EP 2
罠にかかったのは、鳥ではなく天使でした
ポポロ山は、村から歩いて一時間ほどの場所にある、なだらかで緑豊かな山だ。
木漏れ日が差し込む登山道を歩いていると、少しひんやりとした秋の風が頬を撫で、踏みしめる落ち葉の乾いた音と、湿った土の香りが鼻腔をくすぐる。
前世の社畜時代、休日は疲れ果ててベッドから一歩も動けなかった私にとって、こうして休日の朝から自然の中を歩くこと自体が、信じられないほどの贅沢に感じられた。
「リカちゃん、気をつけてね。この辺りは少し足場が悪いから」
「はい、ありがとうございます。キャルルさんは流石、身軽ですね」
ウサギ耳のキャルル村長は、険しい獣道でもピョンピョンと軽快な足取りで進んでいく。
その後ろを、大きなリュックを背負ったダインさんが、私の歩幅に合わせてゆっくりと歩いてくれていた。
「リカさん、疲れていませんか? もし足が痛かったら、僕が背負いますから言ってくださいね」
「大丈夫ですよ、これくらい。でも、ダインさんこそその大きな荷物、重くないですか?」
「いえ、大した重さじゃありません。それより、そろそろお腹が空きませんか? 罠を仕掛ける前に、少し休憩にしてお弁当にしましょうか」
お弁当!
その言葉を聞いた瞬間、私の胃袋が「待ってました」とばかりにキュルリと鳴った。
私たちは山の中腹にある、少し開けた見晴らしの良い草地で足を止めることにした。
ダインさんがリュックからレジャーシートを取り出して敷き、その上に保温機能付きの魔導ランチボックスを広げる。
パカッ、と蓋を開けると、そこには宝石箱のような光景が広がっていた。
「うわぁぁ……! すごい!」
ふんわりと焼き上げられた米麦草のパンに、分厚いシープピッグの角煮と半熟卵を挟んだ特製サンドイッチ。付け合わせには、色鮮やかな陽薬草とトマトのサラダ。そして、冷えた身体を温めてくれる、濃厚なキノコのポタージュスープが入った魔法瓶だ。
「さあ、冷めないうちにどうぞ」
「いただきます!」
私は迷わず角煮サンドイッチに噛み付いた。
サクッとしたパンの食感の直後、中からとろけるような角煮の脂と、甘辛いタレの旨味がジュワァッと口いっぱいに広がる。さらに半熟卵のまろやかさが全体を包み込み、噛めば噛むほど至福の味がする。
「んんっ……! 美味しい! なにこれ、ほっぺたが落ちそうです!」
「ふふっ、よかったです。山を歩いた後なので、少し塩気を強めにして、マスタードでアクセントをつけてみたんです」
「ダイン君のお弁当、最高だねぇ……」
キャルル村長も、幸せそうにウサギ耳を垂らしてポタージュを飲んでいる。
秋の山の澄んだ空気の中で食べる、大好きな人が作ってくれた極上のお弁当。
これ以上の幸せが、この世界にあるだろうか。
◆
腹ごしらえをすませて大満足した私たちは、いよいよ本題の『罠掛け』に取り掛かった。
「この辺りが獣道になっているから、鳥たちも通りやすいと思うの」
「わかりました。じゃあ、網を木の間に張って……」
私とキャルル村長で、落ち葉の下に仕掛け網を隠し、木と木の間にロープを張り巡らせる。
そして、罠の中央に、私が用意した『特製餌』を山盛りに置いた。
ちぎったパンの耳に、『エンジェルすまーとふぉん』の残高を削って地球から取り寄せた『百均のガーリックソルト』と『旨味調味料』をこれでもかと振りかけ、少し水で練って匂いを立たせたジャンクフードの極みのような餌だ。
フワァッ……と、ニンニクの強烈で食欲をそそる匂いが周囲に漂う。
「うわぁ、相変わらずすごい匂いですね。人間でもお腹が空いてきそうです」
「ふふん、異世界の魔獣だって、地球の化学調味料のガツンとした旨味には抗えないんですよ。さあ、あとは茂みに隠れて待ちましょう」
私たちは罠から少し離れた茂みに身を潜め、息を殺して獲物を待った。
ダインさんは周囲に危険な魔獣がいないか、静かに気配を探ってくれている。
秋の風が木々を揺らす音だけが聞こえる、静かな時間。
――五分後。
ガサガサッ。
茂みの奥から、何かが近づいてくる気配がした。
(来た……!)
私は息を呑んだ。
トライバードは非常に警戒心の強い鳥だ。足音を立てないように、慎重に獲物に近づいてくるはず。
だが。
『あ〜っ! なんかすっごく美味しそうな匂いがする〜! ねぇねぇ、みんなどう思う!? 絶対美味しいやつだよねこれ!』
……ん?
鳥の鳴き声ではなく、妙に甲高くて、テンションの高い「人間の女の子の声」が聞こえた。
しかも、誰かに話しかけているような、不自然な一人芝居のトーンで。
『ちょっと行ってみるね! うわぁ、パンだ! なんかガーリックのいい匂いがする! パクッ……んん〜っ! ジャンクで美味し〜い!』
「えっ? ちょっと、誰か食べてる!?」
私が驚いて顔を上げた、その瞬間。
バサバサバサッ!! ガシャンッ!
罠の仕掛けが作動し、大きな網が獲物を包み込んで、空中に吊り上げた。
「かかった! ――って、えええ!?」
私が飛び出して罠に駆け寄ると、そこで網に絡まってジタバタしていたのは、巨大な鳥ではなかった。
ピンク色のパステルカラーのツインテール。
頭の上には、なぜか斜めに浮遊する『天使の輪』。
そして背中には、小ぶりで可愛らしい純白の羽が生えている。
萌え袖のオーバーサイズパーカーに、短いショートパンツを履いた、やたらと顔立ちの整った女の子が、網の中で涙目になっていた。
「ふぇぇ〜ん! 痛いよぉ! 私は美味しくないよぉ!」
「えっ? 天使……? なんでこんな所に!?」
「撮れ高のためにカメラ回して森を歩いてたら、すっごく美味しそうな匂いがしたから、つい食べちゃったのぉぉ!」
天使の少女は、網の中でじたばたと暴れながら泣き叫んでいる。
だが、私の目を引いたのは彼女の姿だけではない。
彼女の周囲を、小さなプロペラがついたソフトボール大の『機械の球体』が五つほど、フワフワと浮遊しながら彼女を様々な角度から撮影していたのだ。
(ドローンカメラ……!? 異世界にこんなのあるの!?)
私が混乱していると、天使の少女は泣き顔のまま、カメラの一つに向かって、完璧なウインクとあざとい笑顔を作ってみせた。
「ああっ、みんな〜! キュララ、なんか野蛮な原住民の罠にかかっちゃったかも〜! 食べられちゃうよぉ! 助けて、誰か赤スパ(高額投げ銭)で助けに来てぇ〜♡」
カメラ目線で、見事なまでの配信者ムーブをかます天使。
その光景のあまりの異物感に、キャルル村長とダインさんもポカンと口を開けて硬直している。
「……あ、あの。怪我はありませんか?」
ダインさんがおずおずと尋ねると、自称キュララはカメラに向かって「見て見て! 原住民のイケメンが話しかけてきた! てぇてぇ!」とはしゃぎ始めた。
ドローンカメラに囲まれながら、罠の網の中でジタバタとあざとくポーズを取る派手な天使を見て、私は深く、深くため息をついた。
……どうやら、とんでもなく変なものを獲ってしまったらしい。
読んでいただきありがとうございます。
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