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夢見人ーVisionariesー  作者: 黒城瑛莉香
第三章 戦いと救いの記録
33/35

決意

「――はぁあ……」



 伯は盛大な溜息と共に全身の力を抜き、背中からベッドへ上半身を沈めた。

 己の呼吸以外には時計の針だけが機械的に音を刻む自室。

 土曜の午後八時半を過ぎても、その家に彼以外の人間はいない。


 伯はすでに夕食を取り、風呂を済ませ、パジャマに身を包んでいた。

 体調が悪いわけでも、明日早起きしなければならない予定が入っているわけでもない。


 夢の中の、空想であり現実でもある世界、ザスピル。

 そこで起こっている事件の解決と罪もなく捕らえられた上司を救うため、伯は友人の遊びの誘いを蹴り、宿題を早々に済ませ、眠ろうとベッドに横たわった。



「でも……正直全然眠くないんだよなあ……」



 天井より照らす電灯に目を細めながら伯は愚痴をこぼす。

 ヴィジョナリーの一員となって以来、乱れていた生活習慣が多少なりとも改善していたとはいえ、高校二年生にもなって九時に就寝するなど予想したこともなかった。

 だが、これも伯が彼女のことを第一に考えて出した結果。言い出しっぺの自分が約束を破るなど、人としてやってはいけない行いの一つだとなんとか言い聞かせる。




 原因は数時間前、校舎屋上での会話にまで遡る。



「――それでさ、現地集合になるから時間を決めておきたいんだけど、ハナダは何時頃行くつもり?」


「今すぐにでも向かいたいけれど、じい様とばあ様のこともあるから……遅くて八時かな」


「はっはち!? いや、それは早過ぎだよ!

 絶対眠くないって! せめて九時にしてくれよ!」


「でも……」


「でも、じゃない! 合流しないと手伝うこともできないじゃないか!」


「なら……」


「手伝わなくていい、とかも無し!」


「……そういうもの?」


「そういうもの! 焦る気持ちもわかるけどさ。

 九時でも時間は十分あるって。明日は日曜だから、学校もないわけだし」


「……わかった」



 不満げに少しムッとしながらも花代は了承した。

 その子どもっぽい表情を思い出しながら、伯は口元を緩める。

 そして、その記憶につられて花代の衝撃的な告白が頭の中で響くと、また胸を圧迫されるような苦しみに襲われ、寝返りを打った。




 よくよく考えれば、伯は花代のことをほとんど知らずに数年間クラスメートの一人として接してきた。


 中学の始め、家の都合で転校してきた花代。

 黒髪が綺麗で、控えめで大人っぽいお嬢様、という第一印象だった。


 だが、その見た目とは裏腹に運動も勉強もでき、学年の成績は常に上位。部活には属さないが、個人で音楽の成績を残している。

 そのことを誰に誇るわけでも、自慢げに語ることもなく、当然の結果として受け入れる性格。


 政府の教育改革と学習内容の見直しで、親も教師も子どもの将来を心配し、我が子のために金をかけ、少しでも頭の良い学校へ入れたがる時代。


 花代は音楽のレッスンのために塾にも通わず、友人と遊びにも出かけず、その成績と暮らしを維持する。

 誰にも反発せず、悪口も言わない、まさに〈良い子〉。そんな彼女に、両親や家族はさぞかし満足していることだろう。


 気付けば伯は花代を優等生として眺め、自分とは違う人間だと遠ざけ、同時に彼女の能力に疎ましさを感じていた。




 転機が訪れたのは中学二年の修学旅行の時。

 じゃんけんと担任の気まぐれで割り振られた班で、伯と花代は一緒になり、大半の時を共に行動することになった。


 それまで二人はロクな会話を交わしたこともなく、同じ班のメンバーも戸惑っていた。しかし、伯の不器用ながらも友好的な態度と気配りが功を奏し何の問題なく下調べと準備を終えた。


 迎えた出発の日。

 花代はバスで自分の席に着くなり、紙とペンを鞄から取り出し、終始それを握って事細かにメモを取っていた。

 新幹線の中でも、訪れた国宝級の建築見学時も、宿泊先のホテルでも。時間も場所も構わず何かを見つけては記す。


 一日目の終わりの夕食時。

 何を書いているのか。興味を持ったひとりの女子が花代に問いかけると、珍しく恥ずかしそうに視線をずらし答えた。



「……旅の思い出を……お土産に頼まれた、から……」



 そこに記された事柄は予想外にもガイドのうんちくじみた知識などではなく、現地の風景やクラスメートの動作、そして行った先の空気と感想。日記のように整理もまとめられてもいない、旅の初めから終わりまでを残した個人的な記録。

