3-1.再会
王都の石畳の通りは馬車が行き交い、貴族の別宅からは音楽が漏れ聞こえていた。
アンナは、ハルトマン男爵夫人に招かれた茶会へと向かっていた。ウィンストン領の治水工事が一段落し、アンナは久しぶりに王都へ出た。父の代理として、貴族への挨拶回りをすることが目的だったのだが、本音を言えば、少し骨を休めたかった。
この一年、昼は水路の建設、夜は数字を睨める生活を続けた体は、柔らかな椅子と温かい紅茶を求めていた。かつてシュルツ伯爵夫人として、義務と忍耐に押し潰されそうになりながら参加した茶会とは違った。アンナには、自らの手で大事業を成し遂げたという自信があった。
ハルトマン男爵夫人に案内された茶会の席は、室内なのに淡い光に満ちていた。見知った貴族婦人たちが小さな輪を作り、季節の話や噂話で盛り上がっていた。アンナは端の席に落ち着き、紅茶を口に運んだ。花の香りがした。
その時、部屋の入口に人影が現れた。
「……アンナ・ウィンストン?」
聞き覚えのある声に、アンナは顔を上げた。
入口に立っていたのは、背の高い、旧知の男性だった。くせのある栗色の髪は記憶より短く、肩幅は広かった。人懐こい表情は、変わっていなかった。
「ポール……ポール・キャンベル様?」
「様だなんて、よしてくれよ。君の数学のノートを写させてもらったから、僕は王立学院を卒業できたんだ。様付けするなら、僕は君をアンナ・ウィンストン閣下と呼ばないといけない」
ポール・キャンベル。王立学院でのアンナのクラスメイトであり、急逝した父の後を継いで、キャンベル子爵となっていた。
ポールは照れたように笑い、茶会の主人であるハルトマン男爵夫人に頭を下げた。
「六年ぶりかな?」
「七年です」
アンナが訂正すると、「相変わらず正確だな」とポールは笑った。
再会を喜ぶ二人の会話は、自然と互いの近況へと移っていった。
「実は、ハルトマン男爵から君が茶会に来ると聞いて、やってきたんだ」
「どうして?」
「折り入って相談がある」
ポールの表情は先ほどまでとは違い、眉間に皺が寄り、目が真剣になった。
別室に移動したアンナは姿勢を正した。
「キャンベル領のことだ」
ポールは苦笑いすると、低い声で語り始めた。
父の急逝によりポールは領地を引き継いだ。キャンベル子爵領は、土地が肥沃で気候も悪くない。農作物の生産には理想的な環境である。それなのに、なぜかここ数年、税収が落ち込み、領民の生活が困窮していた。理由は、すべて「不作」で片付けられていた。
農作物の収穫量、納税額、市場への出荷量。どの帳簿を見ても、違和感があった。数字が合わない。しかし、ポールは問題点を特定できなかった。
「ウィンストン子爵領の治水事業の話は聞いた。アンナ、君にキャンベル子爵領の財政難の原因を調べてもらえないだろうか?」
ポールは深々と頭を下げた。学友としてではなく、子爵として依頼していた。
アンナは口元が緩むのを感じた。
「構いませんよ。少し時間をいただければ」
**
キャンベル子爵領は、王都から馬で半日ほど北に行った丘陵地帯にあった。
面積はウィンストン子爵領よりも小さかったが、山岳地帯が少なく、平地の多い領地だった。麦畑と牧草地が交互に広がり、村が点在していた。
アンナが乗った馬車が屋敷に到着すると、ポールは自ら出迎えた。
「遠いところをすまない」
「構いません。来る途中で、キャンベル子爵領の畑や民家を見ながら来ました」
「馬車の中から?」
「いえ。馬車から降りて、領民と話しましたよ」
「相変わらずだね」
ポールは苦笑した。
執務室に案内されたアンナは、積み上げられた帳簿を前に、作業に取り掛かった。
過去十年分の収穫記録、納税記録、市場への出荷記録。量は多いが、整理されていた。帳簿には見慣れた筆跡が書き込まれており、ポールなりに把握しようと努力した痕跡があった。領地経営に興味を示さなかったモーリスとは違い、ポールの姿勢には好感が持てた。
アンナはまずは全体を把握するために、一冊ずつ帳簿を開き静かに数字を追った。関連する帳簿の整合性を確かめていくうちに、アンナは違和感を持った。全ての帳簿を見比べ、数値を検証し、それが確信に変わった。
「ポール、この村の小麦の収穫記録を見てください」
部屋の隅で書き物をしていたポールが顔を上げた。
「どれだい?」
「ここです」
アンナが指し示したのは、領内でも有数の生産量を誇る東部地区の収穫記録だった。
「肥沃な土地にも関わらず、生産量が少ない。害虫の被害があった、と徴税官から報告がなされたはずだ」
「そこではありません。問題は、三年前から生産量がほぼ同じであることです」
「それは……三年間、ずっと害虫被害があったということでは?」
アンナが右の口角だけを上げると、ポールは首をすくめた。
「天候が毎年同じなら、害虫被害が理由かもしれません。しかし、去年は春に長雨があり、一昨年は初夏に干ばつがありました。害虫被害があったとしても、収穫量は大きく違うはずです。それなのに、過去三年間の収穫量の誤差は一割もありません。不自然ですよね?」
ポールは帳簿を覗き込んだ。
「……確かに。数値が揃いすぎている」
「市場への出荷記録と突き合わせると、さらに差が出ます。農家が申告した収穫量より、市場に出回っている量が多い。誰かが、収穫量を過少申告したとすれば、辻褄が合います」
腕を組んでじっと黙っていたポールが、口を開いた。
「つまり、申告書と実際の収穫量との差額が、どこかへ消えている?」
アンナがこくりと頷くと、ポールは長いため息をついた。




