EP 11
不穏な影と、復讐の足音
ポポロ・コーポでの生活にもすっかり慣れ、私の朝は隣の部屋から聞こえる「ドゴォン!」という壁の軋む音で目覚めるのが日課になりつつあった。
朝九時。ポポロ村役場。
私は今日も自分のデスクで、自警団から上がってきた経費の領収書と睨み合っていた。
「……マンミアさん」
「なんだ、リカ事務官。私の提出した書類に何か不備でもあったか?」
私のデスクの前に立っているのは、豊かな栗色のポニーテールを揺らす、凛とした顔立ちの美しい女性だ。ただし、彼女の下半身は立派な馬の胴体になっている。
彼女はマンミアさん。ケンタウロス族の女性であり、この村の自警団リーダーを務める元・王国正規騎士団長である。
生真面目で高潔、ノブリス・オブリージュを体現したような立派な方なのだが……。
「この『パイルバンカー特注徹甲杭・三十本』の請求は分かります。村の防衛に必要な装備ですからね。でも、この『タローマート・ホールケーキ(半額)』という領収書はなんですか? しかも、日付がピンポイントで去年の十二月二十五日になってますけど」
「なっ……!?」
マンミアさんはビクッと馬体を震わせ、顔を真っ赤にして視線を泳がせた。
「そ、それは……夜間パトロール時の、当直隊員の士気向上のための夜食としてだな……」
「隊員って、マンミアさん一人ですよね? 自警団の経費で落ちるわけないでしょ! これは自費でお願いします!」
「うぅ……わかった。私が身銭を切ろう……」
マンミアさんは馬の耳をぺたんと伏せ、がっくりと肩を落とした。
彼女は二十五歳。この世界では十六歳成人・二十歳結婚が当たり前らしく、「彼氏いない歴=年齢」であることにひどく焦りを感じているらしい。
クリスマスの夜にタローマートで半額シールが貼られたケーキを買い、自室(私の隣の部屋だ)で「半額以下なのは私か……」と泣きながら食べているのを、私は壁越しに聞いて知っている。
少し可哀想だが、役場の経理を預かる身として、公私混同を許すわけにはいかないのだ。
「で、今日はその領収書の提出だけですか?」
私がため息をつきながら尋ねると、マンミアさんはハッとして、すぐに本来の生真面目な騎士の表情に戻った。
「いや、違う。本題は村の治安についてだ。……最近、村周辺の森で魔物の動きが不自然に活性化している」
「魔物の活性化?」
「ああ。普段は森の奥深くにいるはずの魔獣が、村の境界付近まで姿を現すようになっている。何か、巨大な力を持つ存在に怯えて、森から逃げ出そうとしているような……そんな嫌な予感がするのだ」
その言葉に、奥のデスクで決裁書類を読んでいたキャルル村長も顔を上げた。
「魔物が村の方に逃げてきてるってこと? それは危ないね……。自警団のパトロールを強化した方がいいかも」
「うむ。それに備えて、魔導ライフルと誘導バズーカの弾薬を多めに発注しておきたい。防衛用の全方位魔導フィールドの出力テストも実施するつもりだ」
「わかりました。弾薬の追加発注、すぐに予算を引き当ててゴルド商会に手配しますね」
私が手元のスマホの電卓を叩きながら言うと、ちょうど役場に顔を出したニャングルが煙管をふかしながら頷いた。
「ワテの商会の行商連中からも、森の奥から妙な地響きや、気味の悪い金属音が聞こえるっちゅう報告が上がっとるわ。念のため、地下シェルターの備蓄も確認しといた方がええかもしれんな」
ニャングルの言葉に、場に少しだけ緊張が走った。
ポポロ村は緩衝地帯という土地柄、いつ他国からの侵攻や魔物の大群に襲われてもおかしくない。そのため、地下にはドワーフ製の強固な防空シェルターが完備されているのだ。
「何事もなければいいんですけど……」
私は窓の外を見た。
今日の広場も、青空の下でのどかな空気が流れている。
リーザが相変わらずみかん箱の上で歌の練習をしていて、ダインさんがポポロ亭の前を掃除しているのが見えた。
