続き?
「――――ここ、は…………」
瞼を上げると見たことのない白の天井が広がっていた。
続いて認知したのは頭上より差し込む自然の光と穏やかな風、澄んだ空気を室内へ招き入れる大きな窓。下敷きになったふかふかのクッション。
自分がソファの上で横になっていたのだと理解した伯は、どこなのか、と体を起こして室内を見渡す。
そこは白を基調とした部屋だった。
人ひとりが使用するには十分すぎるほどの広さがある部屋の中心には荷物の置き場に困るほど本や紙の類が山積みになった机と窓を背にして無造作に放置された高級感あふれる椅子。その奥にはまた別の扉があり、なんと南京錠が施されている。
左へ視線をずらすと洒落た取っ手の別の扉があった。すぐ横には隙間なく敷き詰められた本棚が並びその前の床には溢れてしまった分厚い本がバランスを取れる程度の高さの塔を作っている。
他には伯が腰掛けているソファとソファテーブル、そして窓の下に小さな机があるだけで現代社会には欠かせないテレビや電話、電子機器の類は見当たらない。
一見すれば散らかっているだろう部屋は生活の場というよりも、仕事場、書斎と呼ぶ方が相応しい雰囲気だった。
全体の確認が終わったところで伯は窓の下のテーブルに置かれた物に注目する。
一本の白線が入っただけの長方形の黒い布箱。何の変哲も無いありふれた品物こそ、伯がポケットに忍ばせ式部に奪われんとして守り抜いたあの筆箱だった。
「どうしてこれがここに? …………まさかさっきの夢が続いているとか」
それを手に取り文房具を取り出す。
前に中身を確認したのではないため確信はできないが、これが本当に自分のものであるなら無くなったものは何もない。
あれほど胸の奥で燃えていた筆箱への執着も消え去っていた。
その時だった。自分を呼ぶ気配を感じ取ったのは。
「……誰……?」
数刻前に抱いていた感情に似た衝動ともとれる自制の利かない思い。それは確実に施錠された扉の奥から伝わってきていた。
筆箱は放置して無抵抗に扉へと向かう伯。
南京錠は気付かぬうちに姿を消していた。
「――――」
息を殺して伯はドアを押し開ける。中は窓一つない閉鎖的空間で縦に並んだショーケースの光だけが室内の一部を晒している。
唯一の出入り口はそのままに、伯は足を踏み入れた。博物館のように透明な箱で厳重に守られ展示されているのは某英雄の私物でも歴史的価値を持つ国宝でもない。
「……これ、万年筆?」
一つひとつ形状や装飾は異なるがすべて万年筆の部類に含まれるものだった。
顔を近づけて鑑賞する。
伯はとあるそれの前で歩を止めた。
――間違いない。これが、この万年筆が自分を呼んでいる。
「――――待て」
ショーケースを物ともせず中身を入手しようと掌をかざした伯に第三者が声を投げかけられる。
叱咤でないが、相手の動きを抑制する力を秘めた低く威圧的な男声。それと泥棒じみた行動が相絡まって、伯は大人しく従い静止する。
「何をしている? ここは鍵がかかっていたはずだが」
「あの……誰かに呼ばれている気がして。南京錠はいつの間にかなくなっていて……その…………すみません!」
自制がきかなかったことも、この気持ちの原因を知りたいという欲を抑えられなかったことも、何を言っても言い訳にしかならない。伯は手を引っ込めて頭を下げて謝罪した。
「……そうか。それで発生源は分かったのか」
「えっ? は、はい」
これです、と伯が指で示した先を確認した男性は暗闇へ足を踏み入れながら指を鳴らす。透明の箱は音もなく消え去っていた。
呆気に取られている伯の隣で男性はそれを手にし、光あふれる室内へ来るよう促す。
照明に照らされている男の顔は目の錯覚なのか、判然としなかった。
伯は言われた通り展示室から出て環境の変化で思わず目を細める。
後ろから小さく施錠音が聞こえ振りかえると、頑丈な南京錠があるべき場所に戻ってきていた。
「適当に座ってくれ」
伯は大人しく横になっていたソファに戻り腰かける。ハンドベルの音が鳴ると、目の前のテーブルにティーカップのセットがどこからともなく現れ出た。
左のシングルソファに声の主がどっしり座り込み、そこで伯は初めて相手の姿を目の当たりにする。
相手はやはり男性で純白のシャツに暗い灰色のベスト、チェック柄のネクタイを締めて黒のズボンを身に着けていた。ビジネスマンともとれる服装に相対して髪は腰に達するほど長く、水色のヘアカフスで一つにまとめ上げた青黒いそれは外光を浴びてカラスのような光沢を放っている。
紅茶を口に含んでゆっくりと開かれた双眼は移すものすべてを飲み込む混沌そのもの。彼は伯の心の奥を見透かすように視線を向けて言った。
「紅茶は苦手か?」
「あっいえ、そういうわけじゃない、です」
「そうかしこまらずとも大丈夫だぞ。むしろリラックスしてもらいたい」
男性の勧めで紅茶を飲むと、魔法のように緊張がほぐれていく。
それを待って男性は言葉を発する。
「自己紹介がまだだったな。
私は女王陛下の宮中顧問官として奉仕し、皆からミスターと呼ばれている召喚士。ここは私に貸し与えられた宮廷の一室で普段はここで執務を行っている。
君は空木伯だな?」
「ど、どうして僕の名を知って……?」
「君を魔物から守りここへ運んできたのが君もよく知る人物――シキブとハナダだからだ。今は任務でこの場を離れているが時期に戻ってくるだろう」
「!
