EP 2
残高1000円の肉まんと、極寒スマイルの料理人
「ゲハハハ! おいおい、こんな夜更けに森の中で叫んでるたぁ、とんだお転婆なお嬢ちゃんだなァ」
「見ねえ服着てやがるが、高く売れそうだぜ。ヒヒヒ……」
月明かりの下、ボロボロの革鎧を着た男たちが三人、下卑た笑みを浮かべて私を包囲していた。手には刃こぼれした薄汚い剣や斧が握られている。
どう見てもファンタジー世界名物、柄の悪い野盗である。
(嘘でしょ……いきなりハードモードすぎない!?)
私はじりじりと後ずさった。
先ほどまで「定時退社して借金百万返してやる!」と意気込んでいた社畜のド根性も、物理的な刃物を向けられては萎縮するしかない。私の武器といえば、首から下げた社員証と、残高千円の『エンジェルすまーとふぉん』だけだ。
「おい、大人しくこっちへ来い。おとなしくしてりゃ、痛い目は見せねえよ」
「そ、そんなテンプレ台詞、誰も信じませんよ! 警察呼びますからね!」
「けいさつ? なんだそりゃ。ここいらはルナミス帝国と獣人国の緩衝地帯だ。自警団の目だって届きやしねえよ!」
野盗の一人が、ニタニタと笑いながら手を伸ばしてくる。
終わった。異世界転生初日で、まさかのバッドエンド直行――。
私がぎゅっと目を瞑った、その瞬間だった。
「きゃあああああああっ! 誰か、誰か助けてくださぁぁぁい!」
ガサガサガサッ! と、横の茂みが派手な音を立てて掻き分けられ、何かが勢いよく飛び出してきた。
それは、膝の抜けた真っ赤な芋ジャージを着て、足元に健康サンダルを突っかけた金髪碧眼の少女だった。脇にはなぜか古いみかん箱を抱えている。
「あ、痛っ!」
少女は私の足元に見事に転んで、すってんころりんと尻餅をついた。
「えっ? だ、誰?」
「あ、あわわわわ……お腹が減りすぎて、足がもつれましたの……」
少女は涙目でこちらを見上げた。絵画から抜け出したような絶世の美少女だが、その恰好のせいで台無しである。
「おっ、丁度いい! こっちのジャージの女も逃がした獲物だ。まとめて捕まえろ!」
どうやら彼女もこの野盗たちに追われていたらしい。
男たちが私たちを囲み、ニリリと剣を構える。ジャージの少女は「ひぃぃ!」と短く悲鳴を上げ、私の後ろに隠れた。
「ど、どうしましょうお姉様! 私、まだデビューしたての地下アイドルなんですの! こんなところで終わったら、武道館の夢が……!」
「アイドル!? 異世界にアイドルとかあるの!? ていうか武道館って何!?」
ツッコミどころが多すぎるが、今はそれどころではない。
野盗の男が、ついに痺れを切らして斧を振り上げた。
「ごちゃごちゃ煩え女共だ! 少し黙らせてやる!」
「ひっ……!」
考えるより先に、私は握りしめていたスマホの画面をスワイプしていた。
アプリ【ネット通販(即日配達)】を起動する。
残高は千円。剣や盾なんて買えないし、そもそも剣なんて持ってもOLの私には振れない。
相手の意表を突けて、安くて、ダメージを与えられるもの。
商品一覧をスクロールし、最安値のカテゴリから『それ』をタップした。
『ピコーン♪ コンビニ肉まん(熱々)×2個、ご購入ありがとうございます。残高:700円』
直後、私の頭上の空間がパカッと割れ、ふわりと白い湯気を立てる物体が二つ落ちてきた。
私はそれを空中でキャッチする。
薄い包装紙越しに伝わる、火傷しそうなほどの熱。コンビニの保温器の底で、あっつあつに蒸された最強の弾丸だ。
「ええええいっ! 総務課のストレス、舐めないでよね!!」
私は全力のオーバースローで、その熱々の肉まんを、斧を振り下ろそうとした野盗の顔面に向けて見事に投げつけた。
「うおっ!? なんだこ――アッッッッツツツ!!」
ベチャッ! という鈍い音と共に、野盗の顔面に張り付く熱々の中華餡。
「ギャアアアアッ! あっつい! 熱いぃぃぃ!! 目が、目がァァァ!」
男は斧を取り落とし、顔を覆って転げ回った。
「な、なんだ!? 魔法か!?」
「ひるむな! ただの白いドロドロだ! 殺せ!」
残る二人の野盗が、激怒して剣を振りかざし、私と少女に飛びかかってくる。
しまった、弾(肉まん)が足りない! もう一人はどうにかできても、もう一人には斬られる!
