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「あの日から、先輩のことが大好き、なんです!!」
艶やかな黒髪と大きな瞳を潤ませて、自分の名前の果実に負けないほど真っ赤な顔で、可憐な少女は告白をした。
「ーーごめん、嬉しいけどその気持ちには答えられない」
男は、申し訳なそうな顔で目を伏せる。
「ーー!!分かって、ました。先輩の気持ちが私に向いてないのは。
でも、この気持ちが無くなるまで、先輩のことを好きで、いさせてください」
泣きたくて、泣きたくて仕方ないはずなのに、その少女は、涙を堪えながら、美しく微笑んだ。
そして、男が去って行った後、その少女ーー筒野林檎は、ベンチへと座った。
あぁ、振られてしまった。
じわりとじわりと、それを理解し、涙腺が緩んでいく。
本当に好きだったのだ。
初恋の時のように、ならないように。
自分じゃダメだと諦めてしまった、あの時の悔しさをバネに努力したのだ。
彼の隣に立てるように。
彼に見合う女の子になれるように。
頑張ってきたのだ。
それも、全て無駄になってしまったのだけど。
林檎は分かっていたのだ。
彼は、自分を後輩としかみていないことに。
彼の視線はいつも、あの人に向いていたのだから。
これから、きっと彼とあの人の仲睦まじい様子を見ることになるのだろう。
それは、とても心が痛いことだ。
あの人は、自分にとっても可愛がってくれる先輩で、尊敬する人でもある。だから、幸せになってくれて嬉しいとも思う。
だけど、どうしても心が痛い。
ーーそれに、あの人は。
林檎はキツく、手を握りしめる。
「……今だけ、だから」
ポタリ、と林檎の頬に涙がこぼれ落ちた。
ーーあぁ、檸檬先輩はずるいな。
私の欲しいものを全て持ってるんだ。
こんな黒く淀んだ感情を、洗い流すかのように、彼女はひっそりと涙を流した。
**
男は画面を見つめながら厳しい顔をしていた。
「いいか、彼女の元に人1人近づかぬように警護してくれ。そして、無事に彼女が家にたどり着くまで見守っていてくれ」
『Yes,BOSS』
指示を出したことにより、男は画面のある部屋から出て、広々としたリビングで、思いっきり壁を殴った。
ダァン!!という音と、微かに揺れる。
「ああああああああ!!!!!!!!!!林檎たんがぁああああああ!!!!!!くっそ!!!!今すぐにでも慰めに行きたいのに!!!!!!忌々しい抑止力め!!!!!」
男ーー西園寺皐月は、大いに叫んでいた。
この様子だけ見ると、林檎をストーカーしてるヤベェやつに見えるが、勘違いしてはいけない。
この西園寺皐月という人物は、世界的にもトップクラスの財閥の御曹司であり、容姿も極上、頭も良く、カリスマ性もあるという、どこの乙女ゲームや少女漫画の王子様かな?というスペックを持つ。
しかし、中身は前世の記憶があるアラサーのオタク女子の日向皐月である。詐欺かな?
彼女は、生前、「恋する果実」という少年漫画の筒井林檎というキャラクターをこよなく愛していた。
そして、彼女がなんの因果か、異性同名である西園寺皐月として生を受けて、彼女がこの世界に気がついた瞬間、決意したのだ。
ーー私が林檎たんを、幸せにしても構わんのだろう?
皐月と抑止力との長きに渡る戦いの火蓋が切られたのだ。
林檎の所在地を調べて、小中高同じになるようにした。あれ、やっぱりストーカーかな??
しかし、現在の父との交渉の末、小学校は決めたところにしたら、あとは好きにしていいということで決着をつけたので、泣く泣く小学校は一緒ではなかった。
そして、皐月が中学3年のとき、入学式で初めて、林檎を目にした時、皐月は確信した。
ーーあぁ、日向皐月は筒井林檎に恋をしていたのだ。
漫画のキャラクターであっても、彼女は間違いなく筒井林檎に恋をしていたのだ。
少しずつ、自分の地位をフル活用して林檎と接触し、交流していくことで、皐月は理解した。
彼女は、日向皐月が恋した筒井林檎ではない。
西園寺皐月が、恋した筒井林檎という少女である、と。
それを自覚した皐月は、林檎に告白しようと決意したのだが、何故か告白できないようにされるのだ。
手紙を書こうとすると、突然紙が破れる。
メールを送ろうとすると、携帯が起動しなくなる。
直接伝えようとすると、何故か林檎に会えない。
西園寺家の力をフル活用しても、告白ができないのだ。
そして、皐月は気がついた。
まさかこれは、抑止力のせいなのでは、と。
どうあがいても、林檎があの主人公に惚れて振られるというのが決定づけられているのだろう。
そんなもの、糞食らえである。
皐月は、足掻いた。
何が何でも林檎に告白するために、全力を尽くした。
しかし、残念なことに、誠に遺憾ながら、中学時代は結局のところ、告白できず林檎の中でも「優しい先輩」としか認識されていない。
こうなったら、原作の舞台である高校だ!と、皐月は意気込んだ。
