第二十八話 警告
無言で白い封筒の口を開く。
糊はされていない。中身を取り出すと、ここ最近のななの写真が出てきた。主にランチ風景と夕飯のお弁当を買い求める姿だ。ついにこの間閉まってしまったフランチャイズのお弁当屋の前で、絶望している顔も入っていた。
「よく撮れてますね。さすが西山さん」
「それ、感心するところ?」
五代のツッコミが入る。
写真を見ていくと、この間参加した天道咲出演映画の試写会に向かうななの姿も入っていた。会場隣にあるショッピングモールのステーキ店で、肉をかじる写真だ。それから写真は、五代のピン写真になった。量販品店でシャツを購入する五代、ペットボトルの水を購入する五代、それから二人組の女性に声をかけられている五代。服装から、ななが嘔吐して倒れた後の五代なのだろうなと予想をつけた。
「明らかにナンパされてますね」
女性二人の顔は写っていないが、にこやかな応対をしている彼の表情はバッチリ撮れている。
「いや、さすがに断ったよ?」
五代は自身の写真を一枚手に取って、唇を曲げた。
「全然、撮られてるなんてわからなかったな。一応警戒していたつもりだったんだけど」
それはそうだろう。ななは写真をテーブルの上に置いた。
「前に言ったじゃないですか。西山さんは尾行のプロだって」
素人の五代が勝てるはずがない。ななだって、西山さんの化粧を落とした姿を知らないのだ。
「西山さんはどうして盗撮を?」
五代が写真から顔を上げて聞いた。
西山さんはうつむいている。封筒の中身を確認した段階から、目を伏せてこちらを一切見なかった。顔が白いのは、ファンデーションのせいだけではないだろう。五代の問いにも、答える気がないようだった。
さらに質問を重ねようとした五代の肩を、ななはぺちっと叩いた。
「西山さん、どうして? お父さんから依頼されたわけじゃないよね」
なながそう聞けば、彼女は観念したように首を振る。
「旦那様は関係ありません。お嬢様に対する警告のつもりでした。五代様に女がいると匂わせておけば、離婚を考えてくれるだろうと」
「途中から、ななちゃんだけではなく僕まで追いかけ始めたのはなぜです?」
五代が口をはさむ。
そんな写真あったっけ。記憶をたどったが、思い当たるものがない。五代単独の写真が撮られたのは今回初めてのはずだが……まさか?
ななは、五代を横目でにらんだ。
「五代さん。私に無断で、また写真を勝手に持っていきましたね?」
「……その話は後で」
すました横顔だった。このクズめ。今の今まで黙っていたのか。何が写っていたのかは知らないが、きっと都合が悪いものだったのだろう。女絡みに違いない。
「それで、どうして僕まで盗撮を?」
西山さんは顔を上げた。ひどく思い詰めた表情だ。
「——五代様と関係のあった女性が、不審な死を遂げたと知ったからです」
冷えた眼差しが、五代に向けられる。はっと彼が息を呑む音が聞こえた。
ななは、テーブルの上の写真に目を落とした。ナンパされている五代の写真。大学の裏サイトでブロマイドが取引されていることといい、とにかく大変目立つ男なのは確か。彼を巡って死人が出たということだろうか。春日の放火事件のこともあるし、女運がいいのか悪いのか、よくわからない男である。
五代は前髪をぐしゃりとかき上げると、長い息を吐いた。
「五代さん?」
「うん、ごめん。ちょっと……今まで生きてきて一番、後悔してるかもしれない」
五代は頭を抱えてテーブルに突っ伏した。よくわからないが、何かとてもダメージを受けているらしい。多分女絡みなのだろう。自業自得である。
はあ、とまた息を吐くと、五代は飲みかけのコーヒーに口をつけて、眉をしかめた。きっと冷めていたからだ。彼が立ち上がった。ななはカプチーノの残りを飲んでしまうと、さっと五代にマグカップを渡す。
「淹れ直すなら、私もカプチーノのお代わり。あ、西山さんの分も」
「はいはい」
ななのマグカップを回収して、五代はキッチンに入った。ややして、エスプレッソマシンの起動音が聞こえてくる。
西山さんは、居心地が悪そうに身じろぎした。何かを言いたそうな顔だった。
「何?」
「いえ……その」
西山さんの後ろで、五代がミルクを冷蔵庫から出して計量し始めた。二杯分だからか、普段よりも多めだ。
