はじまりのとき
ハクがヴィジョナリーの一員としてザスピルへ来訪するようになって一か月が経過した。
連日魔法の訓練に追われ慌ただしい日常を送るハクであったが、所詮は夢の中の出来事。任務のため早く床に就くため睡眠も平均七時間となり以前よりも生活のリズムは改善していた。
加えて魔塊回収にも慣れ、空き時間が発生すればザスピルで勉強もできる。将来への不安で思いつめ、影を落としていた心の闇を払拭しハクは新年度を迎えていた。
時は人々が寝静まった夜――。
「二十分経過……。
一体俺たちはいつまでここで待たなきゃならないんだ?」
「仕方ないですよ。ここはオープンしてまだ数日しかたっていない、今話題の注目店なんですから。
それに、たとえ二人が何を買うかすぐに決めたとしても、今度はレジが混んで支払いにも時間がかかりますよ」
「……せっかくこっちの世界に来てるのに、わざわざ買い物するかね、普通」
ため息交じりのシキブにハクはただただ苦笑する。会話が途切れ二人は再び黙り込む。ハクは呆然と目の前を行き交う人々を見つめていた。流れ星と共に穏やかで平和な時間が今日も流れている。
いつもより早くヴィジョナリーの任務がひと段落し、二人はハナダと偶然街で遭遇したツグサの気まぐれに付き合わされていた。
別に急ぎの用が後ろに控えているわけではないが、壁にもたれて腕を組むシキブと会話もなく待機するのは少し辛い。
シキブは先ほど終えた任務が原因でご機嫌ななめ。というのも、畳みかけてくる魔物の攻撃をかいくぐり、やっとの思いで到達した標的にハナダが魔法でいとも簡単に近づいて彼の目の前で手柄を横取りしたからである。
ハナダに悪気はないことをシキブは十分理解していた。事情を知った彼女も素直に謝罪し、その魔塊は現在彼の所有するところとなったが、理性で感情を無理やり押さえ込まなければ、大惨事となっていたに違いない。
そして今度はツグサの提案でとある店へ立ち寄り、長いこと待たされている。シキブのようにせっかちな性格ではないハクだが、瞳は店の扉へ注がれ仲間が出てくるその時を今かいまかと待ち望んでいた。
「ありがとうございましたー」
「おっ待たせしましたー!」
「……やっと出てきたな」
抱えるほどの大きさの紙袋と共にようやくツグサが店を後にした。店の扉を抑えていたハナダも続いて戻ってくる。
こちらの苦労はつゆ知らず、ツグサは太陽のような笑顔を浮かべていた。非常に満足した様子だったので、これならばシキブも大目に見るだろうとハクは一息つく。
「はいはい、待ってましたよ、おふたりさん。お目当てのものは買えたのか?」
「うん! すっごく楽しかったし。いっぱい買っちゃった!
……えーっとぉ……」
「何してるんだ?」
「ツグサが二人の分も買っていたから、それを探しているのかな」
「それは後でいいから、早く離れよう。甘ったるい匂いがそろそろ限界で……」
「えーもうすぐ見つかりそうなのに―……あっ、み―つけた!
二人とも手出して」
ツグサに言われるままハクとシキブは右手を出した。
にこにこしながらツグサは袋から買ったものを彼らの掌に乗せる。それは飴玉の入った小さな瓶。ラベルを見れば“unmelted candy”と書かれている。
「な、何これ……?」
「飴玉だよ! キブ兄はぶどう味で、ハッくんはもも味。
なんでも、ずーっと舐め続けてられる溶けない飴なんだってさ!」
「へぇー……」
「疲れた時もそうでないときも甘いものを食べれば気分もすっきり! 勉強頑張ってるハッくんに僕らからのプレゼントだよ。あ、キブ兄はついでだからね」
だと思ったよ、と言いつつシキブは飴玉を一つ口に含んだ。ハクは後の楽しみに、と懐に仕舞い込む。
ツグサは袋からうずまきキャンディーを取り出して豪快にかぶりついた。しかし、それが人の顏と同じくらい大きいのでハクは無事食べ終わることができるか心配する。
それから気の利いた手ぶらのハナダがツグサの荷物を持つと、一行は匂いから逃れるため中央へ向かって踵を返す。
物質世界で目覚めるにはまだ時間がある。中央には書庫もあり、ミスターの所有する本にも魔法に関連したものがあるのでたまにはそれらに手を出すのもいいかしれない。ハクはひっそりと期待を膨らませ三人の後に続いて歩いていた。
だが、ハクの願いは成就することなく、サイレンが聞こえると思考は現実へ引き戻されていく。音は次第に大きくなり、光沢を放つ黒の乗り物が一行の真横で急停止する。
それはこの世界の警察が使用している車の一種。魔法を原動力とする丸みを帯びたフォルムが特徴的な乗り物であった。
突然の出来事に周りにいた人々はもちろん、ハクたちも戸惑いを隠せない。
「……え? あ、ちょっと!」
「うわぁ!」
車の扉が開き、制服姿の大人が出てきたかと思えば、ハクたちの腕を掴み問答無用で車内へ引きずり込む。
抵抗する間もなくドアとロックが閉まると、ブレーキを下してすぐさま発車した。
「おい、警察だからっていきなりなにしやがる!」
様々な要因でいよいよ堪忍袋の緒が切れたシキブが怒声を上げた。
それを助手席に座った男性が片手を挙げて制する。冷静を装っているが、焦りで手いっぱいという態度の警官は横顔だけを後部座席に向けて話す。
「……手荒な真似をして申し訳ない。だが、我々にはゆっくりおしゃべりしている時間はないのだ。
急を要する事態が発生し、我々では手に負えなくなっている」
「……どういうことです?」
感情的になっている先輩を制し、ハナダが声の主に尋ねる。
ハクは次第に車内が緊迫した空気に包まれていくのを感じていた。飴をくわえて余裕を見せるツグサでさえ、問いの答えをじっとまっている。
相手が何を言うのか、ハクたちはある程度察していた。
魔塊による秩序の乱れ。だが、それならばこれほどまでに急ぐ必要はなく、警官らが事態を深刻にとらえることもない。
「実はな……」
ようやく言葉が吐き出され、ハナダに二つ折りにされた紙を手渡す。
ゆっくりと開きハクたちに目に飛び込んできた文章。事実だけを述べたその内容は、一見ありきたりではあるがそれがまた奇妙に思えるもの。
〈魔塊を所有した客人が住人と共に空間を渡り、街を通って異なる空間へ逃走。
夢見人へ応援要請し、至急捕えられたし〉




