EP 13
氷魔剣士の覚醒――誰も傷つけさせない
ズズゥゥゥンッ!!
ポポロ村を囲む強固な防護壁が、まるで薄いウエハースのように呆気なく崩れ落ちた。
濛々と立ち込める土煙の中から、漆黒の悪夢が姿を現す。
全高五メートルを超える古代の殺戮兵器――『死蟷螂機』。頭部の赤い複眼が、獲物を物色するようにギョロギョロと無機質な光を放ち、両腕の巨大な大鎌が太陽の光を反射してギラリと凶悪に輝いた。
「撃てぇぇぇッ!!」
マンミアさんの号令と共に、自警団の兵士たちが一斉に魔導ライフルと魔導誘導バズーカの引き金を引いた。
ドゴォォォンッ! バババババッ!
無数の爆炎と光弾が、死蟷螂機の漆黒の装甲に直撃する。凄まじい衝撃波が広場を吹き抜け、私は思わず腕で顔を覆った。
「やったか!?」
兵士の一人が叫ぶ。ファンタジーにおける生存フラグ(あるいは死亡フラグ)の定番台詞だが、土煙が晴れた後に見えた光景は、私たちを深い絶望の淵へと叩き落とすものだった。
無傷だ。
魔導兵器の集中砲火を浴びてなお、死蟷螂機の装甲には焦げ目一つ、傷一つ付いていなかった。
「なっ……馬鹿な! 最新型の徹甲弾だぞ!?」
「ひるむな! 次弾装填!」
マンミアさんが叫ぶが、死蟷螂機は煩わしい羽虫を払うような無造作な動きで、右腕の巨大な鎌を横薙ぎに振るった。
シュパァァァンッ!
「うわぁぁぁぁっ!?」
「きゃああっ!」
放たれた衝撃波だけで、前衛にいた兵士たちが木の葉のように吹き飛ばされ、魔導戦車の分厚い装甲が豆腐のように真っ二つに両断された。
凄まじい威力だ。あんなもの、まともに直撃すれば人間なんて一瞬で挽肉になってしまう。
「ヒール! フル・ヒールッ!」
後方からキャルル村長が叫び、白銀の魔力を放出して負傷した兵士たちを瞬時に回復させる。だが、彼女の顔色は既に真っ青で、口の端には赤い血が滲んでいた。
村人の命を救うため、自らの命を削って治癒を続けているのだ。
このままでは、兵士たちが全滅する前に、キャルル村長が過労で倒れてしまう。
「マンミアさん! 駄目です、村長が持ちません!」
「くそっ……! 私が間合いを詰める! リカ事務官、お前は早くシェルターへ行け!」
マンミアさんは馬体を躍らせ、パイルバンカー式シールド『アグニ』を構えて死蟷螂機へと突進していった。ケンタウロス族特有の二〇〇馬力という恐るべき突進力。
だが、死蟷螂機は赤い複眼を明滅させると、左腕の鎌でいとも容易くマンミアさんの突進を受け止めた。
「ガァァァッ! 抜けろォォォッ!!」
マンミアさんがアグニのパイルバンカー(巨大杭)を射出する。火薬と闘気の爆発を伴った最強の刺突。
しかし、杭は死蟷螂機の装甲を数ミリ凹ませただけで、ガキンッ! と嫌な音を立てて弾かれてしまった。
「なっ……!?」
「マンミアさん、危ない!!」
驚愕で動きが止まったマンミアさんに、死蟷螂機の右の鎌が振り下ろされる。
間一髪でマンミアさんは後ろに跳躍して避けたが、鎌が地面をえぐり、その余波で吹き飛ばされて地面に倒れ込んでしまった。
「ぐっ……なんて、硬さだ……!」
「マンミアさん!」
私は絶望的な光景に歯を食いしばった。
あの最強の自警団リーダーすら歯が立たない。これが、古代大戦で世界を蹂躙した兵器の力。
(逃げなきゃ……。でも、リーザは!? ダインさんは!?)
私は燃え盛る広場を見渡した。
避難誘導はあらかた終わっているはずだが、あの二人の姿が見当たらない。
「えーん! ママぁ! パパぁ!」
その時、瓦礫の陰から小さな鳴き声が聞こえた。
ハッとして目を向けると、崩れた屋台の陰で、五歳くらいの小さな男の子が一人でしゃがみ込んで泣いていた。逃げ遅れた村の子供だ!