 だが、当時それの真なる意味を知る者は誰もいない。

 女子が花代に再び問いかけた。



「見たものを伝えるなら写真の方が簡単だし確実じゃない?」


「そうなんだけど……写真はだめ、なんだ」



 今ならそれが誰のための土産か、断言できる。

 だが、普通なら明確な理由を隠して変な子だ、と一方的に決めつける可能性が高い。

 事実、その女子はそういった反応をみせ、嫌悪感を表情に出した。


 だが、それを聞いていた伯は素直に思ったことを口にした。



「思い出が土産……なんか当たり前のようで新しいよね!」


「伯が何言ってんだよ!

 --いや、待てよ」


「あー。

 ――ははーん。伯、お前……なーるほどねぇ」


「えっ? ――あぁあっ!?

 いや、ち、ちがうって!」


「ははは! そんな慌てると、そうですって言ってるようなもんだって!」


「だーかーら!」


「空木ー、静かにしろー」



 周りから茶化され、恥をかいたその後。



「――ありがとう」


「え?」



 小さく、伯にだけ聞こえる囁き声だった。

 花代はうっすらと笑みを浮かべて、透き通った水のような青い瞳を向けて感謝を述べた。


 初めてだった。彼女の笑顔を見たのは。

 こういう顔もするのか、と伯は驚き、その微笑みに見とれてしまっていた。


 自分が何をして、何に感謝されたのか、正直わからなかった。

 けれども、自分のような平凡な人間でも、彼女のような優等生の役に立てるのだと。ありがとう、と言われることもあるのだと。

 そして――そんな誰かに感謝される生き方をしたい、と強く願うようになった。




 二日目の自由行動で花代はさらに学校ではお目にかかれない行動と豊かな表情を見せた。

 興味のある物にはとことん目を輝かせ、そうでないものは眼中にすら入らない。

 グループの迷惑にはならない程度にふらっと姿を消し、ふらっと戻ってくる。


 人として当然持っている感情。

 それが花代にもあると実感した伯を含む班のメンバー。彼女にはりつけた〈優等生のお嬢様〉というレッテルを剥がして、(ちょっと頭の良い、普通の女子生徒)として改める。


 これを契機に花代はクラスにようやく受け入れられた。機会があれば伯とも話すようになった。

 会話も増え、友人と呼べる存在もできて、境界線を引く者はほとんどいなくなった。


 けれども、花代はいつも寂しそうに空を見上げていた。特定のグループに属することを拒み、ひとりでいることを選択し続けていた。

 彼女はまだ――謎に包まれた存在だった。



「……そういえば、僕が弐路学園へ進学しようと決めたのも花代がきっかけだったなあ……」



 蘇る感覚は二年生の終わり。

 高校受験と周囲が沸き立ち、子どもが重荷を背負う初めての岐路。

 伯は己が将来よりも、彼女の進路が気になり、授業中終始そのことが脳内で大声を上げていた。


 花代と挨拶を交わすだけで、友人の笑いのネタにされる中、伯は直接聞くことはできなかった。


 いや、伯は聞かずとも確信していた。

 ――彼女なら、彼女だからこそ、弐路学園高等部へ行くに違いない、と。


 噂で聞いたのかもしれない。単なる空想話なのかもしれない。

 だが、そう思い込むことで、伯の心は焚き火を飛ばし始める。


 あの日伯にだけ見せた心からの感謝と微笑み。

 彼女の影を払い、役に立った上で、もう一度だけ見せてほしい。


 それは憧れと理想の幻影。

 興味から生まれた心は恐れなど知らず、勇気だけを持っていた。



 花代は自分の読み通り、進路先を弐路学園に決定した。

 共働きで忙しい両親を説得し、伯は塾へ通って猛勉強する。


 公立ではなく、私立へ行く。表では大学やその先の人生を見越した上での判断、と上手く言っても、裏では断じて違う。

 ただひたすら純粋な願い。努力と苦労と汗は伯を裏切らず、望みを成就させた。

 第一関門は突破した。




 高校生活は伯の思い描いていたものとは違っていた。

 クラスは同じでも花代は変わらず孤独を貫く。一方伯は周囲との学力の差を突きつけられ、自分のことで手一杯になっていた。


 生徒会活動を理由にして己の怠慢を愚痴り、夢を言葉に乗せて外へ追い出す。

 求められる結果に立ち向かわず、背をむけ逃げるだけ。

 伯の心は疲弊し、季節外れの花のように枯れ果てていた。


 それは日を重ねるごとに栄養を奪い、遂に許容範囲を超えてしまった。

 その結果が――あの日の夢。



「……僕はまた救われた。

 ハナダのおかげで、生きる光を取り戻すことができた……」