「お嬢様は、怖くないのですか。五代様の過去の女性が……」
「死んでいるってやつ?」
「はい」
うーん。少しだけ考えようとした。でも、考えるまでもないことだった。
ミルクをスチームする音が聞こえてくる。
「怖くないよ」
死の詳細はわからないが、きっと五代がこの後で教えてくれるはずだ。彼はクズだが、女を手にかけるような卑劣な男ではない。どうしようもないクズではあるが、そこは信用できる。
「ですがお嬢様」
「五代さんはごはんをくれるから怖くない」
今度は、西山さんが息を呑む番だった。みるみるうちに、彼女の顔が泣きそうなくらい歪んで、唇が噛み締められる。
ああ、しまった。余計なことを言ってしまった。
「お嬢様——」
「ストップ。ごめん、変な事言っちゃった。もう全然平気だよ。今のは西山さんを責める意図があったわけじゃなくて……」
西山さんはうなだれる。その肩がかすかに震えるのが見える。ななは黙り込んだ。ああ、ソファで話し合いを行えばよかった。そうすればアンディに抱き着くことができたのに。
やがて、五代がマグカップをみっつ運んでくる。ななと西山さんにはカプチーノ。五代はブラックコーヒー。二人分、きちんとラテアートがされていた。どちらもチューリップだ。
「何、どうしたの?」
五代が席につきながら、こちらを見てくる。さっきまでよくわからないことで落ち込んでいたようだったのに、もう普段の調子に戻っている。
「ちょっと昔のことを思い出させてしまっただけです」
「昔のこと?」
コーヒーの香りに、西山さんがそっと顔を上げた。五代の淹れたカプチーノに目をやっている。描かれたチューリップに興味津々のようだった。初めてそれを見たとき、ななですら驚いたのだ。きっと西山さんも、心を奪われていることだろう。
彼女がカプチーノに口をつけるのを見てから、ななも自分の分を飲んだ。うん、ミルクの軽さとコーヒーの苦みが絶妙なバランスを保っている。相変わらずプロ級の味である。
きっとお眼鏡にかなったに違いない。西山さんは何も言わず、続けてもう一口飲んでいた。
「で、五代さんの恋人が死んだんですか?」
「恋人じゃないよ。昔のことって?」
「順番です、順番。今は五代さんのターン」
「ターンって。まあいいけど……」
五代は先日あったというとある事件について教えてくれた。詳細は守秘義務らしく話してくれなかったが、過去に関係を持っていた女性が痴情のもつれで殺されたということだった。
なるほど。被害者の方はお気の毒ではあるが、話を聞く限り五代が直接かかわっているわけではないようだ。その「痴情」にはどうやら五代自身のことがほんの少し入っているようなので、責任が皆無とは言わないが……まあ、自身のクズさにようやく気がついたのかしおらしくしているので、勝手に反省していればいいと思う。
ごくごくカプチーノを飲んでいると、それを見ていた西山さんが、ようやく強張っていた肩の力を抜いた。
「お嬢様は、本当に怖くないのですね」
そうつぶやく声には、力が感じられなかった。
西山さんは背中をピンと伸ばすと、顎を引いてまっすぐこちらを見た。真一文字に唇を引き結んで、すっと頭を下げる。
「申し訳ございませんでした」
しばらく下がったままの後頭部を見ていると、なんだか居ても立っても居られないような気持ちになった。西山さんだとわかっていたのに、黙り続けていたのはななの方だ。
ななは衝動的に立ち上がった。五代に名前を呼ばれたが、無視をしてまっすぐリビングにいるアンディの胸に飛び込む。
「ななちゃん、ちょっと」
「いいのです、五代様」
顔をアンディに押し付ける。この間お風呂に入れてもらった影響で、毛はふわふわしていていい香りがする。五代は嫌がっていたが、ぜひまた入れてもらおう。三か月に一度……いや、二か月に一度くらい。
アンディ成分をたっぷり補充してから戻った。五代はコーヒーを飲んでいたが、席につくとちらと視線を投げてくる。西山さんは、静かにカプチーノを味わっていた。
「西山さん。それで、仕事の頻度の見直しに同意してくれる?」
話を最初の用件に戻すと、彼女はうなずいてくれた。
「はい」
「ありがとう」
よかった。ほっと息をつく。早速、新しい契約書を作らなければ。
そう思ったところで、西山さんがきっぱりと言った。
「ただし条件がございます」




