EP 9
限界村長キャルルと、事務員無双
「リカちゃん、おはよう……ゲホッ、ゴホッ!」
ポポロ村役場の村長室に出勤した私を出迎えたのは、盛大な咳き込み音と、ハンカチを押さえてふらつくウサギ耳の美少女だった。
「ちょ、村長!? また吐血してるじゃないですか!」
「だ、大丈夫だよぉ……。さっきまで、ギックリ腰のお爺ちゃんとか、風邪を引いた子供たちを治療してただけだから……ちょっと魔力と体力を使いすぎちゃって……えへへ」
力なく笑うキャルル村長の足元はフラフラで、今にも倒れそうだった。
月兎族であるキャルル村長は、月光の力を借りた強力な治癒能力を持っている。だが、その力は無尽蔵ではない。自身の体力を代償にして、他者の傷や病気を治しているのだ。
それなのに彼女は、村人から頼まれると断れず、無償で、自分が吐血するまで治癒を続けてしまう。自己犠牲の塊のような人なのだ。
「えへへ、じゃないですよ! 限界超えてるじゃないですか! 早く横になって!」
「でも、今日中に終わらせないといけない書類が……っ。隣町との交易関税の計算と、農家さんへの補助金申請の期限が今日の夕方で……これをやらないと、村の予算が……ゴホッ!」
「喋らないで! 書類なんて私がなんとかしますから、とにかく寝てください!」
私は強引にキャルル村長を抱え上げ、部屋の隅にある応接用のソファーに寝かせた。毛布をかけると、彼女は抵抗する気力もなく、気絶するようにスゥスゥと寝息を立て始めた。
「……まったく、無茶しすぎですよ」
彼女の寝顔を見下ろしながら、私は小さくため息をつく。
前世の社畜時代、私も同じように「自分がやらなきゃ会社が回らない」と思い込み、熱があっても会社に行って、結果的に過労で倒れたことがあった。
だからこそ、目の前でボロボロになっている彼女を放っておくことは絶対にできない。
私は袖をまくり上げ、キャルル村長のデスクに向き直った。
机の上には、前村長の残した負の遺産と、日々の業務が入り混じった羊皮紙の山が、エベレストのようにそびえ立っている。
手書きの乱雑な文字。単位の揃っていない数字。フォーマットの違う申請書。
普通の人間なら見ただけで発狂しそうなカオスな状態だ。
「よし……やってやろうじゃないの」
総務課で鍛え上げられた私の『事務員魂』に火がついた。
私はまず、机の上の書類をすべて床に広げた。
脳内でエクセルのシートを展開する。
『日付』『申請者』『用途』『金額』の項目を頭の中で設定し、アナログな紙の束を、ソート(並び替え)とフィルタリング(条件抽出)の要領で猛スピードで分類していく。
「これは税収関係! こっちは補助金! これはただの回覧板だから後回し!」
バサバサバサッ! と紙を分ける音が室内に響く。
分類が終わると、次は計算だ。
私は首から下げた『エンジェルすまーとふぉん』を手にとった。残高千円でも、標準インストールの電卓アプリは無料で使い放題だ。
片手でスマホの電卓を神速で叩きながら、もう片方の手で羽ペンを握り、書類の余白に正確な数字を書き込んでいく。
「関税率八パーセント、特例控除を適用して……よし、こっちの計算終わり! 次、補助金の割り当て! 規定の予算枠内に収めるために、各農家の作地面積で按分して……」
私のタイピングとペンさばきは、限界突破していた。
異世界に来てまで何でこんなデスクワークをしているんだろう、という疑問はとうの昔に消え去り、ただ純粋な『仕事を終わらせる快感』に脳内麻薬がドバドバと分泌されているのを感じる。
――ガチャ。
「よぉ、キャルル。今日の分の予算の相談に……なんやこれ」
不意に村長室のドアが開き、煙管をくわえた猫耳の青年――ゴルドスマイル銀行のポポロ村支店長、ニャングルが入ってきた。
彼は、床一面に広げられた書類の海と、その中央で目にも留まらぬ速さで腕を動かしている私を見て、煙管を口からポロリと落とした。
「ニャングルさん! ちょうどよかったです! この税収記録、第三四半期の数字が合いませんよね? 前村長の時代の使途不明金が約百万G隠蔽されていた痕跡を見つけました。とりあえず仮払金として処理して、別の帳簿に切り離しておきましたから、あとで銀行の方でも確認をお願いします!」