 そして――今。


 彼女が抱える秘密と責任をようやく知り、少しでも助けになりたいと思った。

 それが後付けの理由でも、伯はミスターと契約することを選び、同じいばらの道を進む決心をした。


 精神世界で活躍する花代はこちら側よりも生き生きとしていて、何度も伯に笑いかけてくれた。

 なのに……。



「……なのに、僕はまだハナダの役に立ててない。

 助けられてばかりだ……これでも僕、男なのに……」



 自分が無力なばかりに仲間に迷惑をかける。足を引っ張る。作戦をふいにする。

 そんな自分は嫌だ――。


 だからこそ、伯は誓った。

 今度こそ彼女の役に立ってみせると。

 戦う力はなくとも、傍にいて今にも砕けてしまいそうな彼女の心を支えると。


 かつてミスターは言っていた。

 魔法は願う想いの力なのだと。


 考えることを止めるな。

 描くことを止めるな。

 想いを抱き続け、叶えたいと望む。


 それが魔法の絶対条件。

 魔法の本来の在り方。



「……よし」



 異世界への冒険に向け、頬を両手で叩いて気合を込める。

 時計の長針はまもなく天空を指そうとしていた。



「先輩たちにも一応伝えたし、きっと大丈夫……アカネは既読すら付かないけど、メッセージは見てるはず。

 眠れるか……いや、眠らないと」



 いつも通り、目を閉じれば自然と眠れるだろう。

 部屋の照明を消し、伯は床につく。

 するとそれを待っていたかのように睡魔が現れ、伯の意識を別世界へ誘導する。




 再び目を開けると――星々が煌めく川の中にハクは浮かんでいた。



「――お待ちしておりました。空木伯くん」



 無重力の世界で振り返ったハクは、声の主の姿を捉える。

 シンプルなつくりながら上品に仕上がった紺のドレスを纏ったその女性は、護衛もつけずたった一人虹の道を辿ってハクの元へやってくる。



「じょ、女王陛下……」


「もう! その呼び方はあまり好ましくありませんの。

 よろしければ気軽にラルカと呼んでくださいな!」


「えっ!? じゃ、じゃあ……ラルカ、さん?」


「もう。お人好しすぎるのも考えものですわ。

 でもまあ、良しと致しましょう」



 口元に手を当てラルカは悪戯っぽく笑う。

 その顔にどこか違和感を抱くハクだったが、お構いなしにラルカは早速本題へ移る。



「では、貴方の答えをお聞きしましょうか。


 ――己が役割を知り、力の正体を知った貴方は、それでも他の者のために、無関係の者のために貴重な安らぎの刻を捧げますか?」


「はい、もちろん!

 こんな僕で役に立てるのなら」


「――それが誰にも感謝されず、誇ることもできない、正しいとも限らない影の道であっても?」



 ハクは大きく頷き、ラルカの目を見つめる。

 胸の奥で暖炉のように燃立つ強い覚悟を訴える。


 それを感じ取ったのか、ラルカはそっと目を閉じ俯いた。



 ――ハク、貴方に感謝を。



「わかりましたわ。

 これ以上とやかく言う権利はわたくしたちにはありません」



 煌めく星の瞳を開けたラルカがパンパンッと手を叩けば、夜空の無重力空間はあるべき場所へ戻っていく。

 そしてハクは足元にカーペットが敷かれた床があり、周囲は天井と壁に囲まれていることを確認した。




「ここは――昨日来た屋敷?」


「はい! こちらは三階の空き部屋という名の物置部屋ですが」



 ラルカの言う通り、壁際には古びた道具箱がずらりと並び、剣や槍の類の武器も立てかけられていた。

 その中でもとりわけ目についたのが、シーツが被せられた家具。人の背丈以上の高さのあるそれからは、ハクでも感じ取れる神秘を部屋中にまき散らしている。



「では、ハク、こちらへ。

 もうみんな来ていますわ」



 最後の到着と聞いて、ハクは肩を落とす。

 誰が一番乗りか、競い合ってはいないが、人を待たせているなどと言われると申し訳なくなってしまうのだった。

 階段を降り、ラルカの後に続いて昨日と同じ部屋へ入ると、ハナダ、シキブ、ツグサ、そしてアルジャンが椅子に座って待機していた。


 身を乗り出すような体勢で眉間にしわを寄せるアルジャンに、ラルカは満開の笑顔を咲かせる。

 それがハクの意志を現わしたものだと理解したアルジャンは背もたれに体重を乗せ、額に手を当て内なる不満を吐きこぼした。



「はぁあああああー……四人とも拒否、かあ。

 なんでこうなるんだか。やっぱり俺には客人《君》たちの思考は理解できない」


「まあ、これこそ喜ぶべきことですのに!

