32 明日は雨
窓越しに真っ青な空が広がっている。
男は席を立ち、上司や同僚らの目を避けるようにして更衣室へと向かった。仕事にいきづまったり、悩んだりしたとき、ひとり更衣室にこもる習慣があったのだ。
更衣室に入るとだれもいないことを確かめ、男は自分専用のロッカーから箱を取り出した。
その箱の中には父が遺したゲタ。なぜだか右の片方だけではあったが……。
男は手にしたゲタをしげしげとながめた。
失いかけていた自信が徐々によみがえってくる。
――父さんは、これで……。
父の偉大さにあらためて感じ入る。
亡き父にあこがれ、同じ職に就いてから、たびたび先輩たちから聞かされてきた。
「オマエのオヤジさんほど、仕事が正確無比な者はいなかったな」
父は仕事仲間のだれからも信頼され、そして尊敬されていたのだ。
男はゲタをつっかけ、それから右足を大きく振り抜いた。前方に飛んだゲタが、カラカラと音をたて裏返しになって止まる。
男はゲタを箱に収めてロッカーにしまうと、それから意気揚々と職場にもどったのだった。
その日の夜。
男が帰宅すると、息子がなにやらゴソゴソと作っていた。
「なんだ、それは?」
「テルテル坊主だよ」
それはティッシユペーパーを丸め、輪ゴムで結んでこしらえただけのものである。
「明日、なにかあるのか?」
「遠足だよ。でもね、天気予報じゃ雨だって。だからボク、晴れにしてもらおうと思って」
「テルテル坊主、お願いきいてくれるかな?」
「ぜったいきいてくれるよ」
息子が無邪気な笑顔を向けてくる。
「晴れるといいな」
男は笑顔を返し、ひそかにおかしく思った。
――かわいいもんだな。そんなたわいのないものを信じるなんて。
明日は雨。
そう予想したのはほかならぬ彼であった。
もちろんその予想は、気象予報官――父の形見のゲタによるものである。




