入学と心配事
「行ってきます!」
戸締りを済ませ、自転車にまたがりペダルを漕ぐ。温かな太陽にのみ見送られ、今日も伯は朝食のおにぎりを頬張りながら風を追って坂を下っていく。
学ランを貫く肌寒い春の気温。だが伯の心は高ぶり額から一筋の汗が流れる。新学期が始まり比較的温厚な先生がクラスの担任になったからでも、昨年度同様花代と同じクラスとなったためでもない。
伯は急いでいた。遅刻寸前に登校すること自体は普段と変わらないのだが、本日授業はなく理由は別に存在する。
この発端は昨日。ザスピルから物質世界へと帰る直前にかけられた式部の言葉。
「明日は入学式。朝活動は全面休止だから他の生徒は通常通り登校するが……俺たちはもちろん別だ。
朝七時に体育館集合。遅れるなよ」
反論の余地もない一方的な連絡で、告げるやいなや式部は扉の中へ入ってしまった。
ただでさえ伯は早起きが苦手。加えて連日の任務で疲れている体に鞭打って起きなければならないのだ。最近の起床時間よりも一時間以上早く。春休みで怠けた生活リズムを一日で矯正するように。
幸い学校まで自転車で約二十分。人気の少ない早朝であればもう少し早く到着できるだろう。
ビルの隙間から学校が垣間見えた。信号を渡れば正門はもう目と鼻の先にある。
時間を確認すると、定刻の五分前。体育館は自転車置き場の隣にあるので、このままいけば問題なくたどり着けそうだ。
タイミングよく前方の信号が青に変る。
伯はラストスパートをかけようとギアを切り替え、脚にぐっと力を込めた。
――がその時、横道から不意に何かが飛び出してきた。
「おわぁあ!」
「きゃぁっ!!」
反射的にハンドルを切りブレーキをかけて急停止する。
振り返ると被害者であろう茶髪の女の子がしりもちをついていた。
「ご、ごめんなさい! 大丈夫ですか? 怪我はないですかっ?」
「はっ、はい大丈夫です!」
歯切れの良い返事を聞き、心配が吹っ飛び一安心する。
伯は転倒時に地面に散らばった女の子の荷物を拾い集めた。
キリン柄のシャープペンシルにライオンをモチーフにした筆箱、パンダのような白黒のファイル、ZOOと大きくプリントされた財布、尖った耳付きカバーのスマートフォン……。
誰がどう見ても動物好きだと分かるくらいにアニマルグッズを所持している。ここまで集めれば好きを通り越してオタクの部類に入るだろうか。
最後に豚の尾が描かれたパスケースを手にした伯は、そこから滑り落ちたものへ目を見やる。
「学園の入学案内状……君ってもしかして、そこの学校の新入生?」
「は、はい! 高等部に入学するんです」
「そっか! 入学おめでとう」
拾い上げた物を手渡しながら、そこでようやく女の子の顏や服装を認識する。
赤の線が特徴的な黒と灰色のセーラー服は紛れもない弐路学園高等部の制服で、今年度の一学年を示す黄色のスカーフを付属の留め具できちんとまとめている。
平均より低い身長に加えて右耳の上で髪を束ねた橙の瞳を見る限りでは彼女が高校生とは正直思えないのだが、身近に一人似た人物がいるせいか驚きはその時だけだった。
女の子は体格に似合わぬ大きいリュックサックへ荷物を詰めコンビニの袋を手に取ると、ありがとうございます、と頭を下げる。
伯の不注意で危うく怪我をさせてしまうところだったにもかかわらず、お礼まで述べるその子の礼儀正しさに思わず感動を覚える。しかしこの責任は僕自身にあるので咄嗟にそれを止めようと口を開くと。
――遠くの方から時を告げる鐘の音が轟いた。
「あ、や、うわぁっ! ご、ごめんね。ちょっと急いでるんだ。
見ての通り僕も学園の生徒だから……もし何か問題があったら遠慮せず生徒会室に顔出してよ。それじゃあ!」
申し訳ない気持ちを抱きつつ、女の子を置き去りにハクは慌てて学校へ向かう。
息を切らして体育館へ転がり込むが、案の定式部は仁王立ちでステージの前で待機し圧倒的な眼力で伯を迎え入れた。
事情を説明したところで遅れた言い訳にしかならない。伯は潔く謝罪し、大人しく彼の指示に従った。
――――
時計の針は進み、現在午前十一時。体育館では整然と並ぶ人々と厳粛な空気に満たされた環境で、弐路学園高等部の入学式が執り行われている。
真新しい制服に身を包んだ新入生たちが、不安と期待が入り混じった瞳でステージに掲げられた校旗を見つめている。
