EP 4
不法侵入アイドルと浴室の椎茸
――ピチャ……、ピチャッ……。
静寂に包まれた深夜のアパート。水滴の落ちる音が、やけに鮮明に耳に響いた。
私はドアノブを握る手にぐっと力を込め、勢いよくお風呂場の扉を開け放った。
「誰っ!? 警察……じゃなくて、自警団呼びますよ!」
構えた私の目に飛び込んできたのは、予想外すぎる光景だった。
薄暗い浴室の床に、赤い芋ジャージを着た人物がしゃがみ込んでいる。そして、その目の前には、なぜか丸太のような太い木が数本ゴロゴロと転がっていた。
「……えっ?」
「あ、スポンサー様! お帰りなさいませ!」
振り返ったのは、野盗から共に助けられたあの金髪碧眼の美少女――極貧地下アイドルの、リーザだった。
彼女は片手に霧吹きのような魔導具を持ち、足元の丸太にシュッシュッと水を吹きかけている。丸太の表面には、肉厚なキノコがいくつもニョキニョキと生え揃っていた。
「リーザちゃん!? なんで私の部屋のお風呂場にいるの!? ていうか、その丸太は何!?」
「これは『肉椎茸』の原木ですの! お風呂場は適度な湿気と温度が保たれるので、キノコ栽培には最適な環境なんです! あと二日もすれば、立派なステーキサイズの肉椎茸が収穫できますわ!」
きらっきらの笑顔で言い放つリーザ。
ツッコミどころが大渋滞を起こしている。
「いや、キノコ栽培の環境とか聞いてない! ここ、私の部屋なんだけど! 玄関の鍵、ちゃんと閉めてたよね!?」
「はい! 閉まってました!」
「じゃあどうやって入ったのよ!」
「簡単ですわ。先ほどリカ様がキャルル村長の部屋で面接をしている間に、こっそりポケットから鍵を拝借して、役場の備品の石鹸に押し付けて型を取りましたの。あとは、その辺に落ちていた釘と削りカスを使って、チャチャッと合鍵を錬成しました!」
「犯罪者のスキルじゃん!!」
どんなサバイバル能力だ。石鹸と釘で合鍵を作るなんて、映画の中のスパイか凄腕の空き巣しかやらない手口である。
聞けば、彼女はポポロ村のあちこちを転々としながら野宿やタダ飯生活を送っており、「空き部屋を不法占拠する技術」にかけては右に出る者がいないらしい。腐っても一国の王女(親善大使)のはずなのだが、王家の威厳はどこに置いてきたのだろうか。
「そもそも、どうして私の部屋に……」
「リカ様は、私の命の恩人であり、記念すべき第一号の『スポンサー様』ですもの! スポンサー様の家に住み込みで尽くすのは、アイドルの基本ですわ!」
「そんなアイドル聞いたことないよ!」
頭を抱える私をよそに、リーザは「あぁ〜、やっぱりお風呂場は落ち着きますわ〜」と、水気を張ったバスタブの縁に腰掛け、ジャージの裾をまくって足を浸し始めた。
人魚族である彼女にとって、水場は本能的に安心する場所なのだろう。
その時だった。
「きゅるるるるるぅぅぅ……」
浴室の中に、雷鳴のような凄まじい腹の虫の音が響き渡った。
リーザはハッとしてお腹を押さえ、顔を真っ赤にしてうつむいた。
「……ごめんなさい。実は、さっき肉まんを半分いただいたんですけど、私の基礎代謝はアイドルの激しいダンスを想定しているので、あれだけでは全然足りなくて……」
「三日間パンの耳しか食べてないって言ってたもんね……」
「昨日は公園で食べられる雑草を探したんですけど、タローソンの廃棄弁当を巡って野良犬と縄張り争いになりまして。鼻の穴に五円玉を詰めて射出する技で牽制したんですけど、あえなく敗退しましたの……」
悲惨すぎる。全米が泣くレベルの極貧エピソードだ。
彼女の細い肩が震えているのを見ると、元社畜で面倒見の良さだけが取り柄の私としては、これ以上突き放すことはできなかった。
「……はぁ。わかった、わかったから。とりあえずお風呂場から出て。何か食べるもの、作ってあげるから」
「えっ!? ほ、本当ですか!?」
「その代わり、不法侵入は今日で最後にしてよ。ちゃんとルールは守ること。いいね?」
「はいっ! リカ様、一生ついていきますわぁぁ!」
感極まったリーザが濡れた足で抱きついてこようとするのを片手で制し、私は部屋の小さな備え付けキッチンへと向かった。
さて、何を作ろうか。
