EP 5
焦る極貧アイドルと、悪徳壺売り商人
秋の陽は釣瓶落としというが、ポポロ村の夕暮れも例外ではない。
オレンジ色に染まった空が急速に赤みを増し、冷たい秋風が広場の石畳を吹き抜けていく。夕餉の支度の匂い――どこかの家で焼かれている魚や、煮込み料理の温かい香りが村中に漂い始めていた。
「五円! 五円! 御縁! 御縁! ハイッ!……ハイッ……」
広場の片隅で、今日も赤い芋ジャージを着たリーザが、みかん箱の上で声を張り上げていた。
だが、その声にはいつものような覇気がない。
手作りのダンボール製お賽銭箱を覗き込んでも、底に転がっているのはくすんだ銅貨がたったの三枚。日本円にして三十円にも満たない金額だ。
「……はぁ」
リーザは力なくみかん箱から降り、冷たい石畳の上に座り込んだ。
一昨日の夜、キュララの大食い配信の裏でカツ丼を十杯平らげたおかげで、当面の餓死の危機は免れている。だが、アイドルの魂はひどく飢えていた。
(カツ丼で胃袋は満たされても、私の心は満たされませんの……)
彼女の最大の太客であった『石油王』は、完全にキュララに鞍替えしてしまった。
キュララの配信から流れてくる「赤スパチャ十万ゴールド!」という景気の良い通知音が、リーザの耳には死の宣告のように響く。
「どうして……私の歌の何がいけないんですの? やはり、ジャージじゃなくてフリフリの衣装じゃないとダメなんですの? それとも、あの手羽先女みたいに、カメラに向かってあざとく媚びを売らないと……」
リーザは膝を抱え、どんよりとしたオーラを放ちながらブツブツと呟いた。
彼女の夢は「世界中の時間とお金を全部奪って、宇宙一幸せにすること」。
その果てしなく強欲で純粋な野望が、今、完全に壁にぶち当たっていたのだ。
「――お嬢ちゃん、いい歌を歌うじゃねえか。だが、惜しいな。顔色が悪いぜ?」
不意に、背後から声をかけられた。
ビクッとして振り返ると、そこには見知らぬ中年男が立っていた。
年齢は四十代くらい。無精髭を生やした角刈りで、肌には炭鉱の煤のような黒い汚れが染み付いている。タローマンの作業ツナギの上から、胡散臭い金糸刺繍が施された『開運の法衣』とやらを羽織り、首元は赤いスカーフでぐるぐると隠されていた。
そして何より、男の体からは、安っぽいお香の甘ったるい匂いと、微かな機械油の悪臭が入り混じった不快な匂いが漂っていた。
「……失礼ですわね。私は人魚族の誇り高き――」
「いやいや、肌ツヤの話じゃねえ。運気の話だ」
男は揉み手で近づきながら、ニヤリと下劣な笑みを浮かべた。
「俺には見えるぜ。あんたの背後から、すげえ『貧乏神の因縁』が漂ってるのがな。このままだと、あんたの周りから人は離れ、一生極貧のままだぜ?」
「び、貧乏神……!?」
リーザは息を呑んだ。
男の言葉は、ただの適当なハッタリだった。だが、リーザのユニークスキルは【貧乏神(お賽銭箱型掃除機)】である。図星を突かれた彼女は、「この人、私のスキルを見抜いている!?」と完全に信じ込んでしまったのだ。
「どうだ、図星だろう? 逃げていった一番の太客……『石油王』とかいうヤツも、その貧乏神の因縁のせいで離れていったんだよ」
「せ、石油王さんのことまで……! あなた、一体何者ですの!?」
「俺は世界を旅する風水師、火原ってもんだ」
火原と名乗った男――数日前に脱獄し、霊感壺売り詐欺を始めたばかりの悪徳商人は、懐から一つの『壺』を取り出した。
それは、どう見てもただの泥で作られた素焼きの壺だった。表面の装飾も粗く、今にも崩れそうなほど脆く見える。
火原のユニークスキル『コピー(劣化複製)』で作られた、中身がスッカスカのパチモノだ。
「これを見な。高名な古代遺跡から発掘された『退魔の黄金鳳凰壺』だ」
「全然黄金じゃないですわよ? 泥ですわよね?」
