狭間の綱引き
内に入れば纏わりつく湯気に湿気が帯びる。ここまで来るのに些か時間を食ったばかりか気持ちも床に落とす思いに、期待する目は何を見せてくれるのかと先へ先へと熱り立つ。
目を先に心も前に引っ張られては踊る足に音を奏でる。
「さてさて どんなだ」
知る知らぬは服と一緒に籠へと投げ入れ、抱える風呂敷も上にと置いた。
檜か杉か。桶か樽か。湯屋の蛇はどんなものだと袖を捲るように一の腕を触り、脱衣部屋から暖簾をめくる。湯気の向こうに歩いていく。
ここまで来るのにどんな時間を過ごしたか。二分に三分。五分に十分。幾分もかかってはいないが、長く期待をしていた思いがある。
ふとした思いに出かけてみては、気づかぬうちにたどり着いた。風の吹くまま歩みを進め、知らぬ土地に降りたっては、誘われる。幾つかの偶然か、何物の必然か。ここまでお膳立てされては期待せずにはいられない。これかこれかと指を差しては首を振り、手に触っては思惑の外れに首を垂れることもある。
それでも良しと言うのならそのまま祝杯をあげれば良い。けれど私はそれで祝杯をあげるほど豊かな暮らしはしていない。己の杯をあげるのならば、奥へ奥へと求めていく。されど、大概は元の木阿弥。良いぞ良いぞと膨らむ姿に欲を出しては、後の後悔を飲むことになる。できれば、飲むのなら美味しいお酒で祝杯をあげたいのが本音である。
「なんとこれは」
湯気の向こうに微かに見える景色に足が止まる。
うっすら高く見えるのは遠くの一の山か。果ては近くの二の山か。覆い茂る峰の先から吹き下ろす曇の形に蛇を見る。連峰列なる蛇の行方に目を凝らしては足に流れる湯に寒気を感じた。
湿気に纏わる素肌に汗をかいては体を震わせ、足に流れる湯の川に引きずり込まれるように足がすくむ。
気負い勝てば何も怖いことはないのだが、一度気負いに敗れればそこは相手の手の内である。一瞬の気迫に相撲をとり綱を奪い合うのである。取れば錦に旗をあげられるが、負ければ白の契れ紙である。
自負する経験も得た知識も刺激の前では役にもたたない。さも悠然と建つ己の城も蛇の前では只の箱となる。
初めて見るモノ事に意図も簡単に覆される。巡る思考も白の時へと移り変わり、言葉にもならない刺激に目を奪われる。すくむ体に力がはいらないでいる。
見つめる蛇の元へと自然と歩が進む。
湯気に隠れて見えぬ蛇の内、湯に近付くにつれて見えてくる。
外から見えた湯屋の形も内に入れば意味はない。見るモノ全てが大きく見える。
鼠に牛に、虎に龍。描かれた部屋の一つの湯。
雲の形に蛇を見ては、蛇がだんだん此方に近づいてくる。
蛇の姿に目を追いながら湯の張る桶へと歩みを寄せた。
お前は、誰だ
湯の張る桶へと歩を進めると、どこからともなく声が聞こえた。
「、、、、はて」
声を聞いては意識が戻り、目の前の蛇から目を離した。
「はて、私はなにを、、、おお、これは」
意識を戻した頭に目を足元へと移しては、珍しい形の湯の桶に目を丸くした。
檜のような杉のような。太い幹をそのままくり貫いたような桶は、珍しい瓢箪の形をしている。
木の木目に年数を見てはさぞ立派な神木なのだろうかと、桶を前に拝むように手を合わせた。
「一湯、お借りしますよ」
一言頭を下げては、どれどれと右足から湯に入る。
湯につける足の指から体全体を駆け巡る。熱い温いという以前に、言葉にならない刺激が脳へ体へ流れ込む。
全身の力が内の内から涌き出るように、無駄な力を払いだしていく。
足を入れただけでこの感覚。体を入れたらどうなるのか。
無の意識が体を動かす。欲と言うものなのか自然の摂理と言うものなのか。一度体験した物事には二種類の性質が備わっているのである。一つは依存。何度も味わいたいと繰り返し臨む行為であり、それが無いといてもたってもいられなくなるのである。そしてもう一つは、継続。いつまでも続いて欲しい。続けていたいと臨む欲である。もちろんこの二つにも、良いことばかりではない。この二つを追うことで全て失うこともある。しかし私は失う事を見ることはしない。私は私であると言う自負があり、私の意思でそれを見つけるのである。人がするのを見たいのではなく私が見たいのである。
「ふぅ。。。。」
右足から順に左足、腰、胸へと湯に浸けていく。
肩まで浸かっては大きなため息がでる。至福の極楽、天に月。浸かり馴れた湯と違い、身も心も軽くそこに居ないような感覚に頬が崩れる。
お前は、誰だ
湯に浸かり至福の時を過ごすも、またもやどこから声が聞こえる。