幸い、先ほどダインさんが「就職祝いです。明日からの朝ごはんにでもしてください」と、いくつか食材を持たせてくれていたのだ。
異世界の穀物である『米麦草(パンにも米にもなる万能主食らしい)』と、卵、そしてポポロ村特産の『醤油草』という調味料だ。それに、リーザが持ち込んだ原木から小さな『肉椎茸』を一つ拝借する。
前世では深夜残業ばかりで自炊の余裕などなかったが、簡単なものなら作れる。
米麦草を魔導コンロで炊き上げ、ホカホカのご飯にする。肉椎茸は薄切りにして、少量の油でサッと炒めた。火を通すことで、まるで本物のお肉のような濃厚な脂とキノコの芳醇な香りが一気に立ち上る。
どんぶりに炊きたての米麦草を盛り、炒めた肉椎茸を乗せ、中央にくぼみを作って新鮮な生卵を落とす。最後に、醤油草を絞って出た濃厚なタレを回しかけた。
「はい、お待たせ。肉椎茸の特製卵かけご飯よ」
テーブルに置かれたどんぶりを見た瞬間、リーザの瞳が星のように輝いた。
「おおおおぉぉぉ……! 光り輝いています! まるで黄金のステージですわ!」
リーザは箸を受け取ると、「いただきます!」と叫んで、一気にかき込み始めた。
トロトロの卵と、肉椎茸の旨味、そして醤油草の香ばしい風味が口の中で爆発したらしい。
「んん〜〜〜っ! 美味しい! 美味しすぎますのぉぉ!」
「ゆっくり食べなよ、喉に詰まらせるよ」
「はふっ、もぐもぐ……私、こんなに美味しいご飯を食べたの、久しぶりです……。毎日パンの耳と、たまにお肉だと思ったら『たまんネギ(賢者モード)』のヘタだったりして……」
涙をボロボロとこぼしながら、どんぶりに顔を突っ込むようにして食べるリーザ。
その見事な食べっぷりを見ていると、なんだかこちらまで温かい気持ちになってくる。
前世では、誰かに手料理を振る舞う相手すらいなかった。孤独なワンルームで、冷めたコンビニ弁当を流し込むだけの日々。
それが今は、こんなぶっ飛んだ美少女が、私の作った適当なご飯を全力で喜んでくれている。
「リカ様は、本当に優しいですのね……」
どんぶりを綺麗に空っぽにしたリーザが、ふうっと満足げな息を吐いて私を見た。
「あのダインって男も料理が上手そうでしたけど、私にとっては、リカ様のご飯が宇宙で一番のご馳走ですわ!」
「大袈裟だなぁ。卵かけご飯に乗せただけだよ」
「いいえ! リカ様は私を野盗から助けてくれて、お仕事も決めて、ご飯まで作ってくれました! 貴女は間違いなく、私の運命の『主人公様』ですわ!」
主人公様。
そんな大層な響きに、私は思わず苦笑した。
私はただの元社畜で、残高千円のスマホと百万の借金を抱えた、しがない役場職員だ。チートで世界を救う主人公になんて、なれるはずがない。
でも。
「……まぁ、主人公にはなれなくても、あんたのプロデューサー兼スポンサーくらいにはなってあげるわよ。これから定時退社して、バリバリ稼ぐ予定だからね」
「本当ですか!? やったぁぁ!」
「だから、キノコ風呂はおしまい。明日からはちゃんと役場にアーティスト支援給付金の申請書を出しに来なさい。私が書き方を教えてあげるから」
「はいっ! リカ様、大好きですわぁぁぁ!」
リーザは勢いよく立ち上がると、私にぎゅっと抱きついてきた。
シャンプーの代わりに石鹸で洗ったらしい、ほんのりとした花の香りがする。
「ちょっと、苦しいってば……」
「主人公様ぁぁ! 私、絶対にトップアイドルになって、リカ様を養ってみせますからねぇぇ!」
泣きながらすり寄ってくるリーザの頭を、私は仕方なく優しく撫でた。
借金百万、ブラック女神の陰謀、隣の部屋からの馬の足音、そして不法侵入してきた極貧アイドル。
ツッコミどころ満載の異世界生活だが、なんだかんだ言って、このハチャメチャな非日常が少しだけ楽しいと思い始めている自分がいた。
(……うん。このぶっ飛んだ村で、なんとか生きていこう)
借金完済と定時退社への道のりは遠いが、とりあえず今夜は、この温かい騒がしさに身を委ねて眠るとしよう。
私はリーザの頭を撫でながら、異世界で初めての夜を、静かな決意と共に受け入れるのだった。
読んでいただきありがとうございます。
面白いと思っていただけましたら、★評価やブックマークで応援していただけると励みになります。




