EP 4
村長宅の掛け軸と、新聞紙を構えない理由
ポポロ村役場での業務を定時きっかりに終えた私は、秋の涼しい風を感じながら村のメインストリートを歩いていた。
本日の残業時間はゼロ。完全なる定時退社である。ダインさんが夕飯に何を作って待ってくれているのか、足取りも自然と軽くなるというものだ。
ただ、その前に一つだけ用事があった。午後の外回りで作成した農業ギルドへの提出書類の控えを、キャルル村長に渡しておかなければならない。
私は、メインストリートから少し外れたところにある、木造の立派な村長宅へと向かった。
「キャルルさーん、お疲れ様です。書類の控え、持ってきましたよー」
玄関のドアをノックし、返事を待たずに中へ入る。ポポロ村の治安(というか役場メンバーの身内の距離感)は良いので、鍵が開いているのはいつものことだ。
しかし、リビングのドアを開けた瞬間、私は思わず足を踏みとどまった。
「ふふっ♡ これで村長様のお家にも、最高の『マインドセット』が根付きますわね」
「う、うん……ありがとう、ルナちゃん……(もう帰ってくれないかなぁ……)」
リビングの中央では、白銀髪のエルフ――ルナ・シンフォニアが、満面の笑みで立っていた。その横で、ウサギ耳をペタンと垂らしたキャルル村長が、顔を引きつらせながら愛想笑いを浮かべている。
部屋の隅では、リーザとキュララが「あいついつ帰るのよ」「私達の腎臓が狙われてるんだけど」とヒソヒソと怯えたように身を寄せ合っていた。
「……お邪魔だったかしら?」
「あっ! リカちゃん! 助けて!」
私を見た瞬間、キャルル村長が縋るような目でこちらを見た。どうやら、昼間に私が出会った『歩く国家予算』こと天然破壊神ルナは、順調に村長宅へとたどり着き、そのまま居座っているらしい。
「あら、あなたは昼間の親切な事務員様! その節は道を教えていただき、ありがとうございました♡」
ルナがふわりと微笑み、優雅にお辞儀をする。
私は極力関わらないように営業スマイルを浮かべ、「いえいえ、無事にお友達に会えてよかったですね」と適当に相槌を打った。
――その時、私の視線が、リビングの奥にある『床の間』に吸い寄せられた。
キャルル村長宅の床の間には、普段はポポロ村の美しい風景画が飾られているはずなのだが、今日は違った。
そこには、妙に真新しい、安っぽい紙質の『掛け軸』がデカデカと飾られていたのだ。
達筆な筆文字で書かれているのは、
『感謝!』
『圧倒的行動力!』
『成功者のマインドセット!』
『まだゴブリン狩りで消耗してるの?』
……という、前世の自己啓発セミナーや、怪しい情報商材の広告で死ぬほど見たことがある、薄っぺらい精神論の羅列だった。
「……ちょっと、キャルルさん。何ですかあの胡散臭い掛け軸。村の景観条例に違反するレベルでダサいんですけど」
「わ、私じゃないよ! ルナちゃんが勝手に飾ったの!」
「まあ、ダサいだなんてひどいですわ。これは、私が道端で出会ったコンサルタントの方から購入した、国宝級のアイテムなのですから」
ルナはムッとしたように唇を尖らせ、掛け軸の前へ歩み出た。
「あの青い服を着た、ポマードの香りが素敵な親切な男性が教えてくださいましたの。これを持っていれば、悩みも迷いも消え去って、最高の人生が約束されるのだと!」
「青い服の、ポマードの男……?」
私の脳内で、即座にプロファイリングが開始された。
『コンサルタント』を名乗る青スーツの男。そしてこの中身のないペラペラの掛け軸。
間違いない。最近、帝都近郊や街道沿いに出没しては、駆け出しの冒険者や情報弱者を食い物にしているという噂の悪徳情報商材屋だ。
前世で言うところの、怪しいネオIT起業家もどきである。
よりによって、こんな限界村の村長宅にそんな詐欺アイテムが持ち込まれるとは。
「……ちなみにルナさん。その国宝級の掛け軸、おいくらで買われたんですか?」
「ええと、特別にお安くしていただいて、金貨五十枚(約五十万円)でしたわ♡」
「き、金貨五十枚!?」
キャルル村長とキュララが同時に絶叫した。
原価百円もしないであろう紙切れに五十万円。完全な詐欺である。
「でも、私、手持ちの現金がございませんでしたので」
「えっ?」
「道端の石ころを、少しだけ大きな黄金に変えてお支払いしましたの♡ きっと金貨五十枚以上の価値はあったはずですわ」
ふふっ、と誇らしげに微笑むルナ。
