金級との再会
次の日。
温泉街の朝は静かだった。
雪が薄く積もっている。
湯煙が街のあちこちから立ち昇り、冷たい空気を白く曇らせていた。
ザインは珍しく、観光客向けの通りを歩いていた。
昨夜は久しぶりによく眠れた。
個室風呂。
暖かい食事。
静かな宿。
身体の疲労が、少しだけ抜けている。
それが自分でも分かった。
通り沿い。
ふと、一軒のカフェが目に入る。
大きな窓。
木造の落ち着いた建物。
二階席からは雪景色が見えるらしい。
そして。
店先のショーケースには、小さなケーキが並んでいた。
ザインは少し立ち止まる。
……甘い物。
昔、アリアがやたら食べさせようとしてきた。
「疲れてる時は甘い物!!」
とか言いながら。
ザインは小さく息を吐く。
そして、そのまま店へ入った。
銀級特権は便利だった。
温泉街では特に。
混雑する店でも、個室利用や優先案内が受けられる。
案内されたのは二階奥の個室だった。
窓際。
雪景色。
湯煙。
静かな通り。
暖かな陽射し。
店員が置いていった紅茶から、甘い香りが立ち昇っていた。
ザインは仮面を外し、静かにケーキを口へ運ぶ。
柔らかい。
甘い。
かぼちゃのタルトだった。
「……美味しい」
ぽつりと零れた声。
誰も居ない部屋へ消える。
こういう時間は久しぶりだった。
戦場でもなく。
護衛中でもなく。
誰かを守っている訳でもない。
ただ座って、甘い物を食べているだけ。
それが妙に不思議だった。
その時。
こんこん、と扉が叩かれる。
ザインは顔を上げた。
「……はい」
扉越しに、店員の少し困った声が聞こえる。
「お客様、申し訳ありません」
「本日かなり混雑しておりまして……」
少し言い淀む気配。
「もしよろしければ、他の冒険者の方との相席でも大丈夫でしょうか?」
ザインは一瞬だけ考える。
別に断る理由は無い。
それに。
個室へ案内してもらっている時点で、かなり優遇されている。
ザインは静かに仮面を付け直した。
黒い仮面。
白髪を隠すようにフードを深く被る。
それから。
「……構いません」
短く答えた。
「ありがとうございます!」
店員の声が少し明るくなる。
扉が開く。
そして。
入ってきた冒険者達を見た瞬間。
ザインの黒い瞳が、僅かに揺れた。
金髪。
仮面。
長杖。
以前、この温泉街で相対した仮面の魔術師だった。
その後ろには、見覚えのある面々。
長身の馬獣人。
長槍を背負った男。
飄々とした顔。
そして。
「おお!」
男がぱっと顔を明るくした。
「前の坊主か!!」
ヴァレルだった。
長い馬耳を揺らしながら、遠慮なく笑う。
以前と変わらない距離感。
その後ろでは、兎獣人の男――シオンが眼鏡を押し上げながら小さく会釈する。
「お久しぶりです」
柔らかい声。
相変わらず穏やかだ。
そして最後尾。
巨大な白熊獣人の女戦士、ルドヴィカが無言で立っていた。
相変わらず大きい。
だが金色の瞳は、以前ほど険しくなかった。
金髪の仮面魔術師は、ぱっと目を細める。
「あら、貴方だったのね!」
明るい声。
驚いてはいる。
けれど警戒は無い。
むしろ少し楽しそうだった。
ヴァレルはそのまま、どかっと席へ座る。
「いやぁ偶然だな坊主!」
「銀級になったって聞いたぞ?」
「すげぇじゃねぇか」
ザインは少し困ったように頷く。
「どうも」
シオンがテーブル上のケーキを見る。
それから、少しだけ目を細めた。
「……甘い物、お好きだったんですね」
ザインがフォークを止める。
ヴァレルが吹き出した。
「確かに意外だわ!!」
「もっとこう、携帯食だけ齧って生きてそうだったのにな!」
「失礼ですね」
ザインが静かに返す。
