第14話 半分のカルテ
古い個別治療票を探しているうちに、レナートは自分が何度も同じ棚を開いていることに気づいた。
「その病院の記録はこちらじゃありません」
マリエッタが奥の部屋から戻ってくる。
「でも、同じ患者番号が載っています」
「それは人間側の個別治療票ですね。竜の回復確認票は別の綴りにあります」
彼女は背の低い書棚から、青い紐で綴じた記録を抜いた。中には時刻と竜の名が細かく並ぶ。古い書体だが、記録の仕方は驚くほど明快だった。
「なぜ分けたんです?」
「理由は一つじゃないですよ。人間の処置と竜の健康管理は、担当する人が違いますから。災害のときは、それに加えてもっと事情がありました」
リディアが帳面を受け取った。
「ただ、共通の治療番号は残っていますね」
「ええ。帳簿は別々でも、あとで照らし合わせられるようになってるんです」
二人は一件の記録を照合した。人間側の票には治癒息を受けた時刻と負傷の経過。竜側には治癒息の使用時間、そのあとどのくらい休んだかがある。
回復確認票には、似たような欄が二つあった。
ひとつは、安静時の呼吸が落ち着いたか。もうひとつは、医師が次の治療への復帰を許可したか。
「ここ、どっちも丸が付いてないと仕事へ戻れないんですね」
「そう。寝起きに元気そうだからって、すぐ働かせるわけにはいかないでしょう」
マリエッタは二つ目の欄を爪で示した。
言われればそのとおりだった。だが、現代の症例票では二つの確認が一つの欄にまとめられている病院もある。
「昔の人はみんなこの方法を使っていたんですか」
「いいえ。診療所によってずいぶん違いました。慣れた世話係がいれば丁寧だったし、いなければ抜けることもあった」
リディアは二つの帳面を並べて番号を書き写した。
「古いほうが何もかも優れていたわけではない、と」
「ええ。帳面が二冊あるだけで失くしやすかったですしね」
昼前、若い職員が照合表を持って駆け込んできた。
「確認済みにしてもいいですか。集計の締切が近いんです」
二枚の個別治療票には同じ患者名があり、治療日も近い。傷の部位まで似ていた。職員は同じ人の治療だと思い、集計表の空欄に鉛筆で番号を書き込んでいた。
「ちょっと待って。その番号、どこで確かめたの?」とマリエッタが聞く。
「こちらです。ほとんど同じ数字でしょう」
差し出された票の末尾は、水ににじんで読めなかった。もう一枚には竜の名があるが、にじんだほうにはない。
「同じ町に同じ名前の人はいないと思いました」と職員は言った。
「いますよ。パン屋のロザンナさんだって、親戚に同じ名前の人がいるもの」
リディアは職員が書いた番号を見た。これを正式な照合表へ移せば、ある竜の治療件数が一つ増える。実際に担当した竜が違っていたら、負担を見積もる数字が狂う。
「この二枚は保留にしましょう」とレナートは言った。
「でも、空欄のまま提出したら、調べていないと思われませんか」
「誰の治療か分からないのに、竜の名を書くほうが危ない」
職員は鉛筆を置いた。リディアは試算の紙に『未照合』と書き、正式な表から離して置く。
「保留にした理由も残します。あとから調べ直せるように」
マリエッタが二枚を別々の封筒に収めた。職員は見えなくなりかけた番号の位置に目印を付けた。さっきまで集計の数字を一つ増やすことしか考えていなかった手が、今は慎重に動いている。
昼の予約を知らせる鐘が鳴り、職員は席を立ちかけた。けれど、封筒の端に番号の読めない部分を示す目印を付けてから、受付へ向かった。
午後のはじめ、リディアは別の病院から届いた現代の個別治療票を見せた。治癒息を使った患者の治療が終わった時刻はあるのに、竜の回復確認票が別の棚に保管されており、対応がすぐには分からない。
「この病院の様式は、番号が竜側と共通じゃありません」
「昔より便利になったつもりで、別の不便を作ってたのね」
マリエッタは紙をめくり、病院の照会先を探した。
担当者へ連絡して分かったのは、治癒息の記録自体が欠けているのではなく、患者名で探す台帳と、竜の名前で探す台帳が別々になっていたということだった。探し方が分かれば照合できる。ただ、急いでいるときに必要な情報をそろえるのは難しい。
