の七不思議に『抜き階段』というのがあって、最近、その被害が増えているんです」
「その怪談の主を倒してほしいと」
少女は肯いた。抜き階段は、その名の通り段が抜ける、なくなるのだ。生徒が階段を昇降していると、踏むはずだった段が消え失せる。そして、踏み外したと同様の状態となり体勢を崩すので、転倒し高さによっては大怪我にもなり得る。今のところ低い段で済んでいるが、少女は友人の踏むはずだった段が消える瞬間を目撃したのだ。そして、友人を支えると同時に目が合った。たくさんの眼玉と。
「口とかなかったけど、いっぱいの目がわたしを見て笑ったんです」
大小異なる複数の目玉が抜けた段から覗く闇にいた。そして、獲物をみつけたように、確かに笑った。
「お嬢さんは視えるだね」
少女はまた肯く。人ならざるものを認識することは幼い頃からなので彼女にとって当たり前のことだった。猫のように何もないところを凝視するクセがあるだけと、周囲には思われている。区別だけして自身から関わらなければ、みつけても害はなかった。だが、抜き階段の主だけは違う。身体を這う怖気は、被捕食者だとわかっているからだ。
「わた、わたしだけ逃げても、また友達とかが狙われたらと思うと絶対倒さなきゃって。お金がいるなら貯金ぜんぶ引き出してきます」
「いいよいいよ。貯金は大事にお嬢さん自身のために使うといい。……ああ、だが、せっかくだからひとつ教えてほしいことがある」
怯えながらも勇ましい発言をする少女に、可笑しげな魔女は条件を申し出た。
「お嬢さんが一番美味しいと思うプリンの店を教えてくれないか」
「プ、プリン?」
「できれば、生がつくようなババロアやクリームのようなものではなく、焼きがつくような固さのもので」
どんな条件を提示されるのかと固唾をのんでいた少女は、きき間違いかと疑った。だが、詳細な指定をされ誤りではなかったと判明し、拍子抜けする。
「それなら、おばあちゃんに連れて行ってもらった喫茶店のが……」
いかにも純喫茶という店構えで、祖母につれられてでなければ自身で入ることもなかった店だ。メニューはシンプルでファミレスよりバリエーションが少なく、どれもファミレスにもあるものだった。はじめてのときは幼すぎて見栄えに物足りなさを感じ残念だったが、一口食べたら違った。以降、祖母が時折つれていってくれるのを楽しみにするほどになった。
ささいな情報提供が報酬になるのかと首を傾げつつも、店の名前や場所を教える。すると、魔女は礼をいい、脇の少年はしかとメモを控えていた。
自身におよばない問題の解決を乞うには、取るに足らない報酬だ。だが、少女から情報を得て、魔女から、このあと早速退治に向かおうと、案内を頼まれた。手の入っていない荒れ果てた庭のなかでのティータイムを堪能してからとは、なんとも悠長に感じるが、日中のうちに向かってくれるのはとても早い対応にも思える。
夜など頃合いを見計らわなくてよいのか、少女は在籍校へ案内の道すがら訊ねると、魔女はそれだと少女の門限に間に合わないだろうと返された。門限がなくとも未成年を夜間につれだすようなことはしないという彼女の主張に、まっとうな大人すぎて困惑した。魔女という非常識な存在に非現実的な依頼をしているのではないのか。
少女の通う中学校に着くが、門は閉ざされていた。現在は登下校など必要なときにしか門は開かない。魔女が門の脇にあるチャイムを鳴らすと、守衛がのそりと現れた。
「どうされましたか」
「ごきげんよう。彼が通うことになる学び舎を事前に見学したいというのでね。親戚の彼女に付き添いを頼んだんだが、少し入れてくれないだろうか」
さらりと嘘を吐く魔女に、少女は呆気にとられる。
守衛は、それぞれを一瞥する。少女は制服を身に着けているので在校生なのは確かだろう。だが、少年と女性は風変りな格好をしている。黒縁メガネで表情がわかりづらい少年は、首回りが狭い立ち襟のシャツと膝下五センチほどのズボンに革靴といささか古風だ。女性にいたっては、着流し姿に高下駄と個性が尖っている。ファッションが多様化している時世とはいえ、妙な組み合わせで不審がぬぐい切れない。
「通行証をお渡ししますので、こちらに氏名と住所を記入いただけますか」
身分証の提示までは求めないが、部外者を入れる以上、出入の記録がいる。守衛は形式的対応をすることにした。バインダーに記入用紙を挟み、ボールペンとともに門の間から手渡す。その手を少年がそっと包んだ。
「僕、知らないところに通うのが不安で……、すぐ帰るんで入れてもらえませんか」
臆病そうな少年に懇願され、守衛は彼の双眸をレンズ越しにみた。震える声に潜むものが耳朶から侵蝕し、思考が溶かされる。守衛の手により、門は開けられた。
少年が話しかけただけで、簡単に三人とも通され少女は困惑する。隣で魔女が可笑しさに肩を震わせているから余計だ。
「え。あの」
「最初から少年に任せた方が早かったな」
「慶さん、笑いすぎです」
「慶さん?」
「名乗り遅れていたね。私は八百櫻 慶だ」
「芥 青月です」
