扉の向こう
扉をくぐってやって来た場所は、都市ではお目にかかれないほどに自然の恵み溢れる静かで飾らない世界だった。
視界の上半分はペンキをこぼしたような青一色の空が広がり、下半分は数えきれないほどの野生の草花が風に揺られて生き生きと天に向かって伸びている。
近くを流れる川は背後にそびえ立つ険しい山からきているようで、下流へ進めば海へ合流するようだ。
辺りを見回し動くものを探すが、野生生物はもちろん仲間以外の人影すら見当たらない。
「あーくそ、どっちだ」
「海か山か。五人もいるから二手に分かれることもできるわね。
なら私は――」
「山の方だよ」
あることに気付いたハナダが結論を述べた。
苦心していたシキブとアカネが根拠を問うと彼女は膝をついて扉を指さし口を開く。
「扉からここ、そして上へ向かって茎の折れた花が続いている。これは誰かが歩いて踏みつけた跡だよ」
「あ、ホントだぁ」
「茎の状態から判断するに時間はそれほど経っていない。
よく見ればそのすぐ近くにも同じような痕跡があって、そっちは地面に足跡も残っている。だからそれを頼りにしていけば……」
「さっすがアイ姉!」
そう言って立ち上がったハナダはツグサと並んで痕跡を手掛かりに進んで行く。
表舞台から一歩下がって冷静に物事を見極め、鋭い洞察力でそこにある真実を見つけ出すハナダ。振り向くこともせずただ己の道を行く彼女の姿にハクはただただ感服する。
いつも意地を張って挑んでいるアカネも今回ばかりは完敗を認め、潔く先行する二人の後を追う。
シキブもそれに続くが、顎に手を当て思考に耽っていた。
「……やっぱり変だ」
「え?」
「この事件、絶対裏がある」
「随分突拍子もないこと言うのね。ま、私も少し感じていたことだけど」
賛同するアカネ。話しについていけないハクが質問すれば、シキブは剣を持たない方の手をポケットに入れ、前へ向き直り続けた。
「まず、事件の概要だ。
客人は魔塊を所持して住人と共に“自らの意志で”ここへ逃げ込んだが……。
普通なら人間は魔塊の強力な魔力あるいは魔物に喰われて理性を失い、暴走して周囲に危害をもたらす。
だが、情報から察するに客人はそうした事態にはなっていないし、同行している住人もまた己を保って行動していること。
次に俺たちが迫ってきているのに、魔法で襲ってこないこと。
ここが住人の私有地なら空間内の全てを一瞬で察知できる。それに魔法制限も課せられないから、指を一振りするだけで俺たちを排除することは可能だ」
「ま、嵐の前の静けさとも考えられるけどね」
「そして、これが一番奇妙なんだが……ハナダが何も言わないこと」
えっとハクが声をもらせば、アカネも驚きシキブへ視線を送る。
対して発言した彼はじっと前を向いていた。地面に残された跡を頼りに先行する仲間へ紫の瞳を光らせて。
「俺たちは依頼内容を警察の車内で受けたが、それを初めに確認したのはハナダだった。あいつなら一目見てこの異変に気付き、詳細を問いただしたはず。すべてが規則正しいこの世界でこんなイレギュラーはありえないって」
「ちょっとシキブ、それは過大評価よ。彼女だって人間なんだからそういう失態もあって当然でしょ。
むしろそうあってくれないと私が困るのだけれど」
「アカネの言う通りですよ、先輩。
確かにハナダはすごいけど、時にはそんなことだって……」
「……ならいいんだけどな」
ハクとアカネの言葉も空しく、シキブの表情は曇ったまま疑いの目を向けている。
会話もなくなり、沈黙のままハクたちは前の二人を追って歩く。
ハクが隣の彼を一瞥したが、依然として晴れていなかった。
痕跡に従って進んで行くと、山のふもとに広がる森林へ到着した。初めより標高が上がったためか、風が木々を揺らしている。
中へ入れば、地表の変化に伴い世界も色彩豊かなものから茶と緑に覆われたものとなった。
そして――彼らを狙う気配もいずこより現れ、仕留めんと刃をむく。
「――危ないっ!」
「え――うわぁ!」
間一髪アカネに突き飛ばされたことでハクは横からの襲撃を逃れ、杖を手放し地面に転がる。だが、その結果として一行は木の上より狙う眼光を捉えることができなかった。
「カアァァァァァッ!!」