「――続きまして、在校生歓迎の言葉。在校生代表、式部菖」
「はい」
ステージ横に用意された教員および生徒会の席から式部が立ち上がりステージへ向かう。
「新入生のみなさん、ご入学おめでとうございます――」
式部は凛とした表情で新入生を見渡し言葉を述べていく。その姿は弐路学園高等部の三年生で生徒会副会長に相応しいものだった。
教員からの人望も熱く学年や男女に関係なく慕われる彼は伯にとっても憧れの存在。そこにいるだけで息詰まる雰囲気の中原稿など見ずに彼は挨拶している。しかも、ただ暗記した内容を言うのではなく、強弱をつけたり身振り手振りを加えたりして退屈させない工夫までしていた。
今朝の練習の成果が表れているようで、協力して体育館を駆け巡った伯もなんだか嬉しくなってくる。
「――以上を持ちまして私からの歓迎の言葉とさせて頂きます。楽しい学校生活を共に築いていきましょう!」
一度も言葉に詰まることなく挨拶を終えた式部に盛大な拍手が贈られる。伯も心からの気持ちを同じように示す。
元の席に戻ってくるなり満足げに笑みを浮かべる式部。それをみて伯も笑って意を示した。
「新入生誓いの言葉。新入生代表、山吹つぐさ」
最前列に座っていたつぐさが返事をし、壇上に立つ。
心なしか緊張よりも不機嫌な表情を浮かべていて、声のトーンも抑え気味だった。
だが、それも仕方ないことだろう。
新入生代表の挨拶は入学試験で成績トップだった生徒が行うように取り決めされている。それは一方では誇れるものだが、他方では容赦なくこの場で自分の順位を公表させられてしまうことを意味する。
全国でも有名な進学校であるこの学園でそれがもたらす効果は大きく、プライドが高い生徒や進級組に言わせれば代表に選ばれる生徒は気に入らないのだとか。
この学園は中高一貫教育と高等部での外部募集を行っていて、中等部からの進学者が半数を占めていている。
加えて定期試験では上位者の名前が成績と共に全校生徒へ掲示される。
下手に名前と顔を覚えられると面倒ごとにも巻き込まれかねず、そんな環境下へ疎まれる人間が無力にも投げ込まれようものならば、学生生活に支障をきたさないわけがない。
「――以上で誓いの言葉とさせて頂きます。本日は誠にありがとうございました」
棒読みの挨拶を終え、校長へ一礼したつぐさは降壇し無事席へ着く。
強靭な度胸とわがまま精神と兼ね備えたつぐさであるので心配する必要はないだろうが、何かと周りを気にする年齢。
些細なことが契機となって暴走しまわないように先輩として気を遣ってやるのもいいかもしれない。
堅苦しい式の終わりに全員で校歌を斉唱しながら伯はひっそりと思考を巡らせていた。
それから数日経った、夜――。
「オリエンテーションや施設巡りも終わって、ようやく授業か。少しは高校生活に慣れた?」
「大分ね。レンガ造りの校舎でお洒落だし、上靴に履き替えなくていいのは嬉しいよ! でも、なんで部活動に入らなきゃいけないの? 僕そういうこと苦手だし、面倒くさいんだけど」
「うちは勉強以外のことにも力を入れてるからさ。勉強と部活を両立する体力と頭脳を鍛えることこそ、成功者への近道だって先生は言ってたけど……実際やるってなると結構難しかったりするんだよね」
頬を膨らませてむーっと不機嫌に振る舞うツグサに、好きなことならいくらでも精力を注ぎ込めるものさ、と言葉を投げかけるシキブ。
ツグサを真ん中に並んで歩く三人は、任務を終えて合流し街を探索しているところだった。
「でも、ツグサならどこの部活に入っても上手くやっていけると思うよ。運動神経も僕よりずっと良いし、入試学年トップだから文句を言われることもない」
「なにかと騒がしい奴が学園には多いから誘いの声もかかってるんじゃないか?」
「勧誘はされてるよ。でも乗り気がしないんだよねー」
ツグサはポケットから飴を取って口に含んだ。
あのキャンディーショップが相当お気に召したらしく、少しでもストレスを感じることがあればすぐに糖分補給と主張して飴をかみ砕いている。
事件があった日、黒車に残した大量の飴が結局ツグサに渡されることなく処分された悲劇を受けて、毎度任務の前に店へ赴いては購入しているのだった。
「ハッくんとキブ兄は知ってるけど、アイ姉とアーちゃんは何してるんだっけ?」
