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冒険しない勇者  作者: 和泉きよ


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05.お嬢様、魔物を拾う

 その日の朝。


 俺はいつも通り、お嬢様の部屋の前に立っていた。


「おはようございます、お嬢様」


「おはようございます、勇者様」


 扉が開く。


 お嬢様はいつもと変わらない笑顔を浮かべていた。


 ……ただし。


 その腕には、小さな籠が抱えられていた。


「お嬢様」


「はい?」


「それは何ですか?」


「籠です」


「それは見ればわかります」


 俺は籠の中を見る。


 布が敷かれている。


 その上には、小さな丸い生き物がいた。


 毛玉のような身体。


 小さな耳。


 短い手足。


 そして、眠そうに閉じられた目。


「……」


 俺は黙った。


「かわいいでしょう?」


「……かわいいですね」


「でしょう?」


 お嬢様が嬉しそうに笑う。


「昨日、庭で見つけたんです」


「庭で?」


「はい」


 小さな生き物が、籠の中でもぞもぞと動いた。


「ずっと一緒にいるんです」


「なるほど」


 俺はもう一度、その生き物を見る。


 小さい。


 弱そう。


 敵意も感じない。


 でも――。


「お嬢様」


「はい」


「それ、魔物ですよ」


「……」


「……」


「知っています」


「知ってたんですか?」


「はい」


 お嬢様は平然と答えた。


「昨日、侍女に教えてもらいました」


「じゃあ、どうして連れているんですか?」


「かわいいからです」


「理由が単純すぎませんか?」


「かわいいものは、かわいいんです」


 反論できなかった。


 確かにかわいい。


 しかし問題はそこではない。


「魔物を城内で飼うのは危険じゃないですか?」


「この子は大丈夫です」


「どうしてわかるんです?」


「私が抱いても噛みません」


「……」


 それだけで判断していいのだろうか。


 俺は魔物を見つめる。


 魔力は弱い。


 攻撃性もない。


 少なくとも今のところは。


「勇者様」


「はい?」


「この子を飼ってもいいですか?」


 お嬢様が俺を見る。


 期待に満ちた目。


 断れば、きっと悲しそうな顔をする。


 俺はその顔を想像してしまった。


 そして――。


「……陛下に確認しましょう」


「本当ですか!」


「まだ許可が出たわけではありませんよ」


「でも、勇者様が一緒にお願いしてくださるんですよね?」


「……まあ」


 どうしてこうなった。


 俺は勇者だ。


 国内最強の勇者。


 ドラゴンを倒したこともある。


 巨大な魔獣を討伐したこともある。


 そんな俺が今からやることは――。


 魔物の飼育許可を国王にお願いすることだった。


     ◇


「ダメだ」


 国王陛下の返事は早かった。


「危険すぎる」


「ですよね」


 俺もそう思う。


「魔物を城内に置くなど聞いたことがない」


「お父様」


 お嬢様が隣から口を挟む。


「この子は悪い子ではありません」


「しかしだな……」


「勇者様も大丈夫だと思っています」


「……勇者殿?」


 国王陛下が俺を見る。


 俺は困った。


 確かに危険性は低いと思う。


 だが、俺が保証していい問題なのか。


「……俺が監視します」


「勇者殿が?」


「はい」


「お前がこの魔物の面倒を見るのか?」


「必要なら」


 国王陛下は頭を抱えた。


「なぜ勇者がそこまで……」


「……」


 俺自身もわからない。


 ただ。


 お嬢様が大切そうに抱えているものを、簡単に取り上げたくなかった。


「俺が責任を持ちます」


 国王陛下はしばらく俺を見つめていた。


 そして、大きくため息をついた。


「……条件付きだ」


「ありがとうございます!」


 お嬢様がぱっと顔を輝かせる。


「城内から勝手に出さないこと」


「はい!」


「異常があればすぐに手放すこと」


「わかりました!」


「そして――」


 陛下は俺を見る。


「本当に危険だと判断したら、勇者殿が対処すること」


「承知しました」


 お嬢様が魔物を抱きしめる。


「よかったですね」


 魔物は、


「きゅ……」


 と小さく鳴いた。


「……」


 俺は思わず笑ってしまった。


「かわいいですね」


「でしょう?」


 お嬢様が嬉しそうに笑う。


 それを見ていると、俺まで嬉しくなった。


     ◇


 その日の午後。


「勇者様」


「はい」


「この子のお名前を考えてください」


「俺が?」


「はい」


 俺は魔物を見る。


 小さな毛玉。


 眠そうな目。


 時々、


「きゅ」


 と鳴く。


「……マル」


「マル?」


「丸いので」


「それだけですか?」


「はい」


「もっと考えましょう」


「じゃあ……シロ」


「安直です」


「……」


 名前を考えるのは難しい。


 魔王の名前なら何度も考えたことがある。


