EP 4
やらせカツ丼10杯大食い配信(Win-Winの共犯関係)
私の部屋(B302号室)の狭いリビングは、一触即発の空気に包まれていた。
「キィィィィッ! そのウニいくら寿司は、本来なら私のお腹に入るはずだった資金で買われたものですわ! 返しなさい泥棒手羽先!」
「あはは〜、負け犬の遠吠えウケる〜! 石油王さんのスパチャで食べる特上寿司、最高ぉ♡ ん〜、ウニが口の中でとろける〜!」
極貧地下アイドルのリーザが、血走った目でテーブルの上の寿司桶を睨みつけている。
その対面では、トップゴッドチューバーのキュララが、カメラに向かってあざとい笑顔を振りまきながら、一番高そうなウニの軍艦巻きをパクりと頬張っていた。
「ギリギリギリギリ……ッ!」
リーザの奥歯が粉砕しそうなほどの歯ぎしりが鳴り響く。
石油王という最大の太客を奪われ、さらに目の前で豪華な食事を見せつけられるという、極貧アイドルにとっては生き地獄のような仕打ちだ。
「……ねえ、二人とも。私の部屋で喧嘩するのやめてくれない? アパートの壁、すごく薄いんだから」
私は頭を抱えながらため息をついた。
休日の平穏は完全に打ち砕かれ、すっかり胃が痛くなっている。
「リカお姉さ〜ん、喧嘩じゃないよぉ。これは弱肉強食っていう自然の摂理だよ♡」
「リカ様! この性悪天使を今すぐつまみ出してください! じゃないと私がつまみ食いしますの!」
「つまみ食いって言っちゃってるじゃない。もう、あんたたち……」
私が仲裁に入ろうとした、その時。
キュララが、ふと何かを思いついたように手をポンと叩いた。
「あ、そうだ! 今日の夜の配信企画、どうしようか迷ってたんだけど……ねえ、そこの貧乏魚ちゃん」
「びっ、誰が貧乏魚ですか! 私は海を統べる人魚族の――」
「今夜の配信でさ、『大盛りカツ丼10杯限界チャレンジ!』って企画をやりたいんだけど。もし協力してくれたら、お腹いっぱいカツ丼食べさせてあげるよ?」
ピタッ。
リーザの怒りの抗議が、その一言でピタリと止まった。
「……は? カツ丼? 10杯? しかも、タダで……?」
「そ! リスナーにルナイーツで差し入れさせるから、元手はゼロ。でもね、私、実は少食だからカツ丼なんて1杯も食べきれないんだよね〜。絵面的には絶対にバズるんだけど」
キュララはニヤリと悪魔のような(天使だが)笑みを浮かべ、リーザの肩にポンと手を置いた。
「だからさ、カメラの死角(フレーム外)で、私の食べ残しを全部処理してくれない? 10杯分、全部タダで食べられるよ。どう?」
「えっ……」
リーザの目が、限界まで見開かれた。
極貧の彼女にとって、「タダ飯」しかも「カツ丼腹いっぱい」という響きは、何よりも抗いがたい悪魔の囁きだったのだ。
彼女の頭の中で、アイドルのプライドと、極限の食欲が激しくせめぎ合っているのが手に取るようにわかる。
「……くっ、私を誰だと思っていますの! 誇り高きルナミス帝国の地下アイドル、リーザ・アルジェントですわよ! そんな、他人の食べ残しをカメラの裏でコソコソ食べるような、浅ましい真似ができるわけ――」
「特盛カツ丼10杯。サクサクの衣に、トロトロの卵。甘辛いタレが染み込んだホカホカのご飯。……しかも、お肉はシープピッグの最高級ヒレ肉だよ?」
ゴクリ。
リーザの喉が、盛大に鳴った。
「…………やりますわ」
「リーザ!? あんたのプライド、開始十秒で陥落したわよ!?」
私がツッコミを入れるが、リーザの耳にはもう入っていなかった。
彼女の瞳には、カツ丼という輝かしい幻影しか映っていない。
いがみ合っていたはずの天使と人魚は、互いの利害(撮れ高とタダ飯)が完全一致したことで、まさかのWin-Winの共犯関係を結んでしまったのだ。
◆
その日の夜。
私の部屋のテーブルの上には、ルナイーツの配達員が息を切らして運んできた、湯気を立てる特大の『シープピッグのカツ丼』が10杯、ズラリと並べられていた。
部屋中を満たす、揚げたてのカツと甘辛いタレの暴力的なまでに食欲をそそる匂い。
『はーいみんな、こんばんキュラ〜♡ 今日はリスナーのみんなからのリクエストにお応えして、カツ丼10杯限界チャレンジをやっちゃいまーす!』
テーブルの正面に座ったキュララが、リングライトに照らされながら、完璧な笑顔でカメラに向かって手を振る。ドローンカメラが様々な角度から彼女の顔とカツ丼を映し出していた。
『うわぁ、すっごいボリューム! でも、キュララちゃん、みんなの応援があれば絶対食べきれると思うな! じゃあ、いただきまーす♡』
キュララは両手を合わせて可愛くお辞儀をした後、箸を取り、カツを一切れつまんでパクリと口に入れた。
『んん〜っ! はふっ♡ お肉が柔らかくて、すっごく美味し〜い!』
カメラに向かって、あざとさ満点でもぐもぐと咀嚼するキュララ。
だが、彼女の『配信』はそこまでだった。
キュララは「ちょっとお茶飲むね〜」と言ってカメラに背を向けるような動作をすると、テーブルの下の死角――カメラには絶対に映らない足元へと、丼をスッと差し出した。
「(ほら、食え)」
小声で命令するキュララ。
すると、テーブルの下で正座して待機していたリーザが、目を血走らせて丼を受け取った。
「(いただきますわぁぁぁッ!)」
ズォォォォォォォォッ!!
