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欠けた少年の帰る場所  作者: 羽衣月
冒険者
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恐怖の発作

ザインの顔が、目に見えて強張る。


黒い瞳が揺れていた。


普段の静けさが消えている。


呼吸が浅い。


肩が震えている。


杖を握る指へ力が入り過ぎて、白くなっていた。


「……っ」


風が唸る。


薄緑色の魔力が、杖先へ集まっていく。


ヴァレルが顔を引き攣らせた。


「おい、坊主……!」


だが。


ザインは聞こえていない。


いや。


“聞こえなくなっている”。


黒い瞳に浮かんでいるのは、恐怖だった。


戦場で見せていた静かな目ではない。


もっと直接的な。


追い詰められた子供の目。


「ここで……」


掠れた声。


ザインの喉が震える。


「ここで捕まってたまるか!!」


空気が震えた。


風圧が広がる。


机上のカップが揺れ、紅茶が跳ねる。


ザインは叫ぶ。


「まだ死にたく無い!!」


その声は悲鳴に近かった。


シオンが反射的に両手を上げる。


敵意が無い事を示すように。


「お、お、落ち着いてください!」


珍しく声が裏返っていた。


シオン自身も焦っている。


「私は戦後処理の資料を読んだだけです!」


「深くは何も知りません!」


ザインの呼吸が荒い。


杖先の風が、まだ唸っている。


シオンは続ける。


「追ってる訳じゃない!」


「通報もしません!」


「あなたを捕まえるつもりなんて無いんです!!」


その言葉に。


ザインの瞳が、少しだけ揺れる。


レヴィアナは、その光景を青い瞳で見つめていた。


理解が追い付いていない。


何故。


ここまで怯えているのか。


何故。


“捕まる”という言葉だけで、ここまで壊れそうになるのか。


レヴィアナの知る“黒髪の悪魔”は。


炎の中を突っ込んでくるような存在だった。


死を恐れない化け物みたいな少年。


なのに今、目の前に居るのは。


怯えて。


逃げようとして。


必死に杖を構えている子供だった。


その落差が、レヴィアナには理解できなかった。


シオンは両手を上げたまま、一歩も動かなかった。


兎耳が緊張で震えている。


眼鏡の奥の瞳にも、明確な焦りが浮かんでいた。


「ぼ、僕は聖騎士団側ではありません!」


必死な声だった。


普段の落ち着いた空気が崩れている。


「ここにいるレヴィアナと同じです!」


「帝国に協力していた、ただの冒険者です!」


ザインの杖先は、まだ下がらない。


薄緑色の風が唸る。


部屋の空気が張り詰めていた。


シオンは続ける。


「戦後処理で、たまたま資料を見ただけなんです!」


「それ以上は本当に何も知らない!」


ヴァレルも、ゆっくり両手を広げた。


「な?落ち着け坊主」


「俺ら別に、お前をどうこうしようって訳じゃねぇ」


だが。


ザインの呼吸はまだ荒い。


黒い瞳が揺れている。


その姿を見て、シオンはさらに声を張った。


「だから……だから……!」


言葉に詰まりながらも。


必死に伝えようとする。


「貴方に害を成そうとしてる訳ではありません!!」


その声が、個室へ響いた。


静寂。


暖炉の火だけが、小さく鳴る。


ザインの杖先が、僅かに揺れた。


黒い瞳が。


少しずつ、“今”を見始める。


怯え切った獣みたいだった目が、ほんの少しだけ迷いを見せた。


レヴィアナは、その姿を青い瞳で静かに見ていた。


ザインの杖先から、薄緑色の風が消える。


張り詰めていた魔力が、ゆっくり霧散していった。


静寂。


誰も動かない。


ザインは壁際に立ったまま、小さく肩で息をしていた。


黒い瞳が揺れている。


怯えたまま。


まだ完全には警戒を解いていない。


だが。


もう戦う気力は残っていなかった。


杖を握る力が、少しずつ抜けていく。


そして。


ぽたり、と。


雫が落ちた。


ヴァレルが目を見開く。


シオンも息を呑む。


ザインの瞳から、涙が溢れていた。


静かに。


止まらず。


まるで、自分でも気付かないまま溢れているみたいに。


ザインは俯いた。


白い前髪が影を落とす。


呼吸が震えている。


「……ごめんなさい」


掠れた声だった。


小さい。


子供みたいな声。


「ごめんなさい……」


もう一度、繰り返す。


レヴィアナは動けなかった。


戦場で見た“黒髪の悪魔”。


炎の中を突っ込んできた少年。


死を恐れない化け物みたいだった存在。


その正体が。


今、泣いていた。


怯えながら。


必死に謝っている。


シオンは、ゆっくり両手を下ろした。


それでも刺激しないよう、静かに。


「……謝らなくていいんです」


優しい声だった。


ザインは顔を上げない。


涙だけが落ち続ける。


ヴァレルが苦い顔で頭を掻いた。


「お前……」


その先が続かない。


何を言えばいいのか分からなかった。


ルドヴィカだけが、静かにザインを見ていた。


大きな白熊獣人の女戦士は、無言のまま目を細める。


その視線には、もう警戒は無かった。


ただ。


痛々しいものを見るような静けさだけがあった。

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