「ああっ、ダメ、死ぬ――!」
「嫌ですわぁぁぁ!」
私と少女が抱き合って目をギュッと瞑った、その時だった。
「……あの、すみません。ちょっと、通りますよ」
ひどく控えめで、申し訳なさそうな男性の声が響いた。
直後、野盗の一人が「ぐはぁっ!?」と奇妙なカエルを潰したような声を上げて吹き飛んだ。
目を開けると、いつの間にか私たちの前に、一人の青年が立ち塞がっていた。
柔らかい癖毛に、少し下がり気味の困り眉。
ゆったりとした作業着の上に、白い割烹着とエプロンを身につけている。腰には鞘に収まった包丁を下げていた。
どこからどう見ても、その辺の食堂の気のいいお兄さんだ。
「な、なんだテメェは! 引っ込んでろ!」
残った野盗が、青年に向かって怒り狂ったように剣を振り下ろす。
あんな包丁一本で、本物の剣を持った相手に勝てるわけがない。
「危ない!」
私が叫んだ瞬間。
青年は、オドオドとした態度を微塵も崩さないまま、スッと右手を伸ばした。
そして、野盗が振り下ろした鋼鉄の剣の『刃』を、素手でガシッと掴んだ。
「は……?」
野盗が間の抜けた声を漏らす。私も信じられないものを見る目で硬直した。
青年は、剣の刃を掴んだまま、本当に困ったような顔で首を傾げた。
「あの……夜の森は危険ですから。それに、女性に乱暴をするのは、感心しませんよ」
「ふ、ふざけんな! 離せッ!」
野盗が剣を引き抜こうと力むが、青年の手は万力のようにピクリとも動かない。
それどころか。
ミシミシ……パキパキパキッ!
青年の手から、極寒の冷気が立ち上ったかと思うと、掴んだ鋼の剣が、まるで飴細工のようにメキメキとひしゃげ、ひび割れ、あっという間に青白く凍りついてしまったのだ。
「ひっ!?」
「さあ、お引き取りください。これ以上は、僕も手が滑ってしまうかもしれませんから」
青年は、一歩だけ前に出た。
声は荒らげていない。怒鳴ってもいない。オドオドとした敬語のままだ。
だが、その困り眉の下にある瞳だけは、氷の湖底のように冷たく、静かな怒りを湛えていた。
極寒の微笑みを浮かべたまま、彼は素手で凍りついた剣を、パキンッ、とあっさりへし折った。
「ヒィィィィッ!! 化け物だァァァ!」
武器を破壊された野盗たちは、顔面に肉まんを張り付けた仲間を引きずりながら、蜘蛛の子を散らすように森の奥へと逃げ去っていった。
静けさが戻った森に、折れた剣の破片がカラカラと落ちる音だけが響く。
「……ふぅ。驚かせてしまって、すみません。お怪我はありませんか?」
青年は振り返ると、先ほどの冷たい眼差しが嘘のように、人の良さそうな、いつものオドオドした顔に戻っていた。
「あ、えっと……助けていただいて、ありがとうございます。私は秋野リカと言います。こっちは……」
「リーザですの。助かりましたわ……お腹が減りすぎて、もう限界です……」
「リーザさんですね。僕はダイン。ダイン・アルシードです。近くの村で、食堂の料理長をしています」
ダインと名乗った青年は、ぺこりと頭を下げた。
あの凄まじい握力と冷気は一体何だったのか。武術の達人? それとも魔法使い? 少なくとも、ただの料理人ではないことだけは確かだ。
「ぐきゅるるるるるるるぅぅぅ……」
盛大な腹の虫が鳴った。私の横で、赤ジャージの美少女・リーザが、お腹を押さえてへたり込んでいる。
「……三日、三日パンの耳しか食べてませんの……」
「アイドルってそんなに過酷なの……?」
私は苦笑いしながら、自分の左手に残っていた、もう一つの熱々肉まんを見た。
助けてくれたダインさんに渡すべきか、餓死寸前のアイドルに与えるべきか。
私が迷っていると、ダインさんがふわりと優しく微笑んだ。
「リカさん、その白いホカホカしたもの……もしかして、食べ物ですか? すごく良い匂いがします」
「あ、はい! これ、『肉まん』っていうんですけど……助けていただいたお礼です。よかったら、ダインさんとリーザちゃんで半分こしませんか?」
私は肉まんを真っ二つに割り、二人に差し出した。
リーザは「あむっ!」と野生動物のようなスピードで食いつき、「はふはふ! あふぅ、美味しいですのぉぉ!」と感動の涙を流している。
ダインさんは、初めて見る肉まんを不思議そうに眺めた後、一口かじった。
「……!」
ダインさんの目が、驚きに大きく見開かれる。
そして、フニッと、本当に幸せそうに目尻を下げて笑ったのだ。
「すごく美味しいです。生地がふかふかで、中からお肉の旨味が溢れてきて……リカさん、貴女は素晴らしい料理人なんですね」
「えっ、あ、いや、私はただ買っただけで……!」
「ふふ、そんなに謙遜しなくても。ご馳走様でした。とても温まりました」
――ドキン。
不覚にも、胸の奥が大きく鳴った。
さっきまで、あんなに冷徹で恐ろしい顔で野盗をねじ伏せていたのに。
一つの肉まんを食べて、こんなにふにゃりと、可愛らしく笑うなんて。
(……女性に乱暴はいけませんよ)
極寒の微笑みで敵を制圧した彼が、今は温かい湯気越しに無邪気な笑顔を向けている。
その完璧なギャップに、私はあっけなく心臓を射抜かれてしまっていた。
「あの……! リカ、様……っ!」
ふと、足元から服の裾を引かれた。
見下ろすと、肉まんの半分を秒速で平らげた赤ジャージのリーザが、私の足に縋り付いて、キラキラと星を飛ばすような瞳で見上げていた。
「あ、あの肉まん……もっと、もっとありませんの!? 私、何でもします! 歌います! だから、私にご飯をくださいませぇぇ!」
「えっ、ちょ、足にすがりつかないで!」
「一生ついていきます! リカ様は、私の運命の『スポンサー様』ですわぁぁぁ!!」
借金百万を背負わされた初日。
私は、訳ありの最強料理人と、図太い極貧アイドルに出会った。
異世界での定時退社と借金完済への道は、どうやら波乱の幕開けになりそうだった。
読んでいただきありがとうございます。
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