「っ! ダメ、そこは危ない!」
私は考えるより先に足が動いていた。
頭上で死蟷螂機の鎌が空気を切り裂く音が聞こえる。恐怖で足が竦みそうになるのを、前世で培った「理不尽なクレーム客に突撃する時のド根性」で無理やりねじ伏せた。
「おいで! 走れる!?」
「うわぁぁぁん!」
私は子供に駆け寄り、その小さな身体を両腕でしっかりと抱きしめた。
早く、早く安全な場所へ。
そう思って踵を返した瞬間。
――ギロォッ。
背筋が凍るような悪寒が走った。
死蟷螂機の赤い複眼が、明確に私と子供を捕捉していた。
「あ……」
自警団の兵士たちを蹴散らした怪物が、ゆっくりとその巨大な鎌を高く振り上げる。
太陽の光を遮り、私の上に巨大な影が落ちた。
「リカ事務官ッ! 逃げろォォォッ!!」
遠くでマンミアさんが絶叫する。キャルル村長が悲痛な声を上げる。
間に合わない。
逃げ場はない。
振り下ろされる死の刃を前に、私の頭の中は奇妙なほど冷静だった。
走馬灯のように、この一ヶ月の記憶が駆け巡る。
理不尽な借金を背負わされ、この村にやってきた。
限界村長を助け、生意気な極貧アイドルと騒がしい夜を過ごし、そして――。
(……ダイン、さん。今日、夜食のお茶漬け、作ってくれるって言ってたのにな……)
彼の作ってくれる、心底温かいあの出汁の味を、もう一度だけ食べたかった。
私は子供を庇うように強く抱きしめ、ギュッと目を瞑った。
ゴォォォォォォォォッ!!!
頭上から、空気を圧殺するようなすさまじい轟音が響き渡る。
鎌が振り下ろされる――。
しかし。
数秒待っても、私に痛みは走らなかった。
それどころか、私の周囲の空気が、急激に――あり得ないほど急激に、極寒へと変化していた。
「――っ?」
恐る恐る目を開ける。
私の頭上には、私と子供を覆うようにして、分厚く、そしてどこまでも透き通った『氷の防壁』が展開されていた。
ガギィィィィィィィィンッ!!!!
死蟷螂機の放った巨大な鎌は、その氷の防壁に直撃していた。
鋼鉄の戦車すら真っ二つにする一撃。それが、美しい氷の壁に阻まれ、火花を散らして甲高い金属音を鳴らしている。
氷の防壁は、ミシリとも言わなかった。
「な、なに、これ……」
呆然とする私の前に、一人の青年の背中が立ち塞がっていた。
ゆったりとした作業着の上に、白い割烹着とエプロン。
柔らかい癖毛。
いつも厨房で、オドオドしながら包丁を握っていた、あの心優しい料理人。
「ダイン……さん……?」
私の震える声に、ダインさんはゆっくりと振り返った。
いつもの困り眉。いつもと変わらない、優しい微笑み。
だが、その瞳だけが違った。
夜盗を制圧した時よりも遥かに深く、冷たく、静かな怒りと覚悟を湛えた、極寒の湖底のような眼差し。
「リカさん。怪我は、ありませんか?」
「ダ、ダインさん、どうして……。ここは危ないです!」
「ええ、危ないですね。だから、僕が来ました」
ダインさんは静かにそう言うと、右手で腰の鞘から、一本の『料理用三徳包丁』を引き抜いた。
タローマンで売っている、ごく普通の鋼鉄製の包丁だ。
あんなもので、あのバケモノと戦えるわけがない。
そう思った直後。
ダインさんの身体から、信じられないほどの膨大な『闘気』と『魔法力』が青白いオーラとなって噴き出した。
パキッ……パキパキパキパキッ!!
大気中の水分が瞬時に結晶化し、彼の手にある三徳包丁にまとわりついていく。
冷気が渦を巻き、光の反射を伴って、刃が瞬く間に伸長していく。
それはもはや、包丁ではなかった。
絶対零度の冷気を放ち、透き通るような美しさと致命的な鋭さを併せ持つ、長大な『氷のロングソード』――氷魔極剣『フロスト・ヴェール』へと姿を変えたのだ。
「ダインさん、その剣……」
「約束しましたからね。リカさんに何か危険が迫った時は、僕が絶対に守ると」
ダインさんは剣を片手で軽々と持ち上げ、氷の防壁の外で苛立ちのままに鎌を振り上げる死蟷螂機を見据えた。
その態度は、巨大な怪物を前にしているというのに、信じられないほど優雅で、落ち着き払っていた。
彼は怒鳴らない。声を荒らげない。イキることもない。
ただ、この世界で最も優しい、最強の騎士として。
「――誰も傷つけさせない……!」
オドオドした気弱な青年の顔が消え、極寒の気を纏う『最強の騎士』が、静かに剣を構えた。
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