EP 10
極上寿司パーティーと、最強料理人の独占欲
旧ドンガン鉱山での騒動から数時間が経過し、すっかり夜の帳が下りたポポロ村。
村の中心にある大衆食堂『ポポロ亭』は、かつてないほどの熱気と、むせ返るような酢飯と海鮮の匂いに包まれていた。
「はい、次! ルナイーツの配達員さん、こっちのテーブルに置いてって〜! リスナーのみんな、まだまだ食べられるよねっ!? QRコード、画面に出すよ〜♡」
食堂の中央で、パステルピンクのツインテールを揺らすトップ配信者・キュララが、スマホの画面に向かって『決済用QRコード』をかざしている。
すると、数百万人の同接を誇る配信枠の向こう側から、石油王をはじめとする太客たちの『赤スパチャ(高額投げ銭)』がシャワーのように降り注ぎ、その資金が自動的に帝国の出前アプリ『ルナイーツ』へと還元されていく。
「お待たせしましたー! 帝都直送、特上ウニと大トロの『海神づくし極み桶』、十人前です!」
息を切らした飛竜便の配達員が、次々と巨大な寿司桶を運び込んでくる。
テーブルの上は、まるで竜宮城の宴のように、キラキラと輝く極上の海の幸で埋め尽くされていた。
「あはは〜♡ みんなのお金で食べるお寿司、最高に美味しい〜! ほら、そこの貧乏魚ちゃんも遠慮しないで食べなよ!」
「くっ……! 悔しい! 悔しいですのに、大トロの脂が口の中でとろけますわぁぁ!」
極貧地下アイドルのリーザは、悔し涙をボロボロと流しながら、両手に持った大トロとイクラの軍艦巻きを、ダイソンのような吸引力で次々と胃袋へ吸い込んでいた。
彼女が抱え込まされそうになった五十万ゴールドの借用書は、ニャングルが詐欺師・火原を連行したことで無事に無効となった。借金の恐怖から解放された安堵と、失った太客(石油王)への未練、そして目の前の極上寿司の誘惑。
複雑な感情が入り混じったリーザの顔は、なんとも言えないカオスな表情を作り出している。
「あの二人は、すっかり出来上がってるわね……」
私は喧騒から少し離れた、厨房前のカウンター席に座り、温かい陽薬草茶をすすりながら小さく息を吐いた。
今日一日、休日の朝から狩猟(という名のピクニック)に出かけ、罠で天使を捕獲し、詐欺師のアジトを特定してロケットランチャーをぶっ放すという、元社畜の許容量をはるかに超える濃密なスケジュールだった。
肩の筋肉はロケランの反動で少し張っているし、どっと疲労が押し寄せてきている。
カチャリ。
そんな私の目の前に、湯気を立てる小皿がそっと置かれた。
「リカさん、お疲れ様でした。少し、胃が疲れているんじゃないかと思って」
カウンターの向こう側で、白い割烹着姿のダインさんが、困り眉をハの字に下げて優しく微笑んでいた。
小皿に乗っていたのは、黄金色に輝く『出汁巻き卵』だった。
大根おろしが添えられ、ふんわりと立ち上る湯気からは、極上のカツオと昆布の合わせ出汁の、ホッと胸の奥が解けるような香りが漂ってくる。
「ダインさん……! ありがとうございます。いただきます」
私はお箸で出汁巻き卵を一口サイズに切り分け、口に運んだ。
その瞬間、じゅわぁぁっ……と、卵に閉じ込められていた熱々の出汁が、口いっぱいに溢れ出した。
「んんっ……!!」
美味しい。
卵の優しい甘みと、少しの塩気、そして何より、丁寧に引かれた一番出汁の深い旨味が、ロケランをぶっ放してささくれ立っていた私の心と細胞の隅々にまで、じんわりと染み渡っていく。
豪華なウニや大トロも魅力的だが、今の疲れた私にとって、この温かくてホッとする家庭の味は、どんな高級料理よりも体に優しかった。
「美味しい……。なんだか、すごく安心する味です」
「ふふっ、よかったです。出汁を少し多めにして、食感を限界までふわふわに仕上げてみたんです」
ダインさんは嬉しそうに目を細め、布巾でカウンターを吹きながら私の顔を見つめた。