……あの、あなたは二人とどういう関係で……?」
「主と従者といった感じだろうか。契りを交わした彼らを“こちら”へ召喚し私の仕事の手伝いを頼んでいる」
「契りに、“こちら”……?」
話しが全く読めない伯の呟きにミスターと名のった男性は真剣な表情を向け口を開く。
「君もすでに感じているだろうが、ここは単なる夢の中、つまり空想上の場所ではない。
存在は認知されずとも地球と隣接してあり続けている別世界――ザスピル。君たちは眠りによってのみこの世界を訪れることができる。この世界の人間は来訪者の願いを叶え苦悩より解き放つことを生きる目的とし、我々と他の物の区別をつけるため前者を住人、後者を客人と呼んでいる。
さてこの世界では創造主の恩恵により万物への干渉が許可され、ある程度のことは思いのままに操ることができる。我々はこの力を“魔法”と名付け、世界の根源であり魔法の源となる要素を“マナ”と呼んでいる。
君が目の当たりにした不思議な現象もすべては魔法によるものだ」
「別世界。それに魔法って……」
まるで小説や物語に出てくる話じゃないか、と小馬鹿にする伯。
だが、そうでなければショーケースや南京錠が消えたとこも、紅茶入りのカップが出てきたことも説明がつかない。
「話を続けよう。魔法は主に招いた者をもてなすために使われる。というのも、君たちはしばしば複雑な感情、具体的に言えば現実では実現不可能な“願望”を抱き、ここへ来訪するからだ。
魔法の使用にはマナが不可欠だが客人の願いを叶えることで、その感情をマナに還元することができる。
しかし、時として君たちの想いは非常に強く一度の解放では満ち足らぬこともある。それが年月を重ね肥大すると、身体を離れ魔法物質となってザスピルへ現れる。魔塊と呼ばれる魔力の結晶こそ最も貴重で厄介極まりない、住人ではどうしようにもない存在なのだ。
そしてその一例が――この万年筆」
ミスターが胸ポケットからペンを取り出しテーブルにそっと置く。それはまさしく伯の感情を沸き立たせ、操作する“大切な物”であった。
目の前の、手を伸ばせば届く位置にそれがある。伯は衝動に駆られ、万年筆を奪おうと乗り出すが、はっと我に返り自制する。
「ぁっ! ……す、すみません。僕……」
「常人の反応だ。気に病むことはない。むしろこれで実感できただろう。
この通り君は感情に支配され、無意識のうちにこれを入手しようと試みた。これが魔塊の最も危険視するところだ。
万年筆は外見上の姿、つまり器に過ぎないのだが、こうして厳重に封印を施しても、その実態はむき出しの感情、満たされぬ想いの塊。加えて不完全なマナの結晶体とも言える。
触れずとも周囲を巻き込む性質。これが晒されれば人や環境に与える影響は説明するまでもないだろう。
近年そちらの世界で増加している物騒な事件も大半はこれに理性を飲み込まれ起きてしまったもの。原因がこちらにある以上我々にも責任はあり、これを防ぐ義務がある」
伯は夕食時に観たニュース番組を思い出し、視線を下げた。原因が自分たちの満たされない願いであると分かり、同情と嫌悪が胸の中で渦巻く。
「しかし魔塊は使い方次第で我々の想像を超える力を与えてくれる――。
私はザスピルに生み落とされた魔塊の回収、管理、及びマナへの還元に関する研究を任されている。が、事態は日々激化する一方で一刻の猶予もならず、詳しい事情は省略させてもらうが私一人で処理するには厳しい規則や問題がある。
そのため助手を雇っている――夢見人と呼ばれる者たちに」
「ヴィジョナリー……花代、それに式部先輩のことですね」
「そうだ。私との契約により、彼らは客人である一方で住人同様魔法が使用できる。
ヴィジョナリーの主な目的は各地に放置されている魔塊の回収および住人の支援だ。
すでに悪影響を及ぼしている魔塊を集めることはもちろんだが、それが生まれ落ちるのを未然に防ぐのも重要なこと。それに、魔塊はある条件がなければ影響を及ぼすほどのマナは放出しない」
伯に質問を与える暇もなくミスターは話を続ける。
「加えてヴィジョナリーとなれば、ここでの体験は記憶される。
大抵の人間は夢を覚えていない。例えぼんやりと覚えていたとしても、内容は曖昧で断片的。
それに夢の中を自らの意思に基づいて行動するものはほとんどいないだろう。これは客人がこちらを後にする際に記憶を改編しているからだ。故に君たちはザスピルの存在を認知することはなかった。
しかし、私に協力するとなればそうはいかない。
こちらで客人と接触することは、他人の夢や心の奥底に足を踏み入るのと同意。必要とあらばその者の純粋なる願いを打ち切らなければならない。
本来それは許されざることだ。彼らにはそれでも力を欲し、自らの手で成し遂げたい願いがある。
故に私は彼らをこちらへ召喚し、魔法を授けることで彼らの望みを叶えている」
ミスターはそこまで言って、カップを手に取り喉を潤す。
伯は次々と舞い込んでくる世界の真実を整理するのに必死だった。