  アルジャンも生涯の相棒をこんな形で失うなんて本望ではないでしょう?」


「それは否定しないけどさ……時間もそんなにないんだって……」


「あれっ? アカネがまだ来ていないみたいですけど」



 ハクが問いかけると、ラルカがハナダの隣へ座りながら答える。



「彼女なら一足先にこちらへ来て己が運命の決定を告げましたわ。

 このような結果になってしまったのが残念で仕方ないのですが」


「……そう、なんですか……」


「えー、アーちゃん降りちゃったんだ。

 使い魔のふさふさ、ちょっと気に入ってたのに。

 でもさアイ姉、安心してよ! 僕は何があってもアイ姉の味方だし、アイ姉に一生ついていくから!」


「ありがとう、ツグサ」



 格好良く立ち上がりポーズを決めるツグサ。

 その向かい側ではシキブが腕を組み、押し黙って考え事をしている。



「ちょっとさ、聞かせてくれないかい?」



 意気消沈していたアルジャンが生気を取り戻し、顏を上げて改まった態度をとる。



「わずかでも世界の深淵を垣間見たとはいえ、君たちはこの世界において部外者だ。

 なのにどうして、こんな危険を冒してまで利益のない救いに手を差し出そうとするんだ?」



 アルジャンがヴィジョナリーひとりひとりに問いかける。

 ただ命令に従い、結果を残す。

 それを繰り返してきた住人レジデントにとって、ハクたちの決断は理解に苦しむものなのだろう。



「……確かにこれからやろうとすることは無意味なのかもしれません。

 よそ者(僕たち)が関わるべきではないことなのかもしれません。

 けれど――」



 ハクはそこで言葉を止め、ツグサの隣でソファに座るハナダへ視線を移す。


 透き通った青い瞳は暴風が吹き荒れる水辺のようにぐらぐらと揺れ、不安と苦しみに満ちている。

 平静を保てず、偽りの微笑みすらうかべることのできない悲しみの色。それを見るだけで、ハクの心は耐えらなかった。


 彼女にとってミスターとの別離は、一番大切なものを失うことを意味する。

 そして今のハクにとって笑わない彼女は、それと同義だった。



「その人がいなくなると涙する人がいる。そして、その人が悲しむことで悔しさと後悔に苦しむ人がもっといる。

 人間の我儘でもいい。身勝手な目先だけの結果でもいい。

 僕らは無実のミスターを助け出します」


「ハッくんの言う通りだよ! 僕は何があってもアイ姉の味方だし。

 アイ姉が困ってるなら、僕はどんなことでも協力したい」


「ハク、ツグサ……」


「だったら、その後は?

 あいつを牢屋から出したところで、負のマナが減ることも、悪魔の呪いを解けるわけでもない。

 加えてこの街はすでに閉鎖され、隔離された状態だ。もちろん逃げ場はないし、多分追手もやってくる。

 俺とラルカが個人的に動くこともできないし、君たちが元の世界へ戻れば、オルはまた監獄へ――いや、その場で殺されるかもしれない」


「っ!

 アルジャン、それはどういうこと?」



 ハナダが強い口調で言うとラルカが続ける。



「実は――オルの、彼の処分が決まりましたの。

 客人インヴィティが器へ戻る頃、つまり朝日が大地を焦がす前に彼は創造主の元へ回帰する。

 この決定はわたくしでも取り下げることは不可能ですわ」


「そんなっ……」


「……それでも、私はオルを助け出す。

 オルが危険分子でないことを大臣たちに証明して、逆にザスピルのために生かす価値を再確認させる。

 今までと状況は変わっていない。だから排除する必要もないって思い知らせる」


「……シキブ、君もそうなのかい?」


「ああ。元々人が人を助けるのに理由なんて必要ないだろ。

 それに……俺たちと無関係、っていうわけでもなさそうだしな」


「? それは、どういうことですの?」



 シキブがラルカの問いかけに躊躇いながらも答えようとした、まさにその時だった。

 


「――ウガゥアッ!」


「――クアァァン!」



 力強い勇ましい声と、優しい鳴き声が花園に響く。宙を駆け、異なる方向から急いでやってきたのは、紺の竜と白の一角獣だった。



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