↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
クズの分別~五代夫妻は度し難い~  作者: 梨千子
第五章

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

PR
34/37

第三十四話 状況が変わった

 四人用のテーブルだ。

 前菜の盛り合わせとお酒が入ったグラスが二脚あった。たしかにこれだけを見れば「知り合いと飲んでくる」というのは嘘ではない。嘘ではないが……。


「五代さん。連絡が遅いです」


 ななは、提げていたお弁当の入ったビニール袋を見せた。


「夕飯を買った後に、いらないって言われても困ります」


 五代は呆気にとられた様子だった。


「えーっと……ごめん」


 ちょうど、店員がななの分の水を運んできた。


「ななちゃん。とりあえず座る?」


 彼は隣の席を引いた。仕方がない。一応入ってしまったのだから、何も食べずに出て行くわけにはいくまい。水も運ばれてしまった。

 なながコートを脱いで腰を下ろすと同時に、母がころころと笑った。


「久しぶりね、なな。相変わらず面白い子ねえ」


 身バレ対策だろう。母は伊達メガネをかけていた。化粧もいつもの華やかなものとは違い、地味目のナチュラルメイクだ。とはいえ、元々のオーラは隠すことができない。五代も美しい男なので、自然と周囲の興味を引きつけてしまう。鞠子がそうだったように、すでに何人かに特定されていてもおかしくはなかった。


「ちょうど、五代先生から法医学のお話を聞かせてもらっていたのよ」


 膝の上にお弁当が入ったビニール袋を抱える。もう熱は残っていない。レンジで温め直しても美味しくないだろう。


「何か飲む?」


 五代がメニューを取って、ななに開いて見せた。


「生ハムの詰め合わせとラザーニャを頼んでるけど……あんまり食べない方がいいかも」


 最後の方は、そっと声が潜められた。ななは無言で、ホットのカモミールのハーブティーを指した。五代が手を上げ、やってきた店員にそれを注文する。


 その間に店内を見回すと、鞠子と貴仁が別の席についているのが見えた。こちらをうかがっていた鞠子と目が合う。大丈夫だよ、とうなずいておいた。


「そういえばなな、あなた春から三年生でしょう? 卒業後の進路はもう決めたの?」


 母は、いかにも母親らしいことを言った。


「特に決めてないです。株取引で稼げていますし。会社経営はちょっと面白そうですけど」


 出された水を少し飲む。


「会社経営ねえ。宗一郎さんの影響かしら。友成の会社を継げばいいんじゃない?」

「それは、責任が大きいからやりません」

「宗一郎さんは、あなたに継いでほしがってるんじゃないかしら」


 コップをテーブルに置いた。比較的大きな音が鳴った。母が黙った。しかし、口元にうっすらと笑みが残っている。


 生ハムの詰め合わせと一緒に、ハーブティーが運ばれてきた。ふわりとカモミールの爽やかな香りが鼻をつく。


「そんなに怒らなくても」


 母はフォークを手に取って、生ハムを一切れ、くるくると巻いて口に入れた。


「宗一郎さんがあなたを愛しているのは事実なんだし——」

「だとしても、あなたが言うのは違うと思います」


 つい、母の声を遮るように言葉を重ねていた。彼女はやはり笑みを崩さないまま、「ななったら、冷たいんだから」と流した。


 ハーブティーを飲む。温かく優しい味がする。飾り気のない真っ白のティーカップから白い湯気が立ち昇っていく。ゆっくり息を吸って吐いた。


「ななちゃん。帰ろうか」


 突然、五代から声がかかった。思わず顔を上げる。まじめな顔をした彼と目が合った。

 口を開いたところで、注文していたというラザーニャが運ばれてくる。チーズとミートソースがとろりと重なって、食欲がそそられる匂いが漂った。


 しかし、五代は料理に見向きもしなかった。


「すみません咲さん。僕たちはお先に失礼します」

「あら。せっかく料理が来たのに。私一人だと食べきれないわ」

「申し訳ありません。また今度、機会があれば」

「さっきの質問への回答。聞かなくていいの? それが聞きたくて、私に連絡してきたんでしょう?」

「ええ」


 五代は立ち上がると、コートを羽織る。


「状況が変わったので、そちらもまたの機会にお願いします。——ななちゃん、帰るよ」


 五代が手を差し出してきた。


 ななは、テーブルの上の料理の山を見た。少し減った前菜の盛り合わせ。母が一切れだけ食べた生ハムの詰め合わせ。一口も食べられていない熱々のラザーニャ。五代が頼んだ酒は、半分も減っていない。左手で支えている膝の上のビニール袋が、がさりと音を立てた。


 ぎゅっと握り返されて、気がついた。いつの間にか、差し出されたそれに手を重ねていた。


 熱い。

 いや、自分の手が冷たいのか。


 ななが立ち上がると、五代がななのコートを広げて着せてきた。腕を通し、前でコートのボタンを閉める。「あらあら」と母が笑っている。お弁当のビニール袋と鞄を奪い取られて、ななの両手が空いた。


「では咲さん、よい夜を」


 最後に五代は、テーブルに伏せられていた伝票を取って、母に背中を向けた。背中を押されて、ななはレストランの出口に促される。


「五代先生」


 別れ際、母は笑いを含んだ声で言った。


「さっきの質問の答えだけど——イエスよ」


 五代が振り向く。ななは振り向かなかった。


「嘘偽りなく、本当よ。誰に理解されなくても。心から愛しているわ」


 まるで眠る前の幼子に、絵本を読み聞かせるような声色だった。


 五代は返事をしなかった。無言でななの手を引き、その席から離れる。代金を支払って、外に出た。

 途端に息が白く凍る。来た時より、気温が下がっていた。


「代行……は、今から呼ぶと待ち時間が長すぎるか。タクシーで帰ろう」


 五代がそう言って、駅の方角へ歩き始めた。


「……車は?」

「あそこの立体駐車場。明日取りに行くよ」


 指し示された有料駐車場の看板には、それなりの料金が表示されている。明日取りに行くとなると、結構な出費額だ。


 前を行く五代の背中を見た。右肩に自分とななの鞄を抱え、手にはお弁当の入ったビニール袋。左手はななの手で塞がっていた。薬指の指輪が目に入る。


「良かったんですか。お母さんとの話」

「うん、まあ」

「……邪魔をしましたか」

「いや? 欲しい回答はもらえたし、あまり長く一緒にいてもまずい人だからね」

「あまり、母の話は鵜呑(うの)みにしないほうがいいと思います」

「うん。そうする」


 五代はゆっくり歩いている。歩くたびに、ガサガサとビニール袋の音が鳴った。彼の膝がどうしても袋に当たるらしい。繋がれた手が邪魔なのではないかと思ったが、温かかったので黙っておいた。


「……今日の夕飯、五代さんの分は親子丼です」


 なぜかそんなことを口にしていた。


「僕、好きだよ。親子丼」

「もう冷たくなっちゃいました」

「レンジでチンしたら大丈夫」


 ここの幕の内弁当の鮭は焼き加減が命で、レンジで温め直したら美味しさが損なわれてしまうのだが——。

 口には出さなかった。


「五代さん」


 その代わり、ななは別のことを提案した。


「離婚。しましょう」

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。