 敵にふさわしい、威厳のある名前。


 恐ろしさを感じさせる名前。


 そういうものなら得意だ。


 しかし、かわいいペットの名前となると話が違う。


「……ポン」


「どうしてですか?」


「なんとなく」


「ふふっ」


 お嬢様が笑う。


「では、この子の名前はポンにしましょう」


「いいんですか?」


「はい」


 お嬢様はポンを抱き上げる。


「よろしくね、ポン」


「きゅ!」


 返事をするように鳴いた。


「……」


 俺はその光景を見ていた。


 お嬢様が笑っている。


 ポンも嬉しそうにしている。


 ただ、それだけ。


 なのに。


 胸の奥が妙に温かくなった。


 こういう時間も悪くない。


 いや――。


 最近は、こういう時間が好きになってきた。


     ◇


 しかし。


 平和な時間は、そう長く続かなかった。


「勇者様!」


「はい!」


「ポンがいません!」


「……え?」


 夕方。


 お嬢様の部屋に駆け込む。


「さっきまでここにいたんです!」


「窓は?」


「閉まっています」


「扉は?」


「私が開けたときには、もういませんでした」


 俺は部屋を見渡す。


 小さな魔物。


 身体は小さい。


 隠れる場所はいくらでもある。


「探しましょう」


「はい!」


 二人で探す。


 ベッドの下。


 カーテンの裏。


 棚の隙間。


「いませんね……」


「おかしいです」


 俺は耳を澄ます。


 かすかな音。


「……」


「勇者様?」


「静かに」


 聞こえる。


「きゅ……」


 俺は振り返った。


「こっちです」


 部屋の隅。


 大きな花瓶の裏。


「いた!」


 お嬢様が駆け寄る。


 しかし。


 ポンは花瓶の裏で震えていた。


「どうしたんでしょう?」


「……」


 俺はポンの視線の先を見る。


 そこには――。


 一匹の小さな虫がいた。


「……」


「……」


「勇者様」


「はい」


「あの虫が怖いのでしょうか?」


「……たぶん」


 お嬢様はポンを見る。


 ポンは俺の足元に隠れる。


「かわいい……」


「そうですね」


 俺はしゃがみ込み、虫を庭へ逃がした。


「これで大丈夫です」


「ありがとうございます」


 お嬢様がポンを抱き上げる。


「怖かったですね」


「きゅ……」


 ポンが安心したように鳴いた。


 その光景を見ながら、俺は思った。


 俺は今まで、もっと大きな敵と戦ってきた。


 人々を脅かす魔物を倒し。


 危険な場所へ向かい。


 何度も命を懸けてきた。


 でも。


 こういう小さな出来事も、誰かを守ることなのだろう。


 お嬢様が困っている。


 だから助ける。


 ポンが怖がっている。


 だから助ける。


 それだけでいい。


「勇者様」


「はい?」


「ありがとうございました」


「どういたしまして」


「やっぱり、勇者様にお願いしてよかったです」


 お嬢様が微笑む。


 俺も自然と笑った。


「僕は勇者ですから」


 いつもの言葉。


 だけど最近は。


 その言葉を口にするたびに、少しだけ意味が変わってきている気がした。


 国を守るためだけではない。


 誰か一人の笑顔を守るためでもいい。


 そんな勇者でも――。


 悪くないのかもしれない。


     ◇


 夜。


 自分の部屋へ戻ろうとした俺は、廊下で執事とすれ違った。


「勇者様」


「はい」


「今日も大変でしたね」


「まあ、少し」


「明日は何をされる予定ですか?」


「特にありません」


「そうですか」


 執事は少し考えるような顔をした。


「……でしたら、勇者様」


「はい?」


「もう少し、ご自分の仕事をされてはいかがでしょうか」


「自分の仕事?」


「勇者としての仕事です」


「でも、魔物はいませんよ」


「……」


「平和ですから」


「それは勇者様のおかげです」


 執事はため息をついた。


「本当に、奇妙な方ですね」


「そうですか?」


「はい」


 執事はそう言って去っていった。


 俺は廊下に一人残る。


 窓の外を見る。


 王都の夜は静かだった。


 昔なら、この静けさが不安だった。


 次はどこへ行くのだろう。


 何と戦うのだろう。


 そんなことばかり考えていた。


 今は違う。


 明日もお嬢様のそばにいる。


 ポンの様子を見て。


 紅茶を飲んで。


 散歩をして。


 たぶん、また何か問題が起きる。


 そして俺は、それを解決する。


 それでいい。


 ふと、お嬢様の部屋の方向を見る。


 きっと今頃、ポンと一緒に眠っているのだろう。


「……おやすみなさい、お嬢様」


 誰にも聞こえない声で呟いた。


 そして俺は、自分の部屋へ戻った。


 ――このときの俺はまだ知らなかった。


 ポンとの出会いが、これから始まる「お嬢様と勇者の日常」の一つの象徴になることを。


 そして。


 この平穏な日々が、いつか突然終わる日が来ることを。


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