02.私の勇者になってください
「ずっと、お会いしてみたかったんです」
そう言って微笑んだ少女を前にして、俺は少し戸惑っていた。
王女。
この国に住んでいる人間なら、誰でも知っている。
国王陛下の一人娘。
俺にとっては、雲の上のような存在だ。
そんな人が、なぜ俺に会いたがっていたのだろう。
「私、あなたのお話をたくさん聞いています」
「私の?」
「はい」
お嬢様は嬉しそうに頷いた。
「山の魔獣を一人で倒したことも、飛竜を撃退したことも、北の森に出た古代種を討伐したことも」
「……ずいぶん詳しいですね」
「もちろんです」
少しだけ胸を張る。
なんだか誇らしそうだ。
「私、強い人を見るのが好きなんです」
「そうなんですか?」
「はい。それに――」
お嬢様は俺をじっと見つめた。
「勇者様は、強いだけではありませんから」
「……?」
「困っている人がいたら、必ず助けに行くでしょう?」
「それは……勇者ですから」
当たり前のことだと思った。
だから、少し考えてから答えた。
「俺が助けられるなら、助けたほうがいい。それだけです」
お嬢様は黙って俺を見ていた。
何か変なことを言っただろうか。
やがて、その顔に柔らかな笑顔が浮かんだ。
「やっぱり、素敵な人ですね」
「……そうですか?」
「はい」
なんとなく気恥ずかしくなって、俺は視線を逸らした。
褒められることには慣れている。
「最強の勇者」
「英雄」
「国の守護者」
これまで何度もそう呼ばれてきた。
でも、どうしてだろう。
お嬢様から「素敵」と言われたことだけは、妙に胸に残った。
「それで、陛下。俺に何の用でしょうか?」
俺は話題を変えるように国王へ尋ねた。
「ああ」
国王陛下は苦笑しながら、お嬢様を見る。
「実はな……」
少し間を置いてから、陛下は言った。
「娘の護衛を頼みたい」
「護衛?」
「そうだ」
思わずお嬢様を見る。
彼女は嬉しそうにこちらを見ている。
「最近、娘が城の外へ出たいと言い始めてな」
「外へ?」
「街を見てみたいらしい」
「なるほど」
王女ともなれば、自由に外へ出るのは難しい。
当然だろう。
王族は狙われる。
暗殺者。
誘拐犯。
敵国の工作員。
危険はいくらでもある。
「それで、俺に護衛ですか?」
「そういうことだ」
俺は少し考えた。
護衛任務。
魔物退治と比べれば、ずいぶん平和な仕事だ。
むしろ今の俺には、ちょうどいいのかもしれない。
「わかりました」
「本当ですか?」
お嬢様が身を乗り出す。
「ああ」
「では――」
お嬢様は嬉しそうに笑った。
「私の専属の勇者になってください」
「……専属?」
「はい」
予想していなかった言葉だった。
俺は国王を見る。
国王は頭を抱えていた。
「娘がどうしてもと言って聞かなくてな……」
「お父様!」
「わかった、わかった」
陛下は諦めたように息を吐いた。
「お前がそれで安心するなら、しばらくの間、勇者殿に護衛を頼もう」
「ありがとうございます!」
お嬢様が笑う。
その笑顔を見ていると、断る理由などどこにもなかった。
「よろしくお願いしますね、勇者様」
「はい。こちらこそ」
こうして俺は――。
国で一番強い勇者から。
国王の一人娘専属の勇者になった。
このときの俺はまだ知らなかった。
この決断が、俺の人生を大きく変えることになるなんて。
◇
「勇者様」
「なんですか?」
「紅茶を飲みませんか?」
専属になってから、まだ三日。
俺は早くも王城での生活に慣れ始めていた。
今日もお嬢様の護衛。
とはいっても、危険なことは何もない。
お嬢様が庭でお茶を飲んでいる間、その近くに立っている。
それが今日の俺の仕事だった。
「いただきます」
侍女から紅茶を受け取る。
香りがいい。
俺は一口飲んだ。
「おいしいですね」
「でしょう?」
お嬢様は嬉しそうに笑う。
「ここの紅茶は私のお気に入りなんです」
「そうなんですか」
「はい」
平和だ。
本当に平和だ。
魔物もいない。
敵もいない。
何も起こらない。
――少し前までなら、俺はそんな状況を物足りないと思っていたかもしれない。
けれど。
「勇者様」
「はい?」
「今日は何をしましょうか?」
「……何を?」
「はい」
お嬢様は首を傾げる。
「せっかく専属の勇者になっていただいたんですから」
「そう言われても……」
俺は周囲を見渡した。
平和な庭。
穏やかな風。
咲き誇る花。
「特にすることはないんじゃないですか?」
「まあ」
お嬢様は少し残念そうにした。
「そうですね」
その表情を見て、俺はなぜか落ち着かなくなった。
何かしてあげたい。
そう思った。
「……散歩でもしますか?」
「いいんですか?」
「ああ」
「行きましょう!」
途端に、お嬢様の顔が明るくなる。
その変化が嬉しかった。
俺は自分でも不思議に思う。
たったそれだけのことで、こんなに嬉しくなるなんて。
◇
「勇者様、こっちです!」
「お嬢様、走らないでください」
「大丈夫です!」
「転びますよ」
「転びません!」
「そう言う人ほど――」
その瞬間だった。
「きゃっ」
「ほら!」
お嬢様の足が、庭の小さな段差に引っかかった。
俺は反射的に手を伸ばす。
転ぶ前に、その身体を支えた。
「大丈夫ですか?」
「……はい」
お嬢様は俺の腕につかまったまま、少し驚いた顔をしていた。
「ありがとうございます」
「気をつけてください」
「すみません」
そう言って、お嬢様は恥ずかしそうに笑った。
俺は思わず苦笑する。
「まったく……」
でも。
嫌じゃなかった。
むしろ――。
この人が危なっかしいところを見ると、自然と助けたくなる。
勇者だから。
そう自分に言い聞かせる。
それ以外に理由はない。
きっと。
◇
午後。
俺は再びお嬢様の部屋にいた。
「勇者様」
「はい」
「この箱をあちらへ運んでいただけますか?」
「わかりました」
大きな木箱を持ち上げる。
「ありがとうございます」
「これくらいなら簡単ですよ」
「勇者様は本当に何でもできますね」
「勇者ですから」
何気なく言った。
すると部屋の隅にいた執事が、ぽつりと呟いた。
「……勇者様」
「はい?」
「それは私の仕事なのですが」
「……」
俺は黙った。
確かに。
荷物を運ぶ。
部屋を片付ける。
散歩に付き合う。
紅茶を運ぶ。
護衛というより、使用人に近い。
「……まあ、いいじゃないですか」
「よくありません」
「俺は暇だったので」
「それは理由になっておりません」
執事は呆れたようにため息をついた。
でも、お嬢様は楽しそうに笑っている。
「勇者様って面白いですね」
「そうですか?」
「はい」
俺は少し照れながら、頭を掻いた。
そして思った。
――こんな毎日も、悪くないかもしれない。
魔物を倒さなくてもいい。
命を懸けなくてもいい。
ただ、お嬢様のそばにいて。
何かあれば助ける。
それだけ。
それだけなのに。
胸の奥が、少しだけ温かかった。
俺はまだ、この気持ちに名前をつけていなかった。
ただ一つだけ確かなことがある。
この日から俺は――。
「国を守る勇者」ではなく。
「お嬢様を守る勇者」になった。




