EP 7
極貧地下アイドルの強欲な夢
「ただいまー……」
すっかり日が落ちたポポロ・コーポB302号室。
重い鉄のドアを開けると、そこには床に胡座をかき、ボロ布で一心不乱に銅貨を磨き上げている赤ジャージの少女の姿があった。
「あ、リカ様! お帰りなさいませ! お仕事お疲れ様でしたの!」
「……ただいま。リーザ、その硬貨の山は何?」
「ふふふ。今日、広場の大噴水の中に落ちていたお金を潜って回収してきましたの。人魚の素潜りスキルが大活躍ですわ!」
「それ、誰かが願い事をして投げ入れたトレビの泉的なお金じゃないの!? 窃盗で自警団のマンミアさんに捕まるよ!?」
「大丈夫ですわ! ちゃんと噴水の底の泥を掃除する名目で回収しましたから、これは正当な清掃報酬ですの!」
相変わらず逞しすぎる。というか、一歩間違えば犯罪である。
私は呆れながらも、鞄を置いて小さなキッチンへと向かった。
今日はダインさんのポポロ亭に寄る時間がなかったので、自炊だ。といっても、買っておいた米麦草と塩でシンプルなおにぎりを握り、お湯を沸かして陽薬草茶を淹れるだけだが。
「はい、今日の夜ご飯。塩おにぎりだけでごめんね」
「とんでもありませんわ! リカ様のおにぎりは、お米が一粒一粒立っていて最高に美味しいですの! いただきます!」
リーザは目を輝かせ、私の握った塩おにぎりを両手で大事そうに持ち、幸せそうに頬張った。
その姿を見ていると、一日の疲れが少しだけ和らぐ気がする。
「……ねえ、リーザ」
「もふっ?」
「前から聞こうと思ってたんだけど。リーザって、シーラン国の親善大使……つまり、お姫様なんでしょ? なんでこんな極貧生活をしてまで、アイドルなんてやってるの?」
私が温かい陽薬草茶をすすりながら尋ねると、リーザはごくりとおにぎりを飲み込み、少しだけ真面目な顔になった。
「私のお母様……女王リヴァイアサンは、私がルナミス帝国で大成功したトップアイドルだと信じ込んでいますの。定期的に手紙で『毎日大勢の人が私の前に集まって、涙を流してくれます』って報告してますから」
「それ、タローソンの廃棄弁当を巡って野良犬と争ってる時のギャラリーじゃなくて?」
「し、細かいことはいいんですの! 結果的に注目を集めているのは事実ですわ!」
リーザはコホンと咳払いをして、居住まいを正した。
「私がアイドルになりたい理由は……歌が好きだから、というのもありますが、それだけではありませんの」
リーザの透き通るような碧眼が、真っ直ぐに私を見つめた。
普段のポンコツな彼女からは想像もつかないほど、その瞳には熱い、ある種の『狂気』にも似た炎が揺らめいていた。
「私がみかん箱の上で歌うと、立ち止まってくれる人たちがいます。彼らはみんな、仕事や生活で辛いこと、考えなきゃいけないこと、理不尽な借金……いろんな悩みを抱えて、下を向いて歩いていますの」
「……うん」
「でも、私が歌っているその瞬間だけは、みーんな全部忘れて、私だけを見てくれるんです。悩みが消えて、顔を上げて、笑顔になってくれる」
リーザは自分の胸に手を当て、力強く言った。
「私が歌うと、ファンたちの『時間』を奪うことができるんですの」
「……時間を奪う?」
「そうです。だから、私は……ファンたちの『世界』そのものになりたいんですの。彼らの視線も、お金も、心も、悩みも、何もかもを全部奪い尽くして……その代わり、彼らの人生に『宇宙一の幸せな時間』を味わわせてあげるんです」
――全部奪い尽くして、幸せにする。
その言葉の響きは、あまりにも強欲で、傲慢で、けれど……どこまでも純粋な愛に満ちていた。
「私は運命、私は物語になりたいんですの。ファンたちの時間もお金も私のもの! だから、すべてを私に捧げなさい! 『Love & Money』! これが私の目指すアイドル像ですわ!」
ビシッとポーズを決めるリーザ。
普通なら「何をバカな」と笑い飛ばすところだろう。
でも、私は笑えなかった。
社畜だった前世。私はただ毎日をやり過ごすだけで精一杯で、「誰かを幸せにしたい」とか「世界中を巻き込みたい」なんていう眩しい夢を持ったことすらなかった。
自分の人生すら他人にコントロールされ、過労で擦り切れ、最後は悪徳女神に騙されて借金百万を背負わされた。
そんな私から見れば、パンの耳を齧り、ジャージ姿で泥水のような極貧生活を送りながらも、真っ直ぐに『宇宙一の幸せ』を豪語するこの少女が、信じられないほど眩しく、羨ましかったのだ。
(……ダインさんのご飯も、リーザの歌も、ベクトルは違うけど『誰かを幸せにする力』なんだな)
私には、そんな力はない。
エクセルで表計算をして、書類を整頓することしかできない。残高千円の魔法のスマホでは、世界は救えない。
でも、誰かの夢を支える『事務方』になることならできる。
「……そっか。すごく強欲で、すごく素敵な夢だね」
「リカ様……?」
「私には、そんなに眩しい夢なんてない。だからせめて、リーザが宇宙一のトップアイドルになれるように、私が全力でプロデュースしてあげる。スポンサー兼、マネージャーとしてね」
私がそう言って笑うと、リーザの碧眼からポロポロと大粒の涙がこぼれ落ちた。
「り、りかぢゃま……っ!」
「ちょっ、泣きながら抱きつかないで! ご飯粒が服につく!」
「うわぁぁぁん! 一生ついていきますわぁぁ! まずは明日の路上ライブで、一曲歌わせていただきますのぉぉ!」
「はいはい、わかったから。とりあえずその五円玉もどきを全部綺麗に洗うところから始めようね」
泣きじゃくるリーザの背中をポンポンと叩きながら、私はテーブルの上に置かれた『エンジェルすまーとふぉん』に視線を落とした。
画面には相変わらず、憎き借金の額と残高千円の表示が光っている。
女神ルチアナは、私にこの負債を押し付けて笑っているのだろう。
だが、私にはもう、この借金に怯えるだけの心細さはない。
(見てなさいよ、クソ女神。私はこの村で絶対に生き抜いてみせる。借金も返して、この強欲なアイドルの夢も叶えて、ついでに美味しいご飯も満喫してやるんだから)
彼女の純粋すぎる強欲さに背中を押され、私は残高千円のスマホを強く、強く握りしめた。
明日も定時退社に向けて、全力でエクセルを回してやる。
そんな決意を秘めた夜だった。
読んでいただきありがとうございます。
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