13.久しぶりに剣を抜く
最近、剣を握っていない。
正確に言えば、毎日手入れはしている。
刃を磨き、鞘を確認し、いつでも使える状態にはしている。
でも。
実際に抜くことは、ほとんどなくなった。
俺がこの国に残っている危険な魔物の多くを倒した結果、王都周辺はすっかり平和になった。
昔なら考えられないことだった。
朝起きれば討伐依頼。
昼には魔物との戦闘。
夜には次の目的地へ移動。
そんな毎日だった。
今では。
「勇者様、おはようございます!」
「おはようございます、お嬢様」
「今日は何をしましょうか?」
「……俺が聞きたいです」
「では、私が決めます!」
「嫌な予感しかしません」
こんな毎日だ。
でも。
俺は、この生活が嫌いではなかった。
むしろ――好きだった。
お嬢様と話して。
一緒に笑って。
くだらないことで困って。
そんな毎日が、いつの間にか俺の日常になっていた。
だからこそ。
久しぶりに、あの感覚を思い出すことになるとは思わなかった。
◇
その日の昼。
城の中庭で、お嬢様と話していると。
遠くから騎士が走ってきた。
「勇者様!」
「どうしました?」
「少し、お力を貸していただけませんか?」
「何かありました?」
「訓練場で、少し問題が……」
訓練場。
俺はお嬢様を見る。
「行ってきてもいいですか?」
「もちろんです」
お嬢様は笑った。
「私はここで待っています」
「すぐ戻ります」
「はい」
そう言って俺は歩き出した。
訓練場へ向かう途中。
なぜか胸の奥が少しざわついていた。
久しぶりに、戦うのだろうか。
そう思った。
別に戦いたいわけではない。
できるなら、このまま戦わない生活を続けたい。
でも。
俺は勇者だ。
必要とされれば、剣を抜く。
それが自分の役目だと思っていた。
◇
訓練場では、一人の若い騎士が木剣を握っていた。
周囲には何人もの騎士。
「勇者様、この騎士がどうしても自分の実力を確かめたいと」
「俺の?」
「はい」
若い騎士が俺を見る。
「お願いします!」
「……何を?」
「一度、勇者様と戦わせてください!」
俺は困った。
「俺と?」
「はい!」
「やめておいた方がいいと思いますよ」
「なぜですか!」
「怪我をするからです」
「そんな簡単に負けるつもりはありません!」
若い騎士は真剣だった。
その目を見て、俺は少しだけ昔を思い出した。
強くなりたかった頃。
誰よりも強くなれば、人を守れると思っていた。
何度も負けて。
何度も立ち上がって。
ようやく今の力を手に入れた。
だから。
「……分かりました」
俺は木剣を手に取った。
「一度だけですよ」
周囲がざわつく。
久しぶりに剣を握った。
その重さは、昔と変わらなかった。
構える。
相手も構える。
「始め!」
次の瞬間。
俺は一歩踏み込んだ。
木剣が相手の手から弾き飛ばされる。
「……え?」
静寂。
俺は木剣を下ろした。
「終わりです」
「…………」
若い騎士は、呆然としている。
周囲の騎士たちも何も言わない。
「……速すぎる」
誰かが呟いた。
俺は苦笑した。
そうだった。
これが、勇者だった。
魔物と戦っていた頃。
相手が強ければ強いほど、俺も強くなった。
そしていつの間にか。
戦う相手がいなくなった。
俺は木剣を返した。
「ありがとうございました」
「……こちらこそ」
若い騎士が悔しそうに俯く。
「どうすれば、そんなに強くなれるんですか?」
「……」
俺は少し考えた。
「強くなりたいと思って、毎日剣を振っていたら、いつの間にかです」
ありきたりな答えだった。
でも。
今になって思う。
俺は本当に強くなりたかったのだろうか。
それとも。
誰かを守りたかっただけなのだろうか。
◇
中庭へ戻る。
お嬢様はベンチに座って待っていた。
「お帰りなさい」
「ただいま戻りました」
「どうでした?」
「模擬戦をしてきました」
「えっ?」
お嬢様が驚く。
「怪我はありませんか?」
「ありませんよ」
「本当に?」
「はい」
お嬢様が俺の腕を取る。
「どこか痛くないですか?」
「大丈夫です」
「……よかった」
ほっとした顔。
それを見て、俺の胸が少し温かくなる。
「お嬢様」
「はい?」
「心配してくれたんですか?」
「当然です」
「俺ですよ?」
「勇者様でもです」
その言葉に、俺は少し驚いた。
昔は。
俺が心配されることなんてほとんどなかった。
むしろ俺が誰かを心配する側だった。
危険な場所へ行くのも。
魔物と戦うのも。
命を懸けるのも。
全部、俺の役目だった。
だから。
「心配してもらう」ということが、こんなに嬉しいものだとは知らなかった。
「……ありがとうございます」
「どうしてお礼を言うんですか?」
「嬉しかったので」
お嬢様が少しだけ頬を赤くする。
「……私も」
「何がです?」
「勇者様が無事で、嬉しいです」
俺は言葉を失った。
胸の奥が、じんわりと熱くなる。
好きだ。
やっぱり好きだ。
こんな些細な一言で、また思い知らされる。
でも。
今度は、少しだけ違った。
俺はお嬢様を守りたい。
だけど。
お嬢様にも、俺のことを心配してほしい。
守るだけではなく。
互いに気にかける。
そんな関係になれたらいい。
そんなことを思った。
「お嬢様」
「はい?」
「俺も、お嬢様が無事だと嬉しいです」
「……」
お嬢様が黙る。
そして。
「それは……勇者だからですか?」
少しだけいたずらっぽい笑顔。
俺は苦笑した。
「……どうでしょう」
「ふふっ」
お嬢様が笑った。
◇
夕方。
俺は部屋で剣を手入れしていた。
けれど、俺は妙な感覚を覚えていた。
今日、剣を振ってみて分かった。
俺は戦うことを嫌いになったわけではない。
ただ。
戦う理由が、もう昔とは違う。
昔は国のためだった。
人々のためだった。
世界のためだった。
今は――。
お嬢様の笑顔を守るため。
もし、彼女が危険にさらされたら。
俺は迷わず剣を抜くだろう。
どんな相手でも。
どんな場所でも。
たとえそれが、今までの平穏な生活を捨てることになったとしても。
そこまで考えて。
俺は小さく笑った。
「……何を考えてるんだ、俺は」
そんなことが起きるわけがない。
この国は平和だ。
魔物もほとんどいない。
大きな争いの気配もない。
明日もきっと。
お嬢様が俺を呼ぶ。
そして、何か無茶なお願いをする。
俺はそれに付き合う。
それでいい。
それが俺の今の日常なのだから。
――だから。
どうか、このままでいてほしい。
俺は剣を鞘に収めた。
窓の外には夕焼けが広がっている。
静かな城。
平和な王都。
そして。
明日も会える、大切な人。
俺はその当たり前が、永遠に続くものだと思っていた。
まだ、このときの俺は。
知らなかった。
「勇者だから」ではなく。
「お嬢様のためだから」と言って剣を抜く日が。
そう遠くない未来に訪れることを。




