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冒険しない勇者  作者: 和泉きよ


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14/24

14.魔物討伐を断る

 その日、王城には珍しく、朝から慌ただしい空気が流れていた。


 廊下を歩いているだけで、普段なら見かけない兵士たちが何人も行き交っている。


 何かあったのだろうか。


 俺がそう思っていると、向こうから執事が小走りでやってきた。


「勇者様。国王陛下がお呼びです」


「俺を?」


「はい。至急とのことです」


 至急。


 その言葉を聞いた瞬間、俺の中で少しだけ昔の感覚が戻ってきた。


 魔物の大群。


 国境への襲撃。


 強大な魔物の出現。


 勇者だった頃の俺なら、そういう知らせを聞けばすぐに剣を取った。


 けれど――。


「お嬢様は?」


「姫様でしたら、庭園にいらっしゃいます」


「そうか」


 それだけ聞いて、俺は少し安心した。


 最近の俺にとって、まず確認することは「敵がいるか」ではなく、

「お嬢様がどこにいるか」になっていた。


 我ながら変わったものだ。


 そんなことを考えながら、俺は国王陛下のもとへ向かった。


 謁見の間には、国王陛下のほかに見慣れない男がいた。


 立派な服装をした中年の男性。


 胸元には、隣国の紋章が刻まれている。


「来たか、勇者よ」


「お呼びと聞きました」


 俺が頭を下げると、隣国の使者が一歩前へ出た。


「突然の訪問をお許しください」


「構いません。何かあったのですか?」


 使者は一度、深く息を吸った。


「我が国の北部にて――強大な魔物が確認されました」


 その言葉だけで、空気が変わった。


「魔物の名は、我々が『魔王』と呼ぶ存在です」


 魔王。


 その名前を聞いて、俺は思わず黙り込んだ。


 かつてなら、胸が高鳴っていたかもしれない。


 魔王。


 勇者が倒すべき、最強の敵。


 昔の俺なら、それだけで剣を握っていただろう。


「その魔王は、すでに我が国の村をいくつか襲撃しております。

 現在、我が国の騎士団だけでは対処が難しい状況です」


「それで、俺に?」


「はい」


 使者は深く頭を下げた。


「どうか我が国へお越しいただき、魔王を討伐していただきたい」


 謁見の間が静まり返った。


 俺はすぐには答えなかった。


 魔王。


 人々を苦しめている。


 俺なら倒せる。


 それなら――。


 行くべきではないのか。


 勇者なのだから。


 そんな考えが、胸の奥から自然に浮かんできた。


 俺は勇者だ。


 困っている人がいる。


 自分に力がある。


 だったら助ける。


 それが当たり前だった。


 俺はずっと、そうやって生きてきた。


「……国王陛下」


「うむ」


「隣国の被害について、詳しく教えてください」


 俺がそう尋ねると、使者は少し驚いたような顔をした。


 けれど、すぐに説明を始めた。


 魔王が現れた場所。


 被害を受けた村。


 騎士団の戦力。


 魔王の特徴。


 話を聞きながら、俺は頭の中で状況を整理していく。


 そして、一つの疑問が浮かんだ。


「その魔王は、今も移動していますか?」


「……はい」


「なら、討伐に行く前にやるべきことがあります」


「何でしょう?」


「住民の避難です」


 俺は地図を指差した。


「この地域なら、魔王が次に向かう可能性が高い。

 討伐隊を編成するより先に、住民を安全な場所へ移してください」


「ですが、それでは……」


「俺が倒せば済む問題ではありません」


 自分でも、意外な言葉だった。


 以前の俺なら、まず自分が敵の前に立つことを考えていた。


 だが、今は違う。


 俺が強いからといって、俺一人が全部を背負う必要はない。


 勇者が魔王を倒せば、それで終わり。


 そんな単純な話ではないことを、俺は何度も経験してきた。


「俺が魔王を倒したとしても、その後に残された土地を守るのは、あなたたちです」


「……」


「だから、まず自分たちで守れる体制を作ってください」


 使者は困惑したように俺を見つめていた。


「では……勇者様は、我が国には来ていただけないのですか?」


「はい」


 俺は、はっきりと答えた。


 その瞬間、胸の奥が少し痛んだ。


 助けを求められている。


 それを断る。


 勇者として、それは正しいことなのだろうか。


 俺自身にも、まだ分からなかった。


 けれど。


 もう一つだけ、俺には理由があった。


「俺は……一度、やりすぎたことがあるんです」


「やりすぎた?」


「強い魔物が現れるたびに、俺が倒しました」


 俺は静かに続けた。