状況説明を求めようとしていたが、呼称があることに少女は気を引かれてしまった。魔女とその使いの少年にも氏名があるのか。記名せずにやりすごしたところだったので、少女にはそれが意外だった。
「少年を前にすると性別を拘る者などいないな」
「僕が節操ないような言いぶりはやめてください」
「お嬢さん、怪異のことが片付いたら、学生らしく青春を謳歌するといい。それとも、すでに春に焦がれているところかな」
「えっと、恋とかはまだ……」
唐突に話題を振られ、虚を突かれつつも少女は正直に答えた。
「なら、少年はどうだ? 彼は男女の……、いや時代錯誤だな、恋愛のABCは想いを通わせた人だけと誓っている純情少年だ」
どうやら節操がないような言い方をしてしまった彼女なりのフォローのようだ。ただ、勝手に明かされた青月の方はよい表情をしていない。
「素敵ですね」
彼の内心を汲み取り、少女は慶のフォローを成立させることにした。彼女自身、恋に少なからず憧れはあるので、想い想われる相手と結ばれたいというのは共感する。二心はない方がいい。
ふと、少女は、自分も名乗り忘れていたことに気付き、今さらな自己紹介を試みようとした。が、そのために開いた口から声は発せられなかった。
「……っ!?」
階段が消えていた。誰も昇降していないのに。抜き階段を視界に映し、すでに段が消えている事態に戦慄した。こんなことはじめてだ。どうして、と疑問が恐怖へと変わる。
声を失くし、足も止めた少女に、二人はその視線をたどり段が消えた箇所にある闇をみた。ぞろりと大小の異なる目玉が開く。数多の目玉のいくつかが、うっそりと目を細めた。笑んだのだろう。
数多の目玉が闇ごと抜きでて、このなかで一番上背のある慶ですら見上げるほどの大きさになった。
階段から動けると思わなかった少女は、声のない悲鳴をあげ、気を失った。自身が獲物と自覚があるだけに、本能の恐怖に耐えられなかったのだろう。倒れかけた少女を慶は支え、怪談の主と対峙する。
「やぁ、そんなに身を乗り出すほど美味しそうかねぇ」
目玉の視線がすべて少女ではなく自身に向いている。元の獲物を忘れるほどとは恐れ入る。
感心の言葉を投げかける慶の前に、青月の背が割り込む。それにより、数多の目玉と目が合うのは彼へ変わった。
「あげませんよ」
メガネをはずし、青月は笑む。
「彼女は僕の非常食です」
次の言葉をいい終える頃には、数多の目玉をもつ怪異は闇ごと崩れ消えていた。階段はすべての段がしかとある。
一瞬で終わった事象に慶は驚きはしない。同様に微塵も自身の所業に興味のない青月は、くるりと彼女へ振り返った。
「慶さん、いい格好しようと餌になるのやめてくださいよ」
「銀流しの魔女らしいだろう。しかし、やはり人だとすぐだな」
怪異の正体は、人間だったものだ。階段で怪我をした者の怨念や、死んだ者の霊が、仲間を引き入れようとして、ずくずくと凝り怪談の主へと化した。溺死した霊の成れの果ての舟幽霊に近いものだ。
そうした人間からなったものに対して青月は有効な存在だった。
「少年に強制発情させられれば、どんな怪異も形無しだな」
「なんで、そんなはしたない言い方しかできないんですか、慶さん」
残念なものをみる目を向けられ、慶は肩を竦める。
「言葉遣いひとつにも恥じらうなんて、実に淫魔らしからぬ少年だな」
慎みを求める彼の方が理性の箍をはずすための存在だというのに。青月は人間から精気を奪う淫魔だ。そして、魅了が異様に強い。怨霊や怪異の類いは、根幹となる怨念や未練を有するが、彼に魅了されてしまうと欲情だけになりそれらが吹き飛び存在を保てなくなる。生物の三大欲求のひとつであるので、生者ではない存在に生の欲は毒でしかない。人間の霊や怨念から変じた怪異ならなおさら強力な毒となる。
「まぁ、君の微笑みの爆弾で楽をさせてもらっている身だ。善処しよう」
「善処してそれですか」
隠喩が小馬鹿にされているように感じるのは、青月の気のせいだろうか。彼女の気遣いに期待できる訳がなかった。
「大体、物事には段階というものがあるんです。いきなり薦められても困ります。ちゃんと互いを知り合ったうえでですね」
「はいはい。それよりも、お嬢さんを送り届けてプリンを食べにいこう。純情少年」
「青月です。慶さんが付けた名前でしょう」
「おや、そうだったかな」
昔過ぎて忘れたと、からころりと高下駄の音に重ねて慶は笑う。少女を運ぼうと試みているが、よたついていた。彼女は青月より、筋力においても非力だ。意識のない人間は彼女には重すぎる。
説教を飲み込むかわりに嘆息ひとつ零し、青月は少女を背負った。
「噓つき」
忘れないためにつけた名だ。それを頑なに呼ばない彼女に心底呆れる。
「何かいったか? 少年」
小首を傾げる慶に、何も、と返し、彼女が楽しみにしているプリンを扱う純喫茶へ向かう。道すがらに少女の家もあるので、届けてからでよい。怪しまれても自身の魅了でどうとでも誤魔化せる。
余程楽しみなのだろう。往きより、高下駄がからんころんと軽やかな音をたてる。本当に仕方のない女性だ。
少女に紹介された純喫茶のプリンは、彼女の期待に適ったほどよい固さで卵の味の、ほろ苦いカラメルソースが実に絶妙な塩梅だった。





