第五話 ビジネスパートナー
ネットニュースを調べると、昨日の日付で、ここから一キロほど離れたところにあるマンションの一室が火事、という記事が出てきた。
記事の最後に、マンションの住人と連絡が取れていないという一文がある。なるほど、どうやら嘘ではないらしい。
「これ、一大事なんじゃ?」
出火元の一室だけでなく、周囲の部屋も黒焦げになっている写真からは、補償やお詫びといった大変カロリーが高い後始末が想像できる。
五代はあっさりと言った。
「うん。集めるのに苦労した貴重な資料もあったのに、全部燃えちゃったなあ。もったいない」
そこなのか。
ななは、五代の顔をまじまじと見た。睫毛は長いし、まっすぐな鼻筋はどの角度から見ても、美しく整っている。ななが知っている顔がいい男の中で、間違いなく十指に入るだろう。だがしかし、これはアンドロイドだと言われても真実味がある。先週見た近未来SFの話を思い出した。
「……普通、放火されるなんてことそうそう起きないと思いますが、どんなエキセントリックな方と交際を?」
五代は、ちらと廊下に繋がる扉の方を見た。擦りガラスがついた扉に映る人影がないことを確かめると、パソコンで大手検索サイトが運営している無料メールサービスにアクセスした。
「別に普通の子だったと思うよ」
「普通の人は、放火なんてしないと思います」
五代はログインパスワードを打ち込んだ。人に知られるとまずいという感覚はないのだろうか、堂々とパスワードを入力する。
しかし長い。長すぎる。ななの感覚では十文字以上で長いと感じるパスワードを、恐らく倍以上の桁を入力している。伏字が入力欄を埋め尽くし、それでもキーボードの入力は止まらない。
「え、何文字?」
「確か六十四文字」
ななは驚愕した。ますますアンドロイド説が濃厚になった。
ログインが完了して——一度も打ち間違えなかったというところも、ななからすると人間業じゃない——メールの受信ボックスが表示された。英語タイトルのメールがずらっと並んでいる。ほとんど開封済みだ。迷惑メールをそのまま残しておくタイプなのかもしれない。
アカウントの名前が見えた。五代雅通。名前は嘘ではなかったようだ。それだけのことに、なぜか安心した。
「別れ話でこじれたってことは、浮気か何かしたんですか」
「浮気? してないよ」
本当だろうか。人の家を放火するなんて、よほどのことだ。むしろ今までの五代の印象や話を合わせると、この男のしたことが原因で放火に繋がったとしか思えないのだが。
「だって恋人じゃなかったからね。お互い割り切った関係。時々会って寝る。それだけ」
「……それ、お相手も納得されてたんですか」
「関係持つときにちゃんと言ったよ。僕が彼女を好きだとか愛してるとか言ったことは一度もない。なのに、飽きたから別れようと言って、あそこまで激昂されるとは思わなかったな」
なんてクズだ。昨日あのまま放置しておいたほうが、泣かされる女性が減っていいことだったのかもしれない。
「それで放火されて、命からがら逃げだしてきたと?」
「燃え盛る火の中で包丁を向けられて一緒に死んで、って言われてね。とんでもなく刺激的な夜だった」
五代は誰か宛にメールを作成して送信した。そのまま複数件、別の宛先に同じ内容のメールを送ったようだ。
テレビ画面は相変わらず風刺たっぷりのミステリー映画が流れている。キャスト全員が大真面目に演技しているが、すべてジョークのため、まったく緊張感がない。
ななの反応がなくなったことに気づいたのか、五代が視線を向けてきた。
「どうしたの。すごい怖い顔してる」
「……いえ。どうしたらこんな芸術みたいなゴミができるのかということを考えてました」
「不思議なこと考えるね。ななちゃんって芸大生か何か?」
「普通の大学生です。N大の経済学部二年。春から三年」
「N大」
五代が一瞬、片眉を上げた。なんだろう、と疑問に思ったとき、リビングの扉が開いて西山さんが入ってきた。
「ななお嬢様」
西山さんの顔は、少し緊張しているように見えた。きっと父に連絡したんだろう。それで多分、こう言われたのだ——。
「旦那様が、明日の夕食を、ぜひお嬢様と五代様との三人でご一緒したいと」
予想通りの展開。父なら今日の夕食を指定してきてもおかしくなかったけれど、そうならなかったということは、どうしても欠席できない食事会が今日あるのだ。なんにせよ、こちらとしては対策する時間が取れる。ラッキーだ。
「ありがとう、西山さん。わかったって伝えておいて」
西山さんは頭を下げると、職務に戻っていった。ほどなくして、リビングの外から掃除機の音が聞こえ始める。
ななは息をひとつつくと、五代の格好を上から下まで見た。同じソファに座っているので、足の長さがよくわかる。
「五代さん、替えのスーツある……わけないですよね」
黒焦げになったマンションの写真を思い出した。オーダーメイドの高級スーツだ。通常は出来上がるまでに何カ月もかかる。今日の明日でそろえるには難しい。既製品のスーツを買うことは可能だけれど、父はなな以上に目が肥えている。一目で評価がガタ落ちになることは間違いない。
それに、既製品でこの足の長さがカバーできるとは思えない。
「あるよ」
五代の答えに、ななは驚いた。
「あるんですか」
「車に一着と、職場に一着。あとクリーニングに出してるものが三着」
なるほど。それは僥倖だ。
「じゃあそれを着ましょう。あとは……身分が証明できるもの?」
「名刺は職場に行けばあるよ。一応、身分証明できるものも」
「完璧ですね」
同じクズでも、仕事ができないクズよりはできるクズのほうがはるかにマシだ。後者ならまだビジネスパートナーとして尊敬できる。
「お昼食べたら、それ確保しに行きましょう。尾行には気をつけてください」
「……尾行?」
「西山さんは尾行のプロです」
五代は一瞬、黙り込んだ。
彼の視線が、ななの頭のてっぺんからつま先までを行き来する。
「……ななちゃん、きみ一体何者?」
それはこちらの台詞だ。




