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冒険しない勇者  作者: 和泉きよ


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13/24

13.久しぶりに剣を抜く

 最近、剣を握っていない。


 正確に言えば、毎日手入れはしている。


 刃を磨き、鞘を確認し、いつでも使える状態にはしている。


 でも。


 実際に抜くことは、ほとんどなくなった。


 俺がこの国に残っている危険な魔物の多くを倒した結果、王都周辺はすっかり平和になった。


 昔なら考えられないことだった。


 朝起きれば討伐依頼。


 昼には魔物との戦闘。


 夜には次の目的地へ移動。


 そんな毎日だった。


 今では。


「勇者様、おはようございます!」


「おはようございます、お嬢様」


「今日は何をしましょうか?」


「……俺が聞きたいです」


「では、私が決めます!」


「嫌な予感しかしません」


 こんな毎日だ。


 でも。


 俺は、この生活が嫌いではなかった。


 むしろ――好きだった。


 お嬢様と話して。


 一緒に笑って。


 くだらないことで困って。


 そんな毎日が、いつの間にか俺の日常になっていた。


 だからこそ。


 久しぶりに、あの感覚を思い出すことになるとは思わなかった。


 ◇


 その日の昼。


 城の中庭で、お嬢様と話していると。


 遠くから騎士が走ってきた。


「勇者様!」


「どうしました?」


「少し、お力を貸していただけませんか?」


「何かありました?」


「訓練場で、少し問題が……」


 訓練場。


 俺はお嬢様を見る。


「行ってきてもいいですか?」


「もちろんです」


 お嬢様は笑った。


「私はここで待っています」


「すぐ戻ります」


「はい」


 そう言って俺は歩き出した。


 訓練場へ向かう途中。


 なぜか胸の奥が少しざわついていた。


 久しぶりに、戦うのだろうか。


 そう思った。


 別に戦いたいわけではない。


 できるなら、このまま戦わない生活を続けたい。


 でも。


 俺は勇者だ。


 必要とされれば、剣を抜く。


 それが自分の役目だと思っていた。


 ◇


 訓練場では、一人の若い騎士が木剣を握っていた。


 周囲には何人もの騎士。


「勇者様、この騎士がどうしても自分の実力を確かめたいと」


「俺の?」


「はい」


 若い騎士が俺を見る。


「お願いします!」


「……何を?」


「一度、勇者様と戦わせてください!」


 俺は困った。


「俺と?」


「はい!」


「やめておいた方がいいと思いますよ」


「なぜですか!」


「怪我をするからです」


「そんな簡単に負けるつもりはありません!」


 若い騎士は真剣だった。


 その目を見て、俺は少しだけ昔を思い出した。


 強くなりたかった頃。


 誰よりも強くなれば、人を守れると思っていた。


 何度も負けて。


 何度も立ち上がって。


 ようやく今の力を手に入れた。


 だから。


「……分かりました」


 俺は木剣を手に取った。


「一度だけですよ」


 周囲がざわつく。


 久しぶりに剣を握った。


 その重さは、昔と変わらなかった。


 構える。


 相手も構える。


「始め!」


 次の瞬間。


 俺は一歩踏み込んだ。


 木剣が相手の手から弾き飛ばされる。


「……え?」


 静寂。


 俺は木剣を下ろした。


「終わりです」


「…………」


 若い騎士は、呆然としている。


 周囲の騎士たちも何も言わない。


「……速すぎる」


 誰かが呟いた。


 俺は苦笑した。


 そうだった。


 これが、勇者だった。


 魔物と戦っていた頃。


 相手が強ければ強いほど、俺も強くなった。


 そしていつの間にか。


 戦う相手がいなくなった。


 俺は木剣を返した。


「ありがとうございました」


「……こちらこそ」


 若い騎士が悔しそうに俯く。