「最初は、それでいいと思っていたんです。俺が倒せば、みんなが助かる。誰も傷つかない」


 でも。


 魔物がいなくなった場所では、別の問題が起きることがあった。


 自分たちで戦う必要がなくなった騎士たち。


 危険を知らないまま育った若者たち。


 勇者がいるから大丈夫だと、すべてを誰かに任せてしまう人々。


 俺が強くなるほど、周りの人間が「自分たちで守る」ということを忘れていく。


「俺が全部倒してしまえば、たしかに一時的には平和になります。

 でも、それが本当に国を守ることなのか……最近、分からなくなりました」


 謁見の間は静かだった。


「だから今回は、俺が最初から最後まで全部やるつもりはありません」


 俺は使者を見る。


「あなたたちの国には、あなたたちの国を守る人たちがいるはずです」


 もちろん、俺にしか倒せない敵なら話は別だ。


 その時は俺も剣を取る。


 だが、今回の魔王は違う。


 俺が行かなければ何もできない、という状況ではない。


 ならば、俺が英雄になってしまう必要はない。


「必要なら、魔王の特徴や戦い方については協力します。俺が知っていることも全部伝えます」


 俺は頭を下げた。


「でも、討伐そのものは、あなたたちの手でやってください」


 使者はしばらく黙っていた。


 やがて国王陛下が口を開く。


「……勇者よ」


「はい」


「そなたは変わったな」


「そうでしょうか」


「ああ。昔のそなたなら、迷わず剣を取っていただろう」


「……俺も、そう思います」


 少しだけ苦笑する。


 すると、国王陛下が優しく笑った。


「だが、それも成長というものなのだろう」


 その言葉を聞いて、俺は少しだけ肩の力を抜いた。


 謁見の間を出ると、廊下の先にお嬢様が立っていた。


「……お嬢様?」


「終わりました?」


「ああ」


「何のお話だったんですか?」


 お嬢様は俺の顔を覗き込む。


 俺は少し迷ってから答えた。


「隣国から、魔王討伐の依頼が来た」


「魔王……」


 お嬢様の表情が曇った。


「それで?」


「断った」


「……どうして?」


 その質問に、俺は少しだけ言葉に詰まった。


 もちろん理由はいくつもある。


 隣国には自分たちで守る力を身につけてほしい。


 俺が全部を解決するのが正解ではない。


 そして――。


「俺が行かなくても、できることだから」


「……」


「俺にしかできないことなら、迷わず行きます。でも、そうじゃないなら、俺が出ていく必要はない」


 そう言ってから、俺はお嬢様を見る。


 すると彼女は、なぜか少しだけ嬉しそうに笑った。


「そうですか」


「どうした?」


「いえ」


 お嬢様は小さく首を振った。


「勇者様が、ちゃんと自分で考えて決めたんだなって思っただけです」


「……まあな」


「昔の勇者様なら、誰かに頼まれたら、すぐに飛び出していきそうですもの」


「否定できないな」


 俺が笑うと、お嬢様も笑った。


 そして、少しだけ間を置いて。


「……でも」


「ん?」


「私は、よかったです」


 その言葉に、胸が跳ねた。


「勇者様が、遠くへ行かなくて」


 俺は何も言えなくなった。


 お嬢様は恥ずかしそうに視線を逸らす。


「……その」


「……うん」


「専属勇者なのですから、私のそばにいてもらわないと困ります」


「そうだな」


 俺は笑った。


 けれど、本当はそれだけじゃなかった。


 俺も――。


 遠くへ行きたくなかった。


 この城にいたい。


 お嬢様のそばにいたい。


 朝、顔を合わせて。


 一緒に庭を歩いて。


 くだらないことで笑って。


 時々、失敗するお嬢様を助けて。


 そんな毎日を、もう少し続けたい。


 それが勇者として正しいのかは分からない。


 でも、俺自身がそうしたいと思っている。


「じゃあ、お嬢様」


「はい?」


「今日は何をします?」


「え?」


「俺、今日は暇なんです」


 そう言うと、お嬢様の顔がぱっと明るくなった。


「では――!」


 嫌な予感がした。


「街へ行きましょう!」


「……やっぱりそうなるのか」


「駄目ですか?」


 上目遣い。


 ずるい。


 そんな顔をされたら断れるわけがない。


「……分かりました」


「本当ですか?」


「ああ」


 俺は小さく笑った。


「俺は勇者ですから」


 その言葉を聞いて、お嬢様も嬉しそうに笑った。


 ――この時の俺は、まだ知らなかった。


 この何気ない毎日こそが、いつか俺にとって、何よりも守りたいものになることを。


 そしてその日が来た時。


 俺はもう一度、剣を抜くことになる。


 今度は――誰かに頼まれたからではなく。


 自分自身の意志で。


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