だが、彼の視線が、ふと背後のテーブル席――キュララたちが盛り上がっている高級寿司の山へと向くと、その困り眉がわずかにピクッと動いた。
「……それにしても、配信の力というのはすごいですね。あんな高価な帝都のお寿司が、一瞬で山のように届くなんて」
「まぁ、あの手羽先天使の図太さと、リスナーの熱狂あってのものですよ。私は自分で稼いだお金で食べるご飯の方が好きですけどね」
私が苦笑しながら答えると、ダインさんは手元の布巾をギュッと握りしめ、少しだけ視線を落とした。
「リカさんは……ああいう、高価で派手なご飯の方が、好きですか?」
「え?」
不意の質問に、私は目を瞬かせた。
ダインさんの声には、いつもの気弱さの中に、どこか拗ねたような、子供のような響きが混じっていた。
「僕のご飯は、地味で……田舎の定食屋のメニューばかりですから。でも、出前アプリなんかで、リカさんの胃袋を満たされるのは……なんだか、すごく悔しいというか」
「ダ、ダインさん?」
「たとえ石油王が大金を積んで世界で一番高い料理を運んできても……リカさんの帰る場所と、一番ホッとするご飯は、僕が作っていたいんです」
ダインさんは、顔を真っ赤にしながら、しかし、極寒の氷魔剣士として怪物を一刀両断した時と同じ、どこまでも真っ直ぐで真剣な瞳で私を見つめた。
「リカさんの胃袋は、配信の出前じゃなくて……僕が、ずっと守りますから」
――ドクンッ。
私の心臓が、今日一番の大きな音を立てて跳ねた。
なんなの、この人。
気弱で、オドオドしていて、争いが嫌いなのに、私のこととなると突然、最強の騎士の顔を見せてくる。
しかも、高級寿司に対する嫉妬の仕方が「僕が胃袋を守る」だなんて。そんなの、過保護すぎる独占欲の塊じゃないか。
顔から火が出そうになるのを必死に堪え、私は出汁巻き卵をもう一口頬張って、照れ隠しにふにゃりと笑ってみせた。
「……ダインさんのご飯より美味しいものなんて、この世界にはありませんよ。だから、これからも私の夕飯、よろしくお願いしますね」
「はいっ……! もちろんです!」
ダインさんは、パァァッと顔を輝かせ、耳まで真っ赤にして「次のお料理、作ってきます!」と厨房の奥へと引っ込んでいった。
残された私は、心臓のバクバクを落ち着かせるために、少し冷めた陽薬草茶をゴクリと飲み込んだ。
後ろのテーブルでは、相変わらずキュララとリーザが「大トロは私のよ!」「スパチャ投げたのは私のリスナーでしょ!」と騒がしくやり合っている。
キャルル村長は呆れ顔で笑い、常連の村人たちもジョッキを片手に宴会を楽しんでいた。
私は首から下げた『エンジェルすまーとふぉん』をそっと取り出し、画面をタップした。
【現在ご利用額:931,000円】
【実質残高:1,000円】
詐欺師を捕まえたからといって、私に懸賞金が入るわけでも、借金が減るわけでもない。
天界のクソ女神ルチアナと、あの恐ろしい黒服天使レスラーによる取り立ての影は、依然として私の背後にピタリと張り付いている。
(ふふっ……まあ、いっか)
私はスマホを胸ポケットにしまい、温かい食堂の空気をいっぱいに吸い込んだ。
借金完済までの道のりは、果てしなく遠い。
これからもきっと、この破天荒な極貧アイドルやトップ配信者、限界村長たちに巻き込まれて、休日の平穏などないカオスな日々が続くのだろう。
でも、私には前世で鍛え上げた『事務員魂』がある。
そして何より、世界一美味しいご飯を作って、私を絶対に守り抜いてくれる、最強で少し過保護な騎士がいるのだから。
「さあ、明日からも定時退社目指して、バリバリ働いて稼ぐわよ!」
私は小さく気合いを入れ直し、最後の一切れの出汁巻き卵を、世界で一番幸せな気持ちで口に運んだ。
秋野リカの異世界お仕事サバイバルは、騒がしい仲間たちと共に、まだまだ続いていく――。
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