その言葉を聞いた瞬間、私の中の『元・総務課経理担当』の演算回路が、すべての状況を完璧に理解し、そして一つの冷酷な結論を導き出した。
(……なるほど。そういうことね)
ルナが昼間、私に渡そうとしてきた『錬金術で生み出した純金インゴット』。
あの時、私はコンプライアンスを理由に全力で拒否したが、あの詐欺師の男は、目の前に差し出された黄金の塊に目が眩み、喜んで受け取ったのだろう。
しかし、ルナの魔法で作られた黄金には、一つの致命的な『時限爆弾』が潜んでいる。
――『三日(七十二時間)経過すると、ただの薄汚い石ころに戻る』。
つまり、あの詐欺師は今頃、重たいインゴットを抱えて帝都の歓楽街あたりで豪遊しているはずだ。
そして三日後、支払いの段階で、あるいは散財し尽くした後に、自分が抱えている全財産が「ただの泥混じりの石ころ」に戻るという絶望を味わうことになる。
反社の詐欺師の手に財産が渡らなかったのは不幸中の幸いだが、あまりにもエグいトラップである。
「……そう。それ偽金(時限式)で買ったのね」
私は呆れたようにため息をつき、バインダーを小脇に抱え直した。
「まあ、反社組織の資金源にはならないからギリギリセーフだけど。ルナさん、次からは怪しいキャッチセールスには気をつけるのよ。この村、変な詐欺師がよく迷い込んでくるから」
「ええ、お気遣いありがとうございます、リカ様♡」
私が特に怒ることもなく、冷静に注意だけで済ませようとした、その時だった。
「――ちょっと待ってくださいませ!!」
部屋の隅で震えていたリーザが、バンッ! とテーブルを叩いて立ち上がった。
彼女は真っ赤な芋ジャージを震わせ、私に向かって抗議の声を上げた。
「依怙贔屓ですわ!!」
「は?」
「なんで、この手羽先エルフが詐欺に引っかかった時は『気をつけるのよ』だけで済まされるんですの!? 私が火原から『開運の壺』を五十万で買わされた時は、リカ様、新聞紙を丸めて私の頭をポカポカと本気で叩きまくったじゃありませんか!!」
リーザは目に涙を浮かべながら、過去のトラウマを掘り返して猛抗議してきた。
確かに、以前彼女が怪しい壺売り詐欺に引っかかり、違法なローン契約を結ばされた時、私はタローマンの特売チラシで作ったハリセンで彼女の頭を容赦なく連続で叩き、大説教をかました。
それが、ルナに対しては無罪放免。不公平極まりないと言いたいのだろう。
「なによ、リーザ。あんた自分がバカだったことを棚に上げて……」
「リカ様は、顔が可愛くてお金持ちのエルフだからって甘やかしてるんですわ! 私だって、アイドルとしての可愛さなら負けて――」
「違うわよ、このポンコツアイドル」
私は、バインダーでリーザの頭を軽くポンと叩き、冷めた声で告げた。
「いい? あんたの時は、あんたが『実害(借金)』を被る寸前だったから、目を覚まさせるために説教したの。でも、ルナさんの場合は違うでしょ」
「違うって……何がですの?」
「今回の件で一番の実害を被るのは、騙されたルナさんじゃない。――騙したと勘違いして、偽の黄金を掴まされた『詐欺師側』よ」
私は、ルナが飾った胡散臭い掛け軸を一瞥した。
「三日後、あの男が帝都のど真ん中で、ただの石ころを手にしながらどんな絶望を味わうか。無銭飲食で捕まるか、それともヤバい連中にボコボコにされるか……どっちにしても、社会的にも肉体的にも完全に破滅するわね」
私の淡々とした解説を聞いて、リーザ、キャルル、キュララの三人は、ヒッ、と息を呑んだ。
そう、私がルナに対して丸めた新聞紙を構えない理由は「甘やかしている」からではない。
天然の破壊神である彼女を刺激すれば、何が起こるか分からないという『危機管理』もあるが、何より――。
「……騙した側の末路を想像したら、可哀想すぎて、被害者を説教する気にもならないもの」
私は静かに微笑んだ。
元社畜事務員の私の瞳には、数日後に訪れるであろう、悪徳情報商材屋の『完璧な自業自得(破滅)』のビジョンがはっきりと見えていた。
「まあ♡ リカ様は本当にお優しいのですね」
ルナが何もわかっていない無邪気な笑顔で、パチンと手を合わせる。
彼女の生み出した時限爆弾(黄金)が、帝都でどのような爆発を引き起こすのか。
休日の平穏を愛する私としては、その爆発の余波が、どうかこのポポロ村にまで届かないことだけを祈るばかりであった。




