第十四話 生きている人間
五代は予定通りの時間に久世家に着いた。
友成家は洋風の建物だったが、久世家は純和風の家だった。漆喰と石でできた高い塀は瓦を敷いた屋根付きで、まっすぐ続いている。正門は瓦屋根をいただいて高くそびえ立ち、車が出入りできる幅広の入り口と、人用の入り口が分かれていた。塀と正門に遮られ、母屋の建物を見ることはできない。「久世」と立派な表札がある。
ななと幼い頃から親交があるという家だ、それなりの家格であることは想定していたが、資本主義が実感できて大変興味深い。
インターフォンを鳴らして名乗ると、既に話が通っていたのかあっさりと車側の門が開いた。純和風だが、中身はかなり手が入っているらしい。開き方が電動だ。
車を中に入れると、一番最初に目に入ったのは和風庭園だった。池がある。これだけでも相当な金持ちというのが見てわかる。父が開業医のため、それなりに裕福な環境で育ったという自負があったが、さすがにスケールが違う。
玄関に女性が立っていた。鞠子だ。
五代は車を止めて、外に出た。
「こんにちは、久世さん。連絡ありがとう。ななちゃんは?」
「は、はい、こんにちは。中で寝てます、どうぞ」
鞠子の顔に緊張と安堵が見えた。普段は毛先をカールさせているのに、今日はまっすぐだ。もしかしたら元々直毛で、毎回時間をかけて巻いているのか。
中に入る前に上着を脱ぎ、助手席に置いていた荷物と一緒に後部座席へ移した。助手席の背もたれも倒しておく。
鞠子の案内で家に上がる。玄関だけで、その辺の一人用マンションの一室はある。何度か廊下を曲がり、とある一室に入った。
純和風の建物だったが、その部屋は洋室だった。深緑の絨毯。大きな鏡つきのドレッサーが置かれている。化粧品が売り場にあるように綺麗に整列されていた。その近くに衝立と、そこにハンガーでかけられたワンピースがある。客室ではなかった。おそらく鞠子の部屋だ。
奥のベッドに、ななが眠っていた。こちらに背を向けている。
「ああ、どうも。こんにちは」
ベッド脇の椅子に、男が座っていた。昼前、映画館の前でななと一緒にいた男だ。彼は五代が入ってくると、読んでいた冊子を閉じて立ち上がった。
「鞠子の兄の貴仁です。初めまして」
挨拶をかわす。貴仁は白いシャツと紺のパンツというラフな格好だったが、育ちの良さを感じさせる品が全身から漂っていた。持っているのは映画のパンフレット。ななと一緒に見たタイトルのものというのがすぐにわかった。
「すみません。お預かりしていたのに、この有様で。来ていただけて助かりました」
貴仁の視線が、ななに落ちる。
五代は居心地の悪さを感じた。ななと親密な仲というのは間違いないらしい。恋人ではなさそうだが、よくわからない。
ベッドに近づいた。ななは大きな抱き枕を抱いて、横向きに丸くなって寝入っている。アンディの代わりなのだろうか。
「詳しい熱の温度はわかりますか」
「ええ、ほんの数分前に測り直したところです。三十八度三分。初回は三十七度六分だったので、上がってます」
貴仁の答えを聞きながら、五代はななの首筋に手を当てた。
「そばを食べた?」
「はい。天ぷらセットで。海老、穴子、茄子と舞茸、それとインゲンだったかと。最後のデザートに抹茶ソフトのあんみつ」
「今まで、そばを食べてこうなったことは?」
「わかりません。鞠子、知ってるか?」
突然話を振られた鞠子が、わずかにどもりながら答える。
「いっ、いえ。アレルギーのことを心配してるなら、ないと思います。昔一緒にわんこそばを食べに行ったし、そば粉のガレットとかクレープとか、ななはそういうの一度は食べてみる性質だから、よく付き合って一緒に」
なるほど。その光景が目に浮かぶ。
「ななちゃん」