その返答が思ったより普通で。
部屋の空気が少し和らいだ。
ルドヴィカだけは黙ったままザインを見ていた。
じっと。
観察するみたいに。
だが、その視線には敵意は無い。
ただ。
以前より少しだけ、“普通の少年”に見えている。
そんな目だった。
窓の外では雪が降っている。
温かな個室。
甘い匂い。
穏やかな空気。
その時間は、少しだけ不思議だった。
金髪の魔術師は、ふっと笑った。
それから。
仮面へ手を掛ける。
留め具を外す。
白い仮面が静かに外された。
現れたのは、美しい女だった。
長い金髪。
紫色の瞳。
どこか飄々とした空気。
レヴィアナ・アストレイ。
以前よりずっと表情が柔らかい。
彼女はそのまま椅子へ腰掛けると、軽く肩を竦めた。
「前のお詫びも兼ねて、ここは奢らせてね」
ヴァレルが笑う。
「お、太っ腹」
「元々レヴィアナの奢り予定だっただろ」
シオンが静かに突っ込む。
レヴィアナは聞こえないふりをした。
それから。
紫色の瞳がザインを見る。
仮面。
フード。
黒外套。
少しだけ呆れたように笑った。
「どうせなら、貴方も仮面外しちゃいなさいな」
自然な声だった。
この場の全員は、既にザインの素顔を知っている。
あの時。
だから今更隠す必要も無いだろう、と言いたげだった。
ザインは少しだけ黙る。
窓の外。
雪。
湯煙。
暖かな個室。
そして。
目の前に居るのは、既に傷を見た相手達。
しばらくして。
ザインは小さく息を吐いた。
それから静かに仮面を外す。
白い髪。
黒い瞳。
そして。
左側へ深く残る雷傷の火傷痕。
レヴィアナ達の表情は変わらない。
怯みも。
驚きも。
もう無い。
ヴァレルなんかは、むしろ普通に笑っている。
「やっぱ坊主、その顔の方が年相応だよな」
「仮面してると妙に怖ぇんだよ」
「ヴァレル、以前は完全に警戒してたじゃないですか」
シオンが静かに言う。
「いや、だってレヴィアナがいきなり杖向けるから!」
「警戒するだろ普通!」
「それはそうですね」
レヴィアナが紅茶を飲みながら肩を竦める。
「だってしょうがないじゃない」
「貴方、あの時めちゃくちゃ危ない魔力してたのよ?」
ザインは少しだけ視線を逸らした。
その反応を見て、レヴィアナはふっと笑う。
以前なら。
もっと張り詰めていた。
今は違う。
甘い物を食べて。
静かに紅茶を飲んで。
少し困ったように笑っている。
それが妙に年相応で。
だからこそ。
レヴィアナは余計に思ってしまう。
――こんな子供が、なんであんな魔力を抱えてるのかしらね。
レヴィアナは紅茶へ口を付けながら、ふっと笑った。
「そういえば、ちゃんと名乗ってなかったわね」
以前は最悪だった。
いきなり杖を向け。
魔術を撃ち込み。
険悪な空気のまま終わった。
まともな自己紹介すらしていない。
レヴィアナはカップを置く。
長い金髪が肩を流れた。
「レヴィアナ・アストレイ」
「金級冒険者で、魔術師やってるわ」
紫色の瞳が細くなる。
どこか飄々としている。
だが。
纏う魔力は明らかに異常だった。
ザインも分かる。
この女、かなり強い。
しかも。
ただの魔術師じゃない。
“人を殺す魔術”に慣れている。
レヴィアナはそんなザインの視線に気付いているのか、くすっと笑う。
「そんな警戒しなくても取って食べたりしないわよ」
「多分」
「最後の一言いらないですよね」
ザインが静かに返す。
ヴァレルが吹き出した。
「ははっ、坊主結構喋るようになったな!」
馬獣人の槍使いは、どかっと背もたれへ寄り掛かる。
長身。
整った顔立ち。
軽薄そうな笑み。
だが、その身体付きは歴戦だった。
「ヴァレル・ハイムだ」
