90 事故物件
夜の十時。
とある賃貸マンションの一室。
若い男がリビングでテレビを見ているところへ、奥の部屋から出てきた女が声をかけた。
「受験、もうすぐでしょ。テレビなんか見てないで勉強しないと」
「ああ、わかってるよ。ところで母さん。あの男、今夜も現れるんだろうね?」
「たぶんね。ここのところ毎晩だから」
「それで怖くないの?」
「そりゃあ怖いわよ。でもね、ここは幽霊が出るのがわかってて格安で借りたんだから、少しぐらい我慢しないとね」
「でもなあ」
「しかたないでしょ。あなたを大学に行かせるためにはお金がいるんだから。それに今のところ、別に悪さをする幽霊でもないみたいだし」
女が笑ってみせる。
と、そのとき。
ピンポーン。
玄関のチャイムが鳴った。
「ほら来た。オレ、自分の部屋で勉強するんで」
若い男はあわてた様子でリビングから出ていった。
中年の男がリビングに入ってきた。
「どうだ、アイツは今日も出たか?」
「ええ、さっきまでここにいたわ。チャイムの音を聞いて、あわてて自分の部屋に行ったけど」
「こまったもんだな。いくらここが格安の事故物件だからって……」
「まあ話さえ合わせておけば、別に悪いことをする幽霊でもないみたいだけど」
「早く成仏してくれることを願うだけだな」
「そうね」
「オレ、ちょっと着替えてくる」
「じゃあ、私はその間にお風呂の準備を」
女は浴室に向かった。
すると……。
女が消えるのを待っていたかのように、先ほどの若い男がリビングに現れた。
「なあ、父さん。あの女、この頃いつもリビングに居座ってるんだ」
「がまんしろ。ここは女の幽霊が出るってわかっていて、破格の家賃で借りたんだからな」
「わかってる。大学、お金がかかるんで」
「もうすぐ受験だろ、それで勉強はしてるのか?」
「もちろんだよ」
とある賃貸マンション。
そこには夜になると、話し声だけが聞こえるという真っ暗な一室があった。