何故か皐月の願書が届いていない(西園寺家の力でゴリ押した)や皐月の試験問題だけ付属の大学入試試験と取り間違えられた(余裕で満点とった)など、高校に入学させまいという抑止力を感じたが、皐月は抗っていた。
無事に、入学して、来るべき決戦の時まで地盤固めをして、一個下である主人公と正規ヒロインである義理の妹が入学し、始まる原作と戦おうとした途端。
皐月の交換留学(海外)が決まったのだ。
しかも、期間は2年間。
最悪なことに、戻ってこれるのは、皐月が高3になった2月15日。
例のバレンタインデーには戻ってこれないのだ。
それはもう、抗議した。
いくら決められたとしても最終的には本人の意思による決定なのだが、困ったことに相手の学園が、西園寺家と親交の深い系列であり、向こうからの指名てまあったのだ。
しかし、そんなものは知らんと皐月は
了承しなかった。
年老いた理事長や学園長やらから、泣いて懇願され、土下座されても優雅に微笑み、「No」を突きつけていた。
絶対にこの学園から動かない姿勢。
抑止力に、俺は再び勝利する!!と息巻いていたのだが、思わぬことが起きたのだ。
現在、妊娠中である彼の実母の容態が良くないようだ。そして、今は実母である妻を超絶溺愛している実父から、皐月が強制帰宅(海外)を命じられたのだ。
無論、それも断った。母は心配だったので、土日はそちらに向かうつもりだった。
そして、第一次親子喧嘩が勃発した。
世界経済が大幅に揺れ、各所が混乱に巻き込まれながらも、行われる親子喧嘩は、最終的に母が「いいのよ、大丈夫だから。皐月の好きにしなさい」という言葉で、ようやく落ち着きを取り戻した。
そして、母のことが大事である皐月は泣く泣く強制帰宅を受け入れた。何が何でも例のバレンタインデーまでには帰ってきてやると心して。
母が無事に弟を産み、母子ともに健康であり、交換留学としての務めも早々と果たして、よし帰るかと準備していたのだが、思わぬ伏兵にあう。
弟である。
弟が皐月にめちゃくちゃ懐いたのだ。皐月の姿が見えないのなら泣いて泣いて泣いて泣きわめく。母が抱き上げると多少は落ち着くが、それでも泣く。父は論外。子どもはもちろん愛しているが、それよりも母を溺愛している父が、母とイチャラブするために、皐月に弟の子守をさせようとして、第二次親子大戦、勃発はしなかった。母が、弟の子育てはしっかりやる!と父にNo!と突きつけてことと、皐月は、元々弟がいて、遺してきてしまったことからも、弟という存在にはどことなく後ろめたさがあったのだ。
くっ、抑止力め!!!なんて卑劣な!!
それでも、あのバレンタインデーには帰ってやる!!と意気込み、なんとか^前日の帰宅をもぎ取ったというのに。
何故か飛行機やジェット機が不具合で飛ばない。
やっと飛んだと思えば、また不具合に、ハリケーンという自然災害までやってきて、物理的に不可能とされ、皐月が日本の大地を踏むより先に、2月14日は訪れた。
そして、画面で涙をする愛おしい少女に、胸を掻き乱れ、全てを破壊してやろうかというドス黒い感情に抱きながら、血の涙を流していた。
悔しさを堪えながらも、皐月は日本にいる部下に指示を出していたのだった。
つまり、皐月は、抑止力に圧倒的な敗北を喫したのだった。
「ちくしょう!!!!!抑止力!!!てめぇ!!!これで勝ったと思うなよ!!!例え、俺が林檎たんと付き合えなくとも、林檎たんを幸せにするんだからな!!!」
皐月は、確かに筒井林檎を愛している。たが、自分が受け入れなければ、それはそれでいいと理解しているのだ。
ただ、彼女が幸せになってくれるのならいいのだ。
それだけを、皐月は願っているのだ。
あの子が、笑っていられるのならそれでいい、と。
だから、彼は決して諦めない。
また、あの子が心から笑えるまでは。
その闘志を胸に、再び皐月は決意したのだった。
『BOSS』
「なんだ」
『彼女の妹がやってきました』
部下からの声に、皐月は画面のある部屋へと戻る。
そこには、目の腫れた林檎が見てるこちらが胸を刺されるような心配させないように、こちらからは背を向けた黒髪の幼い少女と話しているようだった。
恐らく彼女は、筒井梨花だろう。無論、彼女も主人公のハーレムメンバーの幼女要員の、可愛い妹ちゃんである。将を得るにはまずは、馬からとあるように、何度か接触しようと思ったのだが、何故か彼女とも接触できず仕舞いだった。
「彼女たちが無事に帰れるように」
『Yes、BOSS』
無事に帰り着いた、という報告を聞き、部下に労りの言葉をかけて、皐月は通信を切った。
さて、今後の作戦を立てなければ。
**
皐月は、知らなかった。
皐月が死んだ後の、原作において、あのバレンタインデーの後、梨花が迎えに来ることはないことを。
皐月は、知らなかった。
あのバレンタインデー後、筒井林檎は、不慮の事故にあって、死んでしまうことに。
皐月は、知らなかった。
すでに、抑止力が破綻していることに。
皐月は、まだ気づかない。