第5話 塩むすび
どうぞお好きなものをご注文ください。ただし、本当にお好きなものを。もし違うものを注文した場合、この異世界から永遠に帰れません。そういうルールです。
◇◇◇
なんでこんな場所にいるのか。もはや謎。異世界の料理店にいるより謎。
「やっぱり女の人ってパスタが好きだと思ってさ。イタリアンで。どう?」
どうと言われても。確かに隠れ家風でオシャレな店だし、目の前にあるペペロンチーノ、ニンニクのいい匂いがする。市販のパスタソースでは絶対出せないような匂いだが、わたしは固まってしまった。上手くフォークが持てない。
「あ、ははは」
そんな薄ら笑いしかできず、婚活相手の田中司郎も何か察してるみたい。眉間に皺がよってる。あぁ、これは不機嫌なサインかも。
今は金曜日の夜だ。本来なら開放感に包まれる華金のはずだが、昨日、なぜか社長に結婚とか老後とか恋愛とかを心配され、紹介してあげると婚活の場が決定してしてしまった。
正直なところ、そういうものは諦めていてやる気も全くなかったが、社長の好意に誰が逆らえようか。ある意味業務命令だ。ということで今、お相手の田中志郎とイタリアンにいるわけ。本当に気が乗らないし、今すぐにでも帰りたいぐらい。その証拠のように、目の前のペペロンチーノ、全く食べたくない。手が固まってしまう。
「女の人ってさ、もっと笑顔で上機嫌なもんじゃないの? 特にここのイタリアン、女の人にも超人気。好きっていう人多いけど」
「は、ハァ」
田中志郎、見かけはイケメンだし、会社経営者のハイスペというが、どうも圧が強い。先程から「女の人」というワードが頻発していたが、そう言われるたび、背中がゾワっとする。
仕方ない。これも業務の一環だと言い聞かせ、ペペロンチーノを食べる。ニコニコ笑顔で女らしくしていた。本当はこんなものを食べたいとは思っていないくせに。
「疲れた……」
田中志郎と面白くない婚活が終わり、家に帰ってくると速攻でベッドにダイブ。メイク落とし着替えもどうでもいい。とにかく疲れたぁ……と思った時、意識が切れた。
気づくと異世界にいた。前と同じ森の中だ。もうこの展開、全く驚かない。
どうぞお好きなものをご注文ください。ただし、本当にお好きなものを。もし違うものを注文した場合、この異世界から永遠に帰れません。そういうルールです。
メニューブックの内容まで暗記しちゃっているぐらいだ。さあ、森の中を歩きながら好きなものでも考えてみようか。
足元には紫色のキノコ。絶対読めない文字の看板も目につくが、好きな料理を注文したら帰れる。簡単なルールじゃないか。現に今までも帰って来れてる。
「しかし……」
森の中を歩きながら、好きな料理を考えるが、何も思いつかない。初めての時以来だろうか。
田中志郎と食べたペペロンチーノが頭をぐるぐる。「女の人」という言葉もぐるぐる。全く消えない。
確かにアラフォーの今、女扱いされるのはマシなのかもしれないが、押し付けられている感じが無理。
逆に言えば男がスイーツとかパンケーキとかペペロンチーノ食べてもいいはずだ。そんなの自由じゃないと思った時、ようやくあの料理店についた。
前と同じように玄関にはリスや猫の置き物も飾られている。庭の花も派手な色。夢の中みたいにメルヘンチック。いかにも「女の人」が好きそうなシチュエーションだ。
相変わらず店の中はテーブル一台。誰もいない。例のメニューブックが置いてあるだけ。
その中身は見なくてもわかるが、一応ちらっと確認。予想通りのことしか書いていなかったが、ここは「女の人」らしくペペロンチーノのかオムライスとかオシャレな料理いっとく?
「でも、やっぱり食べたくないよなぁ……」
まだあのペペロンチーノのニンニクの味が舌に残っている気がする。こう何かあの味がリセットされるというか、消しゴムみたいに真っ白な料理が食べたい。「女の人」とかどうでもよくて、フラットに心が欲するものは一体何?
「し、塩?」
それって調味料で料理店じゃないとツッコミそうになったが、異世界の塩も気になるもの。岩塩、海塩みたいにその土地でしかとれない塩は、異世界にいったら味わってみたくない?
そんなことを考えていたら、ペペロンチーノの味忘れてしまった。同時に目の前に塩結びがふたつ。塩は粒が大きめ。おにぎりの上でキラキラしている。おにぎりというと日本食だが、異世界の塩だったら特別な味じゃないか。食べてみたい!
「う、うま!」
驚いた。この塩、元いた世界の塩と全く違う。まろやかで甘みすら感じられるのに、日本米のもちもちちしたおにぎりにベストマッチ。シンプル過ぎる食べ物だが、素材の良さが生かしているじゃないか。
「何この塩むすびは。感動……」
気づくとぺろりと平らげてしまった。
「ごちそうさま」
同時に元いた世界に戻ってきた。スマホを確認するちゃんと令和の日本だ。土曜日の静かな朝。
「塩むすび、別に好きでも望んでもいなかったけれど……」
想像以上に良いものが食べられた。期待していないから余計にサプライズ。自分の「好き」は案外小さいのかもしれない。気が抜けるぐらいシンプルで。
「あ、田中さんからLINEきてる。とりあえず返事しておくかー」
不思議なことにブロックはしたくはなかった。