「槍使い」
「まぁ見ての通りだな!」
長槍を軽く叩く。
豪快な男だった。
距離感が近い。
多分、誰にでもこうなのだろう。
その隣。
兎獣人の男が、静かに眼鏡を押し上げる。
白い兎耳。
細身。
落ち着いた空気。
「シオン・ラビエルです」
「弓を使っています」
柔らかな声だった。
礼儀正しい。
観察眼の鋭さが目に出ている。
多分、このパーティの中で一番“周囲を見ている”タイプだ。
そして最後。
巨大な影。
白熊獣人の女戦士が、静かにザインを見下ろしていた。
圧倒的な体格。
重装鎧。
大斧。
だが。
金色の瞳は、不思議と静かだった。
しばらく沈黙。
それから。
低い声。
「……ルドヴィカ・ベルグレイン」
短い。
それだけ。
ヴァレルが笑う。
「相変わらず短ぇなぁ!」
ルドヴィカは無言でヴァレルを見る。
ヴァレルが咳払いした。
「……怖」
レヴィアナが肩を震わせる。
ザインは、そのやり取りを静かに見ていた。
不思議だった。
以前は。
もっと緊張感があった。
得体の知れない金級冒険者達。
特にレヴィアナは危険だった。
だが今は。
こうして普通に紅茶を飲みながら話している。
ヴァレルはケーキを見て笑う。
「坊主、甘いもん好きなのか?」
「……嫌いではないです」
「へぇ、可愛い趣味してんな」
「ヴァレル」
シオンが静かに止める。
「年下相手に距離感が雑です」
「いやだって坊主だし」
「坊主じゃないです」
ザインが即座に返した。
その反応に。
レヴィアナ達は少し驚いた顔をする。
以前より。
明らかに表情が柔らかい。
年相応の反応が増えている。
レヴィアナは紅茶を飲みながら、ふと目を細めた。
……少し安心した。
以前見た時は。
もっと壊れかけている目をしていたから。
ヴァレルは椅子へ深く腰掛けながら、頭の後ろで腕を組んだ。
長い馬耳が揺れる。
それから、少し申し訳なさそうに笑う。
「前回はすまんなぁ」
「うちのリーダーが、とちったからな……」
「ちょっとヴァレル?」
レヴィアナが即座に睨む。
だが、その声音にも以前ほど尖ったものは無い。
むしろ、自分でも多少やり過ぎた自覚があるらしかった。
レヴィアナは小さく息を吐く。
それから。
紫色の瞳を、静かにザインへ向けた。
「……でも」
空気が少しだけ変わる。
軽い雑談ではなくなる。
「そういえば、その魔力の理由は分かったの?」
問い掛ける声は穏やかだった。
だが。
完全には警戒を解いていない。
魔術師として。
あの異常な魔力構造を見た者として。
確認せずにはいられない。
シオンも静かにザインを見る。
ルドヴィカも無言のまま視線を向けていた。
温かな個室。
紅茶の香り。
雪景色。
その中で。
少しだけ空気が張る。
ザインはフォークを置いた。
黒い瞳が、少しだけ伏せられる。
そして。
「……分かりませんが」
静かな声。
だが以前より柔らかい。
「心当たりはあります」
その返答に。
レヴィアナの瞳が僅かに細くなる。
以前なら。
もっと閉ざしていた。
何も話さず、警戒して終わっていたはずだ。
だが今のザインは違う。
ちゃんと会話をしている。
しかも。
少しだけ表情が明るい。
ヴァレルが気を遣うように口を開く。
「まぁ、言いたくねぇなら無理に聞かねぇよ」
「冒険者なんて、皆何かしら抱えてるしな」
軽い調子。
けれど。
ちゃんと逃げ道を作ってくれる言い方だった。
ザインは少しだけ目を瞬かせる。
それから、小さく笑う。
本当に少しだけ。
「……ありがとうございます」
その笑みを見て。
レヴィアナは、ほんの僅かに目を細めた。
以前、この少年はもっと危うかった。
壊れた刃みたいだった。
だが今は。