01.勇者、仕事がない
平和というものは、案外つまらない。
少なくとも、勇者である俺にとってはそうだった。
「……今日も、何もないな」
王都の大通りを歩きながら、俺は小さく呟いた。
朝の王都は、いつもと変わらない。
パン屋から焼きたての香ばしい匂いが漂い、
商人たちは店先に商品を並べ、
子供たちは学校へ向かって走っている。
笑い声が聞こえる。
荷馬車が通る。
どこかの家から、母親が子供を叱る声まで聞こえてくる。
平和だった。
俺が望んでいたものだ。
なのに――。
「暇だ……」
もう一度、呟いた。
勇者。
それが俺の肩書きだ。
この国で最も強い人間。
剣を握れば、並の騎士では相手にならない。
魔法を使えば、魔術師団の精鋭たちと肩を並べることができる。
そして、魔物退治に関して言えば、それなりに自信がある。
……いや。
自信がある、なんて言い方では足りないかもしれない。
俺は、この国にいる強力な魔物をほとんど倒してしまった。
山を根城にしていた巨大な魔獣。
街道を襲っていた飛竜。
森の奥に潜んでいた古代種。
村を何度も襲撃していた大型魔物。
危険度の高い魔物は、もうほとんど残っていない。
その結果――。
王国は、平和になった。
「勇者様のおかげです」
そう言ってくれる人も多い。
「勇者様がいてくださって本当に良かった」
そんな言葉をもらうこともある。
嬉しい。
本当に嬉しい。
俺が剣を振るったことで、誰かの家族が笑っていられる。
誰かが安心して眠れる。
子供たちが、魔物に怯えず道を歩ける。
それは、勇者として誇らしいことだ。
だから――。
平和になったことを、俺は後悔していない。
絶対に。
……ただ。
「暇なんだよなぁ」
それだけが問題だった。
王都の中央広場にある噴水の縁に腰掛ける。
手持ち無沙汰に空を見上げる。
雲一つない青空。
こんな日は絶好の討伐日和――などと考えていた時期もあった。
昔なら、朝から依頼を確認していた。
どこかの村で魔物が出た。
街道に危険な獣がいる。
山奥で異常な魔力が観測された。
そんな知らせが届けば、俺はすぐに剣を持って出発した。
怖くなかったわけじゃない。
死にたくなかったし、痛いのだって嫌だった。
それでも、行かなければならないと思っていた。
誰かが困っているなら、力を持っている自分が行く。
それが勇者というものだと思っていた。
だから戦った。
何度も。
何十回も。
何百回も。
そして気がつけば――。
戦う相手がいなくなっていた。
「……本当に平和になったんだな」
自分で呟いて、自分で少し笑った。
妙な気分だった。
長い間、ずっと目の前にあったものがなくなった。
嬉しいはずなのに、心の中に小さな空白ができている。
まるで、ずっと走り続けていた人間が突然立ち止まったような感覚だった。
「勇者様!」
突然、背後から声をかけられた。
振り返る。
王国騎士団の若い騎士だった。
「探しました!」
「何かあったのか?」
俺は反射的に立ち上がった。
久しぶりの緊急事態かもしれない。
そう思った瞬間、胸が少しだけ高鳴った。
「実は――」
騎士は息を整えながら言った。
「北門付近で、荷馬車の車輪が壊れまして」
「……」
「御者の方が困っております」
「……それは大変だな」
「はい!」
騎士は真剣な顔で頷いた。
「勇者様に来ていただけないかと」
「……俺が?」
「はい!」
期待に満ちた目。
俺は数秒、黙った。
そして空を見上げる。
青い。
どこまでも青い。
「……荷馬車を?」
「はい!」
「車輪を直しに?」
「はい!」
「俺が?」
「勇者様が!」
念を押された。
「……」
仕方なく、俺は北門へ向かった。
結果。
車輪は、俺が持ち上げている間に別の作業員が交換した。
「勇者様、本当にありがとうございました!」
「いや……俺、持ち上げてただけなんだけど」
「それでも勇者様のお力がなければ、もっと時間がかかっていました!」
そう言われると、何も言えない。
結局、その日の俺の仕事はそれだけだった。
王都に戻る。
昼食を食べる。
宿に戻る。
そして、ベッドに寝転がる。
「……暇だ」
今日、三回目の言葉だった。
目を閉じる。
昔なら、この時間にも次の仕事の準備をしていた。
剣を磨いて。
道具を確認して。
地図を広げて。
明日の予定を考えて。
そんな毎日だった。
今は何もない。
剣は壁に立てかけたままだ。
俺は天井を見る。
「勇者って、魔物がいなくなったら何をすればいいんだろうな」
答えてくれる人はいない。
当然だ。
そんなことを考える必要があるほど、平和な国は今までなかったのだから。
俺は目を閉じた。
眠気はなかなかやってこなかった。
――その翌朝。
「勇者様。国王陛下がお呼びです」
王城からの使者が宿を訪ねてきた。
「国王陛下が?」
「はい。至急とのことです」
俺は少しだけ驚いた。
久しぶりの重要な仕事かもしれない。
もしかしたら――。
新しい魔物が出たのかもしれない。
あるいは、国外で何か問題が起きたのかもしれない。
久しぶりに剣を使うことになるかもしれない。
そんな期待が、ほんの少しだけ胸をよぎった。
俺は立ち上がる。
「わかった。すぐに行く」
王城へ向かう。
謁見の間。
そこには国王陛下がいた。
そして、その隣には――。
一人の少女が立っていた。
美しい少女だった。
長い髪。
上品なドレス。
王族らしい気品をまとっている。
彼女こそ、この国の国王の一人娘。
誰もが知る、王女だった。
少女は俺を見ると、ぱっと表情を明るくした。
「あなたが勇者様ですね?」
「はい。その通りです」
すると少女は、嬉しそうに微笑んだ。
「ずっと、お会いしてみたかったんです」
その笑顔を見た瞬間。
なぜだろう。
俺はこれから始まる日々が、今までとは少し違うものになるような気がした。
――もちろん、この時の俺は知らなかった。
この少女と出会ったことで。
俺の「暇な勇者生活」が――。
とんでもなく忙しくなることを。




