試合
肩の上でそろえられた癖のない黒髪、生命の灯を感じさせない青白い肌、それを覆う半透明のベールと水色のロングワンピース、そして世界の色を映すことなくただ一点を見つめる混沌の瞳。
異なる点はあるもののその外見は僕らが見知っているハナダそのもの。意志を持たない人形のような貴婦人は抵抗する素振りもなく、笑顔を振りまく刈安の腕の中にいた。
「な、なんで……ハナダが……? もしかして、今日のことが関係して……?」
「今日のこと? 現実で何かあったの?」
ピクッと眉を動かしアカネは勢いよくハクを問い詰める。
別段誤魔化す理由もないため、ハクはこの目で見たことすべてを簡単に白状した。
始めは仏頂面であったが、結末を聞くなりアカネは目を閉じる。そして理性で邪魔な感情を抑え込むと深く息を吸って口を開く。
「……つまり、彼がハナダに一方的に好意を寄せていて、見事に振られたってこと?」
「あくまで僕の見解だけど、多分……」
「なるほどね。合点がいったわ。
――結論から言うと、あれはハナダじゃない。
刈安君の願いを住人が魔法で具現化しているのよ」
「刈安君の願いって……あれが!?」
ハクは衝撃と同時に彼の奥底に眠っていた本性を目の当たりにして幻滅を覚える。数時間前、ファミレスでハナダに告げた、彼に憧れていると言った過去を否定してしまいたいほどに。
刈安は様々な意味で魅力的な人物だった。整った容姿、抜群の運動神経、男女を問わずこぼす爽やかな笑顔、そして、誰にでも優しく接し交流する社交力。
今も肩よりその身を覆う黒と金のマントを違和感なく着こなし、王者に相応しい気品と風格を出していた。
けれども、人間をもののように扱い、自分好みに染め上げて支配する。そんなことを心の内に潜ませていたなんて……。
アカネも失望で表情が引きつり、現実から目をそらすように視線を下げる。
「本当に、信じられないわ。
それにしても……なんで刈安君なの!?
ハナダと接点なんてないはずでしょ! ちょっと格好良いと思ってたのに!」
最後の一言は本音だった。
アカネは周りにハク以外誰もいないことをよしとして金切り声を上げ心の悲痛をさらけ出す。
それから急に大人しくなったかと思うと、恨めしそうに何か言い始めた。
「…………どうしていつも……彼女なの……?」
「ア、アカネ……?」
「……何かあるわ。間違いなく、私たちの知らない隠された謎が!」
「お、大袈裟だなぁ……もうすぐ試合始まるけどどうする?」
「決まってじゃない。期待の新人少年を応援してあの最低男に恥をかかせてやるのよ」
薄気味悪い笑み浮かべたアカネは軽い足取り人の群がりへ一足先に赴く。ハクは初めて女性の恐ろしさをその身でもって体感していた。
ハクもベンチを抜けて試合会場に急げば、視線を交わして対峙している王者と挑戦者をカメラがとらえ浮遊する大画面へと映し出す。
堂々とした佇まいで胸を張り、勝ち誇った表情を浮かべる王者刈安に挑戦者は憤怒に満ちた青い瞳を向けて静かに佇んでいた。
―――
「負けなしのこの僕と勝負するなんて君もなんて愚かなんだ。
別にMCもとい住人が勝手に始めた遊びに付き合う必要はないのに。そんなに恥をかきたいのかい?」
挑発的な言葉を投げかける刈安。
しかし、相手はその手に乗る気はなく、不動の態度で答える。
「実のところ優勝なんてものに興味はありません。
大勢の人に見守られ偽ることもできないこの状況下で欲に溺れたあなたに敗北を与える。それこそ僕の目的。
それを叶えられるというのなら、何だって構いはしませんよ」
「ははっ、随分と態度が大きいなあ。けど、それも今のうちさ。
ここは男同士、正々堂々決闘といこうじゃないか。
試合は十本勝負、一回でも的の中心部を正確に多く当てられた方の勝ち。観客たちに僕らがズルしないよう見守ってもらってさ。
あ、でもせっかくだから何か賭けるのも面白いな……。
僕が勝ったら、君の一生を僕らにすべて捧げてもらうよ。絶対王者たる僕に銃口を向けるがどれほど愚かな行為なのか、その身体に刻み込んであげる。
ありえないだろうけど、一応。万が一にも君が勝ったら、この僕に何を望む?」
「僕は――あなたの腕の中で震える哀れな貴婦人を頂く」
「……な、なんだって?!
そんなことダメに決まっているじゃないかっ! 彼女は神聖なる神の使い。泥にまみれた愚民が安易に触れて良いお方ではないっ!
第一、彼女は自ら望んで僕の隣にいるんだ!」
だが、グレイは冷徹なほほえみでもって返答する。
「何をむきになっているんです?
あなたは名だたる強者たちを下して頂点へ上り詰めた、完全無欠の不敗の王者なのでしょう?
