補話 路地裏での戦い①
エリザベス姫視点の話です。
「やった。ようやく抜け出せたわ」
彼女の名は、エリザベス・プリンセス・ド・ナスタリア。
この国、ナスタリア王国の第三王女だ。
今回、地方で公務があり、その帰路の途中だったが、従者達がホテルに着いて少し気を抜いた隙をついて街に抜け出したところである。
街の風景は、いつも馬車の車窓から見下ろすだけ。
下町の小さな子供でさえ、一人で元気に走り回っているのに自分は自由に歩き回ることすらできないことに不満を覚えていた。
王女という身分である以上、当たり前のことなのだが、足りないものは満たされたくなるというのは、身分に関係ない欲求なのであった。
そもそもエリザベスが一人で街を出歩いたところで、彼女に危害を加えられる者など滅多にいない。
エリザベスは、5歳にして高等魔法を使いこなせるようになった上級宮廷魔術師顔負けの魔術師であった。
この国の貴族が、魔法に優れた血統で構成されていることから、それを統べる王族はさらに能力に秀でた一族となることは自明の理である。
片田舎のチンピラが襲ったところで、返り討ちにされてしまうのが落ちであった。
初めて街を一人で出歩いたエリザベスにとって、自分の目線から眺める街の景色は新鮮なものであった。
人々や馬車がせわしく行き交い、商人達の勢いのある声があちこちから聞こえている。
手に取って見てみたくなるような露店の雑貨も、思わずつまみ食いしたくなりそうなほど良い香りを漂わせる美味しそうな食べ物も、エリザベスがここに来て良かったと思うには十分なものであった。
ただ、エリザベスは、世間知らずであるがゆえに、大きな失態を犯していた。
服が目立ちすぎることである。
明るい水色を基調とし、数々の白いフリルで装飾されたワンピースは、周囲の人々の服装と比べても完全に浮いており、ここにお嬢様がいますよと語らんばかりであった。
無論、王城で公務をする時にするような正装ではないにしても、街を歩く人々から見れば明らかに違う色を放っていたのは間違いなかった。
このため、街の衛兵にエリザベスが抜け出したとの情報が回れば、すぐにでも見つかってしまうところであったが、今はまだただ目立つだけの少女ということで、皆がスルーしてくれていた。
このまま何もなければ、捜索が開始されるまでの間、街を見物できたはずだったが、それは予期しない形で中断されることとなった。
怪しい男が、エリザベスを呼び止めたのだ。
「そこのあんた」
「私かしら?」
エリザベスは、声をかけられ、もう追手がきたのかと一瞬ギクリとした。
だが、声の主が薄汚れたフードを被っていたので、そうではないことはすぐにわかった。
「貴女がエリザベス様であることは知っている。俺はこういうものだ」
男はちらりとフードを捲ってみせると、頭に角が生えていることが確認できた。
「鬼・・・」
教会の教えによれば、神に背いた「人間」の成れの果て――それが鬼である。
普段は、人目につかないようにひっそりと暮らしているらしい。
エリザベスも実際に見たのは初めてであった。
「人間」というだけあって、角と牙以外に普通の人間と差異はみられない。
見た目の差だけであれば、違いに獣人族やエルフ族と大差はないだろう。
しかし、注意しなければならないのは、その戦闘力の高さである。
神に背くというという大きな代償を支払っただけのことはあり、その力は凄まじい。
一端の上級宮廷魔術師でも、気を抜くことができない相手である。
「率直に言おう。あんたには死んでもらいたい」
豪速のストレート、ど真ん中であった。
「チャンスならこれまでにもあったでしょう?」
「流石に他の奴らを巻き込むようなことは避けたくてね。無駄に命が失われることはあんたも望まないだろう?」
確かにこの鬼の言うことはもっともだ。
ここで本気で殺り合ったら、確実に何人もの死者が出る。
エリザベスとしてもそれは避けたかった。
また、逃走を図っても死者が増えるだけで、どのみち戦闘は避けらない。
「場所を変えましょう」
「よし、路地裏に回ろう。ついて来い」
エリザベスは、鬼の後を追って歩き出した。
※ ※ ※ ※
「さて、どうしようかしら」
路地裏に人気が無いことを確認し、エリザベスは鬼に話しかけた。
「早速で悪いが、始めることにしよう」
鬼は、フードの下からショートソードを取り出した。
「【アクセル】!」
応援が期待できない現状、勝負は一瞬でつけなければならない。
エリザベスは、可能な限り加速し、一気にたたみ掛ける作戦に出た。
十分な速度があれば、何をするにしても有利である。
「【ミネラル・スパイク】!」
可能な限りの魔力を込め、エリザベスは金属の突起を地面から鬼に向けて打ち出した。
ドン!
大きな音と共に、鬼は強大な針に突き上げられ、体が高く舞った。
直撃である。
フードには穴が開き、それをひらひらとさせながら鬼の体は落下してきた。
(終わりね)
エリザベスは、そう思った。
しかし、意外にも、鬼は見事な着地を見せたのであった。
「なかなかやるではないか。今の一撃で大きな傷を受けたぞ」
そう言って、鬼は体を捻り、穴が開いたフードと血が付着した衣服を見せつけてきた。
そして、大きな牙を見せて口元を歪める。
「もう塞がったがな」
鬼はただ力が強いというだけではない。
驚異の再生能力も戦闘能力を格段に向上させる要因となっている。
「それと・・・」
突然、目の前に鬼の顔が接近し、真顔で言う。
「遅い」
エリザベスは、現在、加速魔法【アクセル】で可能な限り加速している。
しかし、鬼はそれよりも速かった。
しかも、鬼は魔法など使っていない。
鬼の基礎能力として、この速さが備わっているのである。
従って、【アクセル】のようにじわじわと魔力を消費することもない。
つまり、時間の制限なくこの速さを維持できる。
これが、鬼とただの人間の決定的な差なのだ。
「もう諦めろ」
鬼はエリザベスを諭した。
この時点で勝負の行方は、絶望的な方向にあることが確定的だった。