すさまじい吸引音が響いた。
リーザは箸すら使わず、カツ丼をまるで飲み物のように一瞬で喉の奥へと流し込んでいく。ダイソンも真っ青の驚異的な吸引力だ。
彼女の喉仏が数回上下しただけで、特盛のカツ丼はあっという間に空っぽになった。
「(次、早く次をよこしなさい!)」
「(ちょ、早すぎ! もっと味わって食べなさいよ! バレるでしょ!)」
足元で小声で言い争いながら、キュララは空になった丼をテーブルの上に戻し、二杯目の丼をカメラの前に引き寄せる。
『ふぅ〜、一杯目完食でーす! まだまだいけるよ〜! 二杯目、いただきまーす♡ はふっ♡』
そしてまた一口だけ食べて、テーブルの下へパス。
ズォォォォォォッ!! と響く吸引音。
「……なによこれ」
私は部屋の隅のソファーに座り、腕を組みながらそのカオスな光景を冷ややかな目で見守っていた。
画面の中では、華奢な美少女が信じられないスピードでカツ丼を平らげているように見えるだろう。コメント欄も『キュララちゃんすげえ!』『食べっぷり最高!』と大盛り上がりし、次々とスパチャが飛んでいる。
だが、現実の光景は、あざとい天使が一口食べた残飯を、テーブルの下で這いつくばった極貧人魚が鬼の形相で吸い込んでいるという、地獄のような絵面だ。
「(ゴルァ! 噛まずに飲み込むな! カツの衣が喉に引っかかってるでしょ!)」
「(ふぐっ、ごふっ……水、水をよこしなさい!)」
「(水飲んだらお腹膨れるでしょ! 根性で押し込みなさい! ほら、五杯目!)」
キュララの容赦ないスパルタ指示が飛ぶ。
完全に「大食い配信の闇」である。
私は前世のコンプライアンス厳しい会社員時代の血が騒ぎ、「これ絶対炎上するやつじゃん……」と頭を抱えたが、この異世界に放送倫理委員会は存在しないらしい。
『ん〜っ、苦しいけど、リスナーのみんなのスパチャがあるから頑張れるよ〜! えいっ!』
キュララがウインクを飛ばすたびに、画面にチャリンチャリンとお金が投げ込まれるエフェクトが舞う。
そしてテーブルの下では、リーザが白目を剥きながら、八杯目のカツ丼を胃袋に詰め込んでいた。
「(あぐっ……もう、限界……お腹が、はち切れそうですわ……)」
「(気合入れなさい! あと二杯! これ食べきったら、デザートのプリンも頼んであげるから!)」
「(プ、プリン……っ! やりますわ! 私の胃袋のポテンシャル、舐めないでくださいませ!)」
プリンという新たな報酬を提示され、リーザの瞳に再び火が灯る。
極貧生活で縮んでいた胃袋が、執念で拡張されていくのを感じた。
そして、三十分後。
『ぷはーっ! やったぁ! カツ丼10杯、全部完食しちゃいました〜♡ みんな、応援ホントにありがとう! キュララちゃん、お腹いっぱいで幸せ〜♡』
テーブルの上には、綺麗に空になった10個の丼が積み上げられていた。
キュララはカメラに向かって満面の笑みでピースサインを決め、配信は最高の盛り上がりを見せたまま終了した。
「ふぅ〜、お疲れ! 今日の配信、めっちゃスパチャ飛んだわ〜!」
配信を切った瞬間、キュララは素の表情に戻り、大きく背伸びをした。
その足元では。
「…………げふっ」
リーザが、カエルのようにパンパンに膨れ上がったお腹を抱え、床に仰向けになって白目を剥いて気絶していた。
完全に限界突破のオーバーフローだ。
「ちょっと、リーザ大丈夫!? 死んでないわよね!?」
「大丈夫大丈夫。人魚って胃袋頑丈だから。ほら、約束のプリン置いとくからね」
キュララは気絶しているリーザの顔の上に、出前で届いた小さなプリンをコトリと置いた。
休日の夜。
私の部屋には、空の丼と、油の匂いと、気絶した極貧アイドルが残された。
「……この村、やっぱり変な奴しかいない」
私は深くため息をつきながら、明日の仕事に向けて、そっと部屋の窓を開けて換気を始めるのだった。
読んでいただきありがとうございます。
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