軽くゆすって呼びかけると、ななから反応があった。
「ななちゃん、僕だよ。わかる?」
「……ごだいさん?」
寝ぼけた声が返って来た。意識の混濁なし。下のまぶたを下げて色を見た後、顎を手に取って口を開かせた。ななは嫌がるように首を振ったが、多少強引に確認する。
五代は顔を上げると、貴仁を見た。
「緊急ってわけじゃなさそうなので、いったん連れて帰ります」
「わかりました。手伝いますか?」
「いえ、大丈夫——」
五代は布団をめくった。ななはスカートだった。裾からぺろっと下着が見えている。慌ててもう一度布団を戻した。
「大丈夫です。毛布を一枚、貸していただけますか」
「持ってきます」
貴仁はパンフレットを置いて、部屋を出て行った。
毛布にくるんだななを抱き上げて運ぶ。彼女は小柄なので、運搬するのは比較的楽で助かった。
「失敗しました……」
運んでいる最中、汗で髪を頬に張り付かせたななが、小さく呟いた。
「失敗って何が?」
「こんなことになるなら……」
ななは、うう、とうめく。
「……抹茶かき氷の方も食べておけばよかった……」
とんだ食い意地の強さである。五代は黙りこんだ。
車の助手席にななを乗せて、扉を閉める。後をついてきていた鞠子が、ななの靴と鞄、それとビニールに包まれた服を差し出してきた。
「あのこれ、吐いちゃって汚れた服。洗濯済みです」
「ああ——ありがとう」
ビニールの中身は、ライトグリーンのパンツだ。綺麗に折りたたまれている。そういえば昼前はスカートではなかった。
「すみません、これも。ななさんのです」
貴仁も冊子を差し出してくる。先ほど彼が見ていた映画のパンフレットだ。前衛的なスポーツカーが表紙に載っている。
五代は「どうも」とそれを受け取って、後部座席に乗せた。
軽いといっても、さすがに人を一人運搬するのは疲れる。流れた汗を、ハンカチでぬぐった。
「五代さんは、法医学のお医者様なんでしたっけ」
不意に、貴仁から声がかかった。
「はい。そうですね」
「なぜ法医学に? 失礼ですが臨床よりも、その……いろいろと大変でしょう?」
貴仁は言葉を濁した。
よく聞かれる質問だった。人を救うために医者を目指すんだろうに、どうして人の治療ではなく死体を切り刻むのかと言われたことは、一度や二度ではない。そういう侮蔑めいた質問にはまともに答えないことにしているが、貴仁からは見下すような気配はなかった。純粋な疑問が顔に浮かんでいる。
五代は後部座席のドアを閉めた。
「楽だから、ですかね」
「楽?」
五代は運転席に回った。
「死体は嘘をつきません。機嫌を取る必要も、文句を言われることもありません。もう死んでいるので、死ぬ危険もない」
運転席のドアを開く。
「生きている人間の方が、僕は何倍も恐ろしいですね」
久世の兄妹に礼を言って、車を発進させた。
大きな道に出る。赤信号で停車すると、横断歩道を制服を着た学生たちが渡っていった。車内の時計を見ると、もうすぐ五時になるところだった。外はまだ明るい。日が完全に暮れるまで、あと二時間未満といったところか。平日のこんな時間に帰宅するなんて、社会人になってから初めての出来事だ。
ななは助手席で寝入っている。熱があるため、呼吸は少し早い。
五代はため息をついた。人を迎えに来させておいて、口に出したのは抹茶のかき氷。まったく、この女は理解できない。ななが帰宅したら例の盗撮写真について話し合わなければと思っていたのに、本人の関心は天ぷらそばにあんみつ、かき氷といった食べ物のことで埋まっている。その思考回路は異常である。
もぞりとななが毛布の中に顔を埋めた。五代は手を伸ばして、車内の空調を操作した。冷房を少し弱める。すぐに暑さがまとわりついた。
暑い。
五代は顔をしかめた。