「バカ野郎、これは心の綺麗な人間にしか黄金に見えない特別な仕様なんだよ! いいか、これを玄関に置くだけで、貧乏神の因縁は浄化される。去っていった太客も、新しいファンも、みーんなあんたの元に戻ってくる! 運気が爆上がりする最強のアイテムなんだよ!」
火原の滑らかな営業トークが、夕暮れの広場に響く。
普段のリーザなら、リカに鍛えられた世間の常識で「怪しい」と警戒したかもしれない。だが、今の彼女は太客を失い、キュララにマウントを取られ、完全に冷静な判断力を失っていた。
「運気が……爆上がり。太客が、戻ってくる……」
「そうだ。あんたのその歌声に、この壺の運気が合わされば、天下のゴッドチューバーすら軽く超えられるトップアイドルになれるぜ!」
「トップアイドル……!」
リーザの碧眼に、キラキラと星が輝き始めた。
チョロい。火原は内心で舌ずりをした。
「ほ、本当ですの!? 買います! 私、その壺を買いますわ!」
「毎度あり! 定価は五十万ゴールドだが、未来のトップアイドルへの投資だ。特別に売ってやるよ」
五十万ゴールド。日本円にして約五十万円。
全財産が銅貨三枚の極貧アイドルに払える金額ではない。
「ご、五十万……。どうしましょう、今手持ちが……」
「安心しな、お嬢ちゃん。俺も鬼じゃねえ。出世払いの『ローン契約』ってのがあるんだ」
火原は懐から、一枚の羊皮紙を取り出した。
ルナミス帝国で法的な効力を持つ『魔導契約書』だ。これに血判を押せば、どんな理不尽な契約でも魔法の力で縛られてしまう。
「ここにサインするだけで、壺は今すぐあんたのものだ。支払いは少しずつでいい。金利は『トイチ』だ」
「トイチ……?」
「ああ。十日で一割、運気が増えるって意味だ。アイドルにはぴったりの契約だろう?」
リーザの脳内で、ポンコツな計算式が回る。
(十日で一割増える……つまり、私のファンも十日で一割増えるということですのね! 五十万の借金なんて、トップアイドルになれば三秒で返せますわ!)
「素晴らしいシステムですわ! サインします!」
リーザは一切の躊躇なく、火原から渡された羽ペンを受け取り、契約書に堂々と『リーザ・アルジェント』とサインをした。
ボゥッ!
羊皮紙が赤黒い魔光を放ち、契約が成立したことを告げる。
「ゲハハハ! 確かに契約は成立したぜ。さあ、この『黄金鳳凰壺』はあんたのものだ。大事に祈るんだな」
「ありがとうございます! 風水師のおじさま!」
リーザは粗悪な泥壺を、まるで我が子のように愛おしそうに胸に抱きしめた。
その顔は、借金地獄に落ちた者のそれではなく、希望に満ち溢れた純粋なアイドルの笑顔だった。
「(……バカなアマだぜ。タダの泥壺が、五十万の借用書に化けた。これをスリーの旦那に渡せば、俺の首輪のスイッチは当分押されずに済む……)」
火原は、リーザから見えない角度で、下劣極まりない悪党の笑みを浮かべた。
このポポロ村は、少し騙せばいくらでも金が搾り取れるカモの群れだ。火原は次の標的を探すため、甘ったるいお香の匂いを残して、薄暗い路地裏へと消えていった。
◆
すっかり日が落ちた公園。
リーザは一人、抱きしめた泥壺に頬擦りをしてウフフと笑っていた。
「これで……これで私もトップアイドルですわ! 石油王さんも、きっと明日の配信には戻ってきてくれますの! そしたら、リカ様にも美味しいお肉をご馳走して……」
夢想する彼女の背後に、恐るべき『違法金利の借金地獄』の足音が迫っていることに、彼女はまだ気づいていなかった。
リカがこの事実を知れば、五十万ゴールドの借金など可愛いと思えるほどの大激怒がポポロ・コーポに吹き荒れることになるのだが――それは、数時間後の話である。
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