この平和な日常を、絶対に守り抜きたい。私は気を引き締め、追加の防衛予算案の作成に取り掛かった。
◆
その頃、ポポロ村から遠く離れた森の最深部。
鬱蒼と生い茂る木々に隠されるようにして、苔むした巨大な石造りの『古代遺跡』が静かに佇んでいた。
「クソッ、あの女……。どいつもこいつも、俺をコケにしやがって……!」
薄暗い遺跡の回廊を、松明の火を頼りに進む一人の男がいた。
数日前、ポポロ村の広場でリーザのみかん箱を蹴り飛ばし、リカに右ストレートで顔面を殴り飛ばされた『牙狼団』のゴロツキだ。
男の顎には、リカの渾身のパンチによる青々とした痣がくっきりと残っている。
「たかが女のマネージャー風情が、粋がりやがって……。このままじゃ腹の虫が治まらねえ。あの村ごと、完全にぶっ潰してやる!」
男の瞳は、どす黒い復讐心に血走っていた。
彼がこの禁断の古代遺跡にやってきたのには、理由がある。
裏社会の噂で、この遺跡の最深部には、かつての『古代大戦』で使われた恐るべき兵器――『死蟲機』が封印されていると聞いたからだ。
「伝説の古代兵器を手懐ければ、俺は無敵だ。あの小生意気な女も、生意気なアイドルも、全員俺の足元にひれ伏させてやる。ゲハハハ!」
男は下劣な笑い声を上げながら、ついに遺跡の最深部へと到達した。
そこには、床一面に禍々しい魔法陣が描かれ、その中央に巨大な石の扉がそびえ立っていた。扉の表面には、幾重にも封印の鎖が巻き付けられている。
「これだ……ここを開ければ、俺の天下だ!」
男は懐から、盗品である高純度の魔石を取り出した。
それを石の扉の中央にある窪みへと押し込む。
ギギギ……ッ、バツンッ!
魔石が放つ怪しい光に呼応するように、封印の鎖が次々と弾け飛んだ。
重厚な石の扉が、何百年もの眠りから覚めるように、ズズズッと重い音を立てて左右に開いていく。
中から噴き出してきたのは、カビと鉄錆、そして濃密な『死』の匂いが混じった冷気だった。
「ゲハハハ! さあ出てこい、古代兵器よ! 今日から俺様が、お前のご主人様だ!」
男は松明を高く掲げ、暗闇の奥へと呼びかけた。
――チチチチチ……。
――ギリ……ッ、ギチギチギチ……。
暗闇の奥から、無数の節足が石畳を這うような不気味な音が響いてきた。
そして、闇の中に『それ』が姿を現した。
「……な、なんだ、こりゃあ……?」
男の顔から、下劣な笑みがスッと消え失せた。
現れたのは、全高五メートルを超える、巨大な鋼鉄の怪物だった。
漆黒の装甲に覆われた細長い胴体。頭部には無数の赤い複眼が不気味に明滅し、両腕には、分厚い鋼鉄の盾すら紙のように切り裂くであろう、鋭く巨大な『大鎌』が備わっている。
かつて世界を恐怖に陥れた死蟲軍の殺戮兵器――『死蟷螂機』である。
「お、おい……俺だ! 俺が封印を解いてやったんだぞ! 俺の命令を聞け! あの村へ行って、全部ぶっ壊して――」
男が震える声で叫んだ、その時。
死蟷螂機の赤い複眼が、ギョロリと男を見下ろした。
そこに主への忠誠など微塵もない。あるのはただ、長い封印から目覚めた飢餓感と、目の前にいる『有機物』を捕食しようとする機械的な殺戮本能だけだった。
「え……?」
シュパァァッ!
空気を切り裂く鋭い風切り音。
男が事態を呑み込むより早く、死蟷螂機の巨大な鎌が、暗闇から無慈悲に振り下ろされた。
「ヒィッ――」
男の歪んだ笑顔は、絶望に凍りつく間もなく、一瞬にして暗闇の中に消えた。
鈍い捕食音だけが、誰もいない遺跡の奥深くに響き渡る。
愚かな男の復讐心によって、最悪の封印は解かれた。
主を失った古代の殺戮兵器は、赤い複眼を不気味に明滅させながら、遺跡の外――最も生命の気配が濃い『ポポロ村』の方角へと、その巨大な鎌を向けた。
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