鋭い爪と尖ったくちばしを持つ黒い鳥獣たちが今まさに彼らを排除しようと迫りくる。
迂闊にもその時誰一人として展開魔法を詠唱していなかった。よって魔法は発動できず、手にした武器だけが唯一の攻撃手段なのだが襲い来る魔物の数は彼らの数倍。到底一度の技で倒すことはできない、とハクは現状を把握する。
ならば、自分が時間を作る。今仲間を敵の攻撃より防ぎ、応戦準備をするために。
「――わ、我が綴りたるものは 勇気の軌跡 不屈の願い胸に抱きて 白き庇護をここに広げ――んぐっ」
体勢はそのままに早口でハクが呪文を唱えた。
あらかじめ地面を触っていたことで、瞬時に魔法壁が円形に展開されカラスの奇襲を防御する。
だが、完全防御とまではいかず、一羽の侵入を許してしまった。
「カァァ!」
――バンッ。
銃声が鳴りカラスの心臓を貫く。放ったのはライフルを借り受けたハナダだった。
落下した死骸より黒い物体が離れ光となって消えゆくのを見届け、構えたそれを下ろす。
アカネが愚痴をこぼすように言い放った。
「ほら、やっぱり襲ってきた。しかも魔物がカラスに憑依して狂暴化してるじゃない」
「でも、確実に犯人の元へ近づいてる、ってことだよね」
「あぁ。けど、なんでこのタイミングで……」
「詮索は後にして! 今は目の前の敵をどうにかしないと先へ進めないでしょ!」
疑問を抱くシキブだがアカネの言う通りで、状況は非常に悪かった。ハクの魔法はあくまで敵の攻撃を防ぐ障害で触れた相手を倒す力は備えていない。
ならば暴れ回る魔物を一掃できる強力で広範囲の攻撃が最も適している。
「じゃあ僕がやる! そろそろ散歩も飽きてきたころだし、他に人もいないから……思いっきりやってもいいよね?」
ツグサが口に含んだ飴玉をかみ砕くと、森を揺らしていた風が止み静寂が訪れる。
残った棒を噛みくわえ、それから佇む年上の三人の横を通って障壁の外へ出る。そして、ポケットより新しい飴を取り出して掲げたツグサは、再び襲い来る敵へ向かって囁くように唱える。
「――我が綴りたるものは 黄昏の時 真なる風の制裁を加え すべてを無に帰さん――」
上げた腕を一振りすれば瞬間止まっていた風がどこからともなく吹き荒る。そして、ツグサを中心に見えない刃となって鳥獣たちの体を切り付けた。それは同時に周囲の木の肌も削ぎ落し、太い幹すら粉々に切り裂いていく。
展開している魔法壁にも接触し摩擦音が鳴る。
ようやく静けさが来訪した時、そこにあったのはあまりにも胸が締め付けられる光景。
「ぅわ……」
「これは、ちょっと……」
ツグサが猛威を振るった魔法は、初めから何もなかったように緑を消し去っていた。無残にも地に転がる屍は毛も羽根もむしり取られ、一点の黒も残っていない。
ハクはそれらを視界に入れないよう急いで立ち上がる。そっと近づいてツグサの顔を見やれば、一点の曇りのない瞳でそれらをみつめ笑みをこぼしていた。
ぞくっと背筋が凍り着き、思わず後退る。偶然にも歩いていたシキブにぶつかるが、彼は無言で少女へ近づくと一喝。
「――やりすぎだ!」
「……あ、ごめんなさーい」
まったく反省していない普段の調子で謝罪するツグサ。盛大にため息をつくシキブと茶目っ気に笑うツグサの姿にようやくハクも安堵する。
一か月の間に何度もツグサの魔法を見てきたハクだが、これは間違いなく殺傷力が高く、危険な魔法であり、使い方を誤れば仲間にも危害を加え兼ねないと直感する。そして、ツグサはそのことを十分に理解していない、とも。
アカネも合流し口うるさく文句を言い並べる。この際だからハクも助言しておこう、と踏み出したその時だった。
幸運にも魔法を受けなかった木々の間より小さな声があがり、二つの人影が駆けていく。
「? あ――あぁっ!!」
ハクが指さし仰天する。示す先には遠ざかっていく二つの大人の姿。先頭を行く者は反射するスキンヘッドで、遅れるもう一人は今にも転げそうな丸い大柄の男だった。
二人は怯え、ハクたちから逃げるように全速力で森の奥へ進んで行く。
「いたー!」
「あんなところにっ……! 逃がすかよ!」
姿を捉えたツグサとシキブが飛びだし、追跡する。
ハク、アカネ、ハナダも遅れないように駆け出した。