ならばそのような心配事は無用なのでは? 本来のあなたであれば負けることなどないのですから。
それとも……怖いのですか? 苦労してようやく手に入れた宝物を手放してしまうのが」
「か、彼女は心を持った人間だ!
それを僕が物のように扱い、彼女の意志を無視することが問題だと言っているんだ!」
「なるほど。そういうことであれば、僕は王者の称号を求めます。
女神のお気に召した者が真の勝者としてこの競技場に君臨する。僕が負ければ奴隷としてあなたに一生を捧げましょう。
……いかがです?」
「いいだろう。後で後悔しても約束を違えるなよ」
「それはこちらの台詞です」
そして遂に決闘が始まろうとしていた。
ルールは簡単。用意されたピストルを用いて、五十メートル離れた的の中心を狙い交互に打ち合う。
用意された球数は十だが、これで勝敗が決まらなければ延長戦となり、先に得点を挙げられなかった者が敗者となる。
決戦場が魔法の結界に包まれた。騒音を断ち集中して競技が行われるよう主催者側が配慮したのだろう。
それにより二人の会話までも遮断されてしまったが、透明な結界と映像により試合状況を確認できるため問題にはならなかった。
『それではっ、これこそ本当の決勝戦!
真の王者、そして女神から寵愛を受けるのに相応しい男は一体どちらなのかっ!
男の意地とプライドをかけた戦いがきっておとされる!!
泣いても笑っても勝負この一回のみ! こちらの準備はできてるぞ!!
さてさてコイントスによる順番決め!
先攻は――――挑戦者グレイだぁぁぁっっ!!!」
「あんなろくでなしのナルシストに負けるんじゃないわよー!」
MCの熱い引き立てで会場にはその日一番の歓声が飛び交う。
頭に突き刺さるほどの声に音にハクが耳を塞ぐ一方で、アカネは片腕を突き上げてグレイに声援を送っていた。
―――そして試合は進み、六発目を終えた。
現在までの結果は王者、挑戦者共に全命中。引けを取らない互角の戦いが続いている。
第七発目、先行のグレイは銃を一定の高さで構えるなり重いトリガーを引く。
スクリーンには的のど真ん中を貫く銃弾の軌跡が映し出され、それを見届けた観客たちは張り詰めていた空気を一気に破裂させ振動をおこす。
『な、なんという集中力! 一点の狂いもなく中心部分に命中させるグレイ選手!
後ろで控える王者にプレッシャーを与えている!』
「あの少年、期待以上にやってくれるわね」
「お互い客人で魔法補正がかかっているとはいえ、本当すごいよ。
自信たっぷりだった刈安君もさすがに焦っているみたいだ」
芝生に用意されたベンチで待機している刈安の額から汗が流れ落ちる。大分疲れが出てきているようだ。
一度でも失敗すれば彼の負けは必死。
刈安は隣で静かに見守る貴婦人の手を握り、祈りを捧げると、深呼吸をして射撃位置へ向かう。
公平な試合のためグレイも一旦ベンチへ下がっていく。
競技者二人がすれ違った。
と、同時に目を伏せて精神を研ぎ澄ませていた刈安が歩みを止めてしまう。そして、死人でも見たような恐れと驚きでもってグレイの後姿をみつめわずかに口を開いていた。
映像を見る限り何か言っているようだが、結界のために観客側には何も聞こえない。
「急にどうしたんだろう?」
「すれ違い際でグレイが何か言っていたようだから、それが原因じゃない」
「何かって?」
「さあ。読口術でも使えなきゃ理解するのは不可能よ」
投げやりなアカネの対応に不満を抱いつつハクが結界の中にいる刈安へ視線を戻すと、一変して動揺でガタガタと全身を振るわせる姿があった。
彼は一度銃を下ろし震える手を必死に抑え込もうとするも、反対に強くなっていく。
どうしたのだろうか。試合を中断させてしまうほどの出来事があったのだろうか。
「おい、早くしろよ!」
「今さら負けるのが怖くなっちまったのか?」
「試合放棄なんて許さないからな!」
それらに触発されて多くの野次が飛び始めた。
結界で聞こえるはずもなく、こちら側の様子が見えるわけでもないのに、刈安の顏は歪んでいく。
遂に自暴自棄になった彼は、銃をむけて発砲する。
案の定球は全く見当違いのところへ放たれ、七発目は彼の失敗に終わった。
その後十本勝負という取り決め通り試合は続行されたが、結果は歴然。今回も見事満点を叩き出したグレイの勝利で真の決勝戦は幕を閉じた。
観客席のどこかでこれを見ていたであろう住人が結界を解き、断絶されていた世界がひとつに戻る。
地面に両手両膝を付けて絶望するかつての王者に勝者のグレイは観客からの称賛の声を無視して近づいていく。
「では、約束通り貴婦人は頂きます。
王者の称号ですが、僕には不要なものですのであなたにお譲りしましょう。
せいぜい一夜限りの地位を堪能していってください。では」
「…………待て」