「は……? ちょ、ちょっと待て。前村長の隠し帳簿、見つけたんか? たった一時間で?」
ニャングルは慌てて落ちた煙管を拾い上げ、私が差し出した書類に目を通した。
そして、懐から純金製の算盤を取り出し、パチパチパチッ! と凄まじい速さで弾き始めた。
「……間違いない。こことここの数字をいじって、裏金作っとったんや。ワテも薄々勘付いとったけど、証拠が散らばりすぎてて手ぇ出せへんかったのに……」
「フォーマットを統一して数字を並べ替えれば、不自然な箇所は一目でわかりますから」
「リカさん、あんた……バケモンやな」
ニャングルは、呆れを通り越して敬意すら込めた目で私を見た。
金にがめつく、数字に厳しい商人の彼から見ても、私の事務処理能力は異質だったらしい。
「よし、ワテも手伝うで! 金の計算ならワテの算盤が一番や! 嬢ちゃんは分類と最終チェックに専念しいや!」
「助かります! じゃあ、そっちの山からお願いします!」
ニャングルという強力な『財務のプロ』が加わったことで、作業スピードはさらに倍増した。
私の電卓アプリと、ニャングルの算盤。
異世界の村長室に、電子音と珠を弾く音が、まるでセッションのように心地よく響き渡る。
◆
窓の外がオレンジ色の夕焼けに染まる頃。
「……んん……、はっ!?」
ソファーで眠っていたキャルル村長が、バッと跳ね起きた。
「し、しまった! 私、寝てしまって……! 今日の夕方までの申請書がぁぁ!」
ウサギ耳をピンと立て、顔面蒼白でパニックになるキャルル村長。
だが、彼女が振り返って見た自身のデスクの上は――。
「え……?」
カオスだった紙の山は跡形もなく消え去っていた。
代わりに、内容ごとに色分けされたバインダーが美しく並べられ、一番手前には『決裁待ち・お急ぎ』と書かれた付箋が貼られた書類が、整然と置かれている。
「おはようございます、村長。体調はどうですか?」
「リ、リカちゃん……これ、全部……?」
「はい。隣町との交易関税の書類も、農家さんへの補助金申請も、すべて計算と確認が終わっています。あとは、一番上の書類の内容を確認して、ここに村長のサインをもらうだけです」
私がにっこりと笑って羽ペンを差し出すと、キャルル村長は震える手でそれを受け取った。
「う、嘘でしょ……三日徹夜しても終わる気がしなかったのに……」
「言ったじゃないですか。私は元社畜の事務員ですよ、って。これくらい、お茶の子さいさいです。……それに、村長にはちゃんと休んでほしかったので」
「リカちゃぁぁぁん……っ! 神様! 女神様ぁぁぁ!」
キャルル村長は、ボロボロと大粒の涙をこぼしながら、私に抱きついてきた。
私をこの世界に落としたクソ女神と一緒にされるのは心外だが、彼女の温かい体温と、健康そうな顔色を取り戻したのを見て、私もホッと胸を撫で下ろした。
「ほらほら、泣かないでサインしてください。定時を過ぎちゃいますよ」
「はいっ! すぐやりますぅ!」
鼻をすすりながら書類にサインをしていくキャルル村長。
その光景を、壁にもたれかかって見ていたニャングルが、プカァと煙管の煙を吐き出しながら、ニヤリと口角を上げた。
「ホンマ、ええ事務官が入ったわ。これなら、ポポロ村の財政もすぐに黒字化できるで」
「ふふっ、期待しててください。借金を返すためにも、バリバリ働きますからね!」
綺麗に片付いた机を見て、私は充実感に満たされていた。
誰にも認められなかった前世の苦労が、この異世界で、誰かを救う力になっている。
私の真の『お仕事無双』は、ここから始まるのだった。
――そして、定時を少し過ぎた帰り道。
すっかりお腹を空かせた私は、「今日はダインさんのところで何を食べようかな」と、足取りも軽く『ポポロ亭』へと向かっていた。
この充実感の後に食べるダインさんの料理は、きっと格別に美味しいはずだ。
読んでいただきありがとうございます。
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