補話 路地裏での戦い②
何故。
何故、この鬼はこれほどまでに強いのか。
油断しなければ、上級魔術師が勝てるはずだったのに。
その理由はエリザベスにはわからない。
だが、ここで勝負を放棄するわけにはいかない。
この勝負の敗者に待つものは、死のみなのだから。
「【サンダー】二重詠唱!」
渾身の魔力を込めて打ち出した雷は、鬼のショートソードを伝って吸い込まれるように流れた。
またしても直撃である。
雷を受け、鬼の着ていたフードはメラメラと燃え出した。
しかし、鬼は表情一つ変えず、平然と立っている。
それが当然だと言わんばかりに。
次の瞬間、鬼はエリザベスに接近し、首に下げているペンダントを奪い取った。
自分が魔法を発動するための装置である。
これが奪われては、もうどうしようもない。
エリザベスの完敗であった。
「これで、お前の魔法は封じられた」
鬼は抑揚なくその事実を言う。
エリザベスからは、声にならない声が漏れた。
鬼の表情を窺がうと、その視線の先は自分ではなく、さらにその後ろに注がれていることがわかった。
「エリザベス、あんたの往生際が悪いから、無関係な少年を巻き込んでしまうことになりそうだぞ」
鬼は、新たな獲物を見つけたというように、ニヤリと笑った。
エリザベスが振り返ると、そこにはエリザベスと同年代の少年が一人、息を切らして立っていた。
「この者は鬼です。しかも、上級魔術士ですら歯が立たないほど強い。早くこの場から逃げるのです!」
何も知らず、この場に現れたであろう少年に警告する。
エリザベスにできることは、もうこれしか残されていなかった。
この少年は全くの部外者である。
せめて彼は無事にいて欲しい。
しかし、少年は逃げる素振りすら見せなかった。
その瞳には闘志が宿っているよう見えた。
何故逃げないのかと叫びたくなったが、この状況では、逃げ出しても殺されてしまうことは変わらないだろう。
(神よ。この少年に奇跡をお与えください)
これから奇跡が起こることを願うしかない。
「・・・どうやら、お前も魔術師のようだな。どうせ俺には勝てないと思うが、実力が未知数の奴と戦うのはできれば避けたいものだ。これならどうかな」
エリザベスの体は、鬼の左手によりぐっと鬼に引き寄せられた。
戦えないばかりか、人質として囚われることになってしまった。
少年が本当に戦う気があるのだとすれば、完全に足手まといである。
少年と鬼は、暫くの間睨み合っていた。
「どうした?来ないのか?」
鬼が少年に行動を促す。
膠着状態にしびれを切らしたのであろう。
もう一刻の猶予もない。
「【アクセル】!」
少年が加速魔法を唱えた。
ダンッ!ダダンッ!ダンッ!ダンッ!
次の瞬間、エリザベスの左手側の壁何枚かに穴が開いた。
その先には、倒れた鬼の姿が見える。
穴の開いた壁の向こうからは、住民らの悲鳴が聞こえ、何が起こったのかと恐る恐る穴の先を覗く人の影も見えた。
幸運なことに、第三者に負傷者はいないようだ。
「ほえ?」
エリザベスには、残像すら見えなかったが、おそらくこの少年が加速し、鬼をふっ飛ばしでもしたのであろう。
エリザベスが聞いた呪文は確か【アクセル】だったはずである。
ただの【アクセル】で残像すら見えないほどに加速したという話は一度も聞いたことがない。
目の前で起こったことは間違いなく奇跡であった。
その奇跡によって、エリザベスは死の淵から生還を果たすことができた。
安堵を覚えたせいか、緊張が解けて軽い眩暈がし、足元がふらつく。
「大丈夫ですか。お姫様?」
少年は、さっと手を動かし、エリザベスの体を支えた。
少年の手が自分の腰に触れている。
そして顔も近い。
よくみるとダークブラウンの綺麗な瞳をしている。
珍しい色であるが、どこの出身の者であろうか。
先ほどまで死にそうな目に遭っていたにも関わらず、今、それよりも強い刺激を受けているような気がした。
エリザベスは、無意識のうちに小さな悲鳴を上げる。
「これは失礼しました。お怪我はありませんか?」
自分が全力で戦っても全く歯が立たなかった相手を瞬殺した少年――あれほどの芸当を見せておきながら、何故平然と立っていられるのだろう。
自分は、かなり魔力を消費し、かなりの疲労感があるというのに。
「え、ええ特に問題はありません」
ここで動揺しているようでは、エリザベスに対する少年の評価が悪くなる。
そんな気がしてエリザベスは気丈に振る舞った。
エリザベスが、少年に向ける優しい眼差しと微笑みにどんな感情が紛れ込んでいるのか、当の本人もよく理解しないでいたのだった。
※ ※ ※ ※
「姫!カント君!大丈夫かい?」
顔見知りが騒ぎを聞きつけ駆けつけてきた。
トルンスタント侯爵とその娘のアイリスである。
アイリス嬢は、エリザベスより一つ年上なのだが、年が近いということもあり、過去には一緒に遊んだこともある。
「ええ、この者のおかげで、このとおりなんともありません」
「それは何よりです。少しお顔が赤いようですな。お風邪を召されたのかもしれません」
トルンスタント侯爵は、エりザベスの顔を見てそういった。
「い、いえ、なな、なんともありません!」
すました表情をしていたつもりだったのに、完全に顔の面に出ていた。
あの少年は、エリザベスの顔を見て何を思っていたのだろうか。
想像しただけで恥ずかしくなる。
顔が火照っているのがわかる。
自分の顔はさらに赤くなってしまっているであろうことは、鏡を覗き込まなくても容易に想像できた。
「人質から解放されて疲れが出たのでしょう。私が部屋までお送りいたしましょう」
トルンスタント侯爵は、エリザベスの手を引き、その場を立ち去ろうとする。
「あの、この者はカントというのですか?」
できるのであれば、この少年ともっと話がしたい。
しかし、自分の身勝手からこのような騒ぎが起こってしまい、そんな我が儘が通せる立場にないこともよく分かっている。
「ええ、今は私の客人でございます。所用で王都に向かう旅の途中でして」
「そうですか。カント、危ないところを助けてくれてありがとう。王都に寄ったら、王城にも寄ってください。何かお礼をいたしましょう」
「滅相もない。当然のことをしたまでです」
「カント君は、アイリスとゆっくり帰ってくるといい」
「わかりました」
こうして、エリザベスはホテルの帰路でトルンスタント侯爵に身勝手な行動は慎むように諭された。
無論ホテルに帰った後も、側近のものにこってり絞られたのであった。
次回本編に戻ります。