背を向けたグレイに刈安は顔を伏せた向けたままよろよろと立ち上がった。
グレイは凄みを利かせた刈安の声に警戒心を抱きつつ、ため息交じりに冷ややかな視線を送る。
「まだ何か用でも?」
「まだだ……まだ、戦いは終わっちゃいない……」
「?」
「彼女が俺の元から離れるなら……俺のものでなくなるのならっ――!!」
次の瞬間、銃声が響き渡る。
競技で使用されるそれとは明らかに異なる音を聞き、人々は自然と口をつぐんだ。
刈安の異変を察知し、ハクとアカネは目立たないように群衆をかき分け彼らの元へ急ぐ。
誰が誰に発砲したか確認している暇はなかった。既に事件が起こってしまった以上、被害を最小限に止めなければならない。
太陽を覆っていた雲が去り真実を見せつけるかの如く地上を明々と照らしだす。
幸いにも銃撃を受けて倒れ苦しむ者はいなかった。
敵意を露わに睨み合う二人の男。そして少し離れたところでは変わらず無表情で虚空を見つめる貴婦人。
それから、硝煙を放つ銃口を向けられた彼がゆっくりとその口を開いて言い放つ。
「――――貴様ぁっ……!!」
「僕の友人が言っていました。女性に手をあげるなんて紳士、いや男として失格だ、とね」
計画をいとも簡単に阻止され刈安は殺気立つ。
学校の彼からは想像できないほどの怒りのオーラを纏って歯を食いしばり、少年グレイを憎悪する。
「それにしても無様なものです。
これだけの観客の前で堂々と勝利宣言をして最愛の女性を賭けたにもかかわらず、試合には負け、人々からは信頼を失い、挙句の果てには彼女の命を奪おうとするとは。本当に人間ができていないのですね」
「……すみません。通してください……」
ようやく最前列へたどり着きハクとアカネが現状確認をすると、刈安より少し離れた位置に拳銃が転がっていた。
彼は時たまそれに視線を逸らしては反撃の機会をうかがっている。
整理すると、刈安が自身の元から離れてしまう貴婦人の命を奪おうと、懐に隠していた拳銃を取り出し発砲しようと試みた。
だが、いち早くそれに反応したグレイが同じく自身の銃を抜き取り、彼の銃めがけて発射。見事命中し、それを手から吹き飛ばしたのだった。
それからハクは通信機を通して思念を送り、アカネの脳内へと語りかける。
『……どう動く?』
『……今の彼は危険だわ。下手に止めに入れば、今度こそ何をするかわからない。
幸い魔塊は近くにないみたいだし、警戒を怠らず様子を見ましょう。
何かあればハクが魔法壁を展開してみんなを守って。私が使い魔を召喚して応戦するわ。ハナダもそれでいいわね?』
『異論はないよ』
『えっ、ハナダ? 今どこにいるのっ?』
『ったく、ハクは相変わらず鈍感ね』
『え……』
『ほら、集中してよ』
理解できぬまま事態は進み、銃口を向けたままグレイが刈安に一歩ずつ近づいていく。
「さて、まだ諦めていないようですがこれからどうするつもりですか?
あなたは四方を敵に囲まれている。もちろん味方は誰もいない。仮にそこの銃を拾い僕を打ち倒したとしても、試合に負けた事実は変わらない。
これからまた銃撃戦をして観客たちを楽しませるのも良いですが、空間に時間を費やすほど僕らも暇じゃないので。
この場は潔く閉会式と行きませんか?」
徐々に二人の距離が縮まっていく。
グレイほどの実力者ならば刈安が銃を拾う前に決着をつけてしまうだろう。
けれども、グレイの言葉を聞いた刈安はその提案に返答することなく、突然愉快気な笑みを浮かべた。
「――ははっ、あははははっ! 敵に囲まれている? 味方がいない…………試合に負けた、だってぇえ……?
いいや、僕はっ! 僕はまだ負けていない。勝負はまだ決まっていない!
僕が活躍するのはこれからなのさあ!!」
すると刈安の意志に従うように再び薄暗い雲が太陽を覆い、日中だというのに光をほとんど遮断してしまった。
しかし、照らすものがなくなったにもかかわらず、彼の影はそこに残っていて、暗闇の中彼の高笑いと共に徐々に大きさを増していく。
まるで生きているような影は、遂には観客席となっている城壁にまで到達し、壁を這って地上のハクたちを見下ろす。
「今こそ契約に従い、勝利をもたらす力をこの僕にっ!!」
《――――承知した》
どこから発せられたのか、わからない、身悶えする低い声。
全身に恐怖が走る。手は震え、膝は笑い、立っているだけで精一杯の、理性では抑えられない生命反応を起こしている。
それはクチバの話を聞いていた時の感覚に似ていて。
自分が自分でなくなっていくようで。
「――ハクっ!」
彼女の声を聞いて、弾けるようにハクの知覚が蘇ってくる。
そして、咄嗟に目視したのは、大きな闇が立体的に膨れ上がり刈安を飲み込んでいく現実。
――瞬間、闇の触手がハクの視界に広がった。