「どうすれば、そんなに強くなれるんですか?」


「……」


 俺は少し考えた。


「強くなりたいと思って、毎日剣を振っていたら、いつの間にかです」


 ありきたりな答えだった。


 でも。


 今になって思う。


 俺は本当に強くなりたかったのだろうか。


 それとも。


 誰かを守りたかっただけなのだろうか。


 ◇


 中庭へ戻る。


 お嬢様はベンチに座って待っていた。


「お帰りなさい」


「ただいま戻りました」


「どうでした?」


「模擬戦をしてきました」


「えっ?」


 お嬢様が驚く。


「怪我はありませんか?」


「ありませんよ」


「本当に?」


「はい」


 お嬢様が俺の腕を取る。


「どこか痛くないですか?」


「大丈夫です」


「……よかった」


 ほっとした顔。


 それを見て、俺の胸が少し温かくなる。


「お嬢様」


「はい?」


「心配してくれたんですか?」


「当然です」


「俺ですよ?」


「勇者様でもです」


 その言葉に、俺は少し驚いた。


 昔は。


 俺が心配されることなんてほとんどなかった。


 むしろ俺が誰かを心配する側だった。


 危険な場所へ行くのも。


 魔物と戦うのも。


 命を懸けるのも。


 全部、俺の役目だった。


 だから。


 「心配してもらう」ということが、こんなに嬉しいものだとは知らなかった。


「……ありがとうございます」


「どうしてお礼を言うんですか?」


「嬉しかったので」


 お嬢様が少しだけ頬を赤くする。


「……私も」


「何がです?」


「勇者様が無事で、嬉しいです」


 俺は言葉を失った。


 胸の奥が、じんわりと熱くなる。


 好きだ。


 やっぱり好きだ。


 こんな些細な一言で、また思い知らされる。


 でも。


 今度は、少しだけ違った。


 俺はお嬢様を守りたい。


 だけど。


 お嬢様にも、俺のことを心配してほしい。


 守るだけではなく。


 互いに気にかける。


 そんな関係になれたらいい。


 そんなことを思った。


「お嬢様」


「はい?」


「俺も、お嬢様が無事だと嬉しいです」


「……」


 お嬢様が黙る。


 そして。


「それは……勇者だからですか?」


 少しだけいたずらっぽい笑顔。


 俺は苦笑した。


「……どうでしょう」


「ふふっ」


 お嬢様が笑った。


 ◇


 夕方。


 俺は部屋で剣を手入れしていた。


 けれど、俺は妙な感覚を覚えていた。


 今日、剣を振ってみて分かった。


 俺は戦うことを嫌いになったわけではない。


 ただ。


 戦う理由が、もう昔とは違う。


 昔は国のためだった。


 人々のためだった。


 世界のためだった。


 今は――。


 お嬢様の笑顔を守るため。


 もし、彼女が危険にさらされたら。


 俺は迷わず剣を抜くだろう。


 どんな相手でも。


 どんな場所でも。


 たとえそれが、今までの平穏な生活を捨てることになったとしても。


 そこまで考えて。


 俺は小さく笑った。


「……何を考えてるんだ、俺は」


 そんなことが起きるわけがない。


 この国は平和だ。


 魔物もほとんどいない。


 大きな争いの気配もない。


 明日もきっと。


 お嬢様が俺を呼ぶ。


 そして、何か無茶なお願いをする。


 俺はそれに付き合う。


 それでいい。


 それが俺の今の日常なのだから。


 ――だから。


 どうか、このままでいてほしい。


 俺は剣を鞘に収めた。


 窓の外には夕焼けが広がっている。


 静かな城。


 平和な王都。


 そして。


 明日も会える、大切な人。


 俺はその当たり前が、永遠に続くものだと思っていた。


 まだ、このときの俺は。


 知らなかった。


 「勇者だから」ではなく。


 「お嬢様のためだから」と言って剣を抜く日が。


 そう遠くない未来に訪れることを。


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