「この一件なら、病院へ連絡して確認が取れました」
リディアは返信の紙を広げた。患者側と竜側の担当者の印がそろい、治療時刻も矛盾しない。照合を終えたのは昼前に受け取った分とは別の記録だった。
「一つずつ調べれば分かる。でも、急いでいるときにこれをやるのは大変です」
「そのうえ担当者が転勤したら、誰に聞けばいいかも探さなきゃならない」とマリエッタ。
返ってきた一枚には、竜の経過について別の気になる点があった。治療後に「回復」と記入されているのに、治療復帰を許可した医師の名はない。別の欄に記されているのだろうか。リディアは問い合わせ用の紙をもう一枚取り出した。
「だから、共通の治療番号が必要なんです」
マリエッタは古い紙の端を見せた。そこに書かれた小さな数字が、もう一冊の記録に同じ形で残っている。
「十七年前の人も、後で二つを合わせる必要があるって分かってたんですね」
レナートが言うと、彼女は頷いた。
「残した人は、あとで照らし合わせるつもりだったんでしょうね。問題は、次の人が数字の場所を知らなかったこと」
リディアは照会先の名前を控え、確認できた記録にだけ署名した。昼前の二枚には、まだ印を付けない。
調査が進むと、十七年前の中央診療所の記録に行き当たった。午後一時から五時まで、治癒息による人間の治療はゼロ。すでにロレンツォが語っていた四時間だ。
しかし竜の経過欄には、その間も細かな記入が続いていた。
アルト、十五時十分、安静時の呼吸改善。
セヴラン、十六時四十分、安静時の改善。
治療復帰を許可する欄では、二頭の記載が違っていた。
「アルトは五時に戻っている。でもセヴランは、その時刻にも許可が出ていない」
レナートが言うと、マリエッタはすぐ答えた。
「そうですよ。あの日は一緒に休んだからって、一緒には戻らなかった」
「なら、この違いが今の症例でも起きていないか調べてみます」
リディアは古い書式の欄を書き写した。
記録の照合が進むにつれ、病院ごとの違いも見えてきた。ある施設では治療後の検査を毎回記しているが、別の施設では一定時間休ませたことしか残していない。また別の施設では、竜の普段の健康状態を知る世話係の名が記されている。
「これも、欄の名前だけでは分かりませんね」
レナートが二枚を裏返すと、リディアは照会の必要な箇所へ付箋を貼った。
資料を運んできた若い職員が、二人の会話を聞いて尋ねた。
「前の記録が正しいなら、あれをそのまま使えばいいんでしょうか」
「いいえ」
リディアとマリエッタの声が重なった。
「当時は帳面が二冊に分かれて、必要な票を探し回ったのよ」
「今の病院でも使うなら、誰が書いて、誰が照らし合わせるかを決めないといけません」
職員は困った顔で紙束を見た。マリエッタはその一番上から、探しやすいよう番号順に並べ直してみせた。
「いいところだけ、今の様式に取り入れられないでしょうか」
机の上に紙が一枚増える。三人は次の仕事を決めた。何が違うかを一覧にし、記録をつなぐ方法を探すこと。古い書式をそのまま使うのではなく、現在の診療所で無理なく続けられる方法を考える。
夕方、レナートは午前中に保留にした二枚へ戻った。照合できた記録が増えても、患者番号の欠けたほうは、どの竜が協力したのか断定できないままだった。
「分からないなら、分からないままにするんですね」
「もちろんです」
マリエッタはその一枚へ目印をつけた。
「急いで答えを作ると、あとで誰かが困りますから」
レナートはその言葉を聞き、王都で保留になった報告書を思い出した。
リディアが持ち帰る照合表には、確認済みの番号が四つ、保留が二つ。彼女は保留の二行を赤く囲まず、空欄に日付だけ記した。
マリエッタが二つの綴りに別々の紐をかけた。若い職員が受付へ戻る前に、棚の保留票へもう一度目を向ける。
「明日、番号の出所を聞いてきます。まだ分からなければ、そのまま戻します」
「頼むよ」とレナートは答えた。