「アカネは馬術部だ。詳しくは知らないが副部長を務めていて大会でもそれなりの成績を出してるらしい。ハナダは……吹奏楽部だったか?」
「いえ、ハナダは楽器は吹きますが部活には所属していません」
「えー、なんで?」
「ハナダはコンクールで優勝するくらいのクラリネット奏者なんだ。個人レッスンも受けているから、わざわざ部活動に入る必要もないってさ」
「地方にある学校の生徒が全国で優勝し、将来世界レベルのプロで活躍することになれば、名声も得られて一層有名になるからな。
使えるものは極限まで利用するのが学園を牛耳る大人たち。まあ当然といえば当然か」
シキブ先輩はそこまで言うと、思い出したように話を切り出す。
「部活どうこうの前にツグサに確かめたいことがあった」
「えー、なにーその目」
「お前一人でも友達はできたのか?」
「…………え何?」
「なんだよその沈黙」
「べ、別にぃ……」
「どうなんだ?」
「…………………」
視線を逸らしてツグサは歩き続けた。手を後ろで合わせ、わざとらしく無言を貫いている。
遂にシキブは大きなため息をつくと呆れた声で言った。
「やっぱりな。何度か校内でお前を見かけたのに一度もクラスメートと行動している姿がなかったから、そんなことだろうと思ったよ」
「う、うるさいなぁ。キブ兄に言われなくてもそれくらい自分でできるよ!」
「なら聞くが、同級生に話しかけたりしたのか? 自己紹介はしたのか?」
「……担任の教師が最初に自己紹介しろって言うから名前は言ったし、その時に全員の名前は聞いたよ」
「でも、覚えてはいないんだろ?
……だったら、ツグサのクラスメートの人数は?」
「……四十人、くらい?」
「三十五人だっ! 付け加えると、男子が十六人で女子が十九人。
なんで俺の方が詳しいんだ!」
早速問題事項が浮上する。
ハクは事態の深刻さに仰天するあまり言葉が出せない。
口をとがらせていたツグサは腰に手を当ててない胸を張ると、開き直って主張する。
「友達なんていなくても僕はやっていけるよ! 勉強だってわかるし、動くのも得意だし、甘い者さえあればお昼ごはん食べなくてもへっちゃらさ!
もしもの時はキブ兄やハッくん、アイ姉にアーちゃんもいるから、寂しくないもん!」
「あのなあ……俺は同学年の知り合いを作れって言ってるんだ。
むこうで接点が皆無の俺たちが、知り合いのようにさも振る舞えば当然周りの奴らが怪しむだろう?
同じ特待生である俺やアカネはまだしも、そうじゃないハクやハナダと親密に接すれば変な疑いをかけられかねない。
ただでさえこの前の事件でこの世界の情報漏洩が懸念されているんだ。これ以上余計な心配をさせないでくれ」
頭を抱えるシキブ。ハクも相当彼に面倒かけているが、この場合ツグサの方が数倍厄介だと宣言できるだろう。
お互いに一歩も譲らず、口論は勢いを増していく。先輩と後輩の喧嘩、というより年の離れた兄弟を通り越して大人と子供の口喧嘩にみえてくる。
こうなってしまっては、ハクが口を挟むことなどできやしない。ハクは二人を視界から追い払うように建物へ目を向けた。
中央の繁華街と異なり、シックな外観が続く東区では看板の代わりに風船が採用されている。
丁度目を止めた風船は白を基調として黒い斑点がある。
牛かパンダか、考えていると、入学式の朝に出会った橙色の瞳の女の子が想起する。
部活や活動を決めるために多くの新入生が見学のために毎日生徒会室へ訪れている。流石に全員の顔を覚えているわけではないが、あの子の姿は見かけていなかった。
見た目の幼さと明るい印象からツグサの良き友になれるのではないか。
動物好きを考慮すれば、アカネとも意気投合しそうだ。
『――ハクか。シキブとツグサと一緒のようだな』
突然脳内にミスターの声が反響する。
近くに彼がいるわけではない。昨今ようやく完成した通信機を通して思念を送ってきているのだった。
『丁度良い。
今からお前たち三人にはある場所へ向かってもらう』
「三人か。たいそう厄介な任務なんだろうな」
『厄介な任務ほど大好物だろう?
行方を眩ませていた例の建物の所有者が見つかった』
「!」
『本来の仕事はハナダとアカネに任せておけ。
お前たちはその潜伏先へ向かい、状況を報告。あわよくば標的を捕え、連行しろ』
「よし。
善は急げ、だ。行くぞ」
通信を終えたハクたちは踵を返し早足で目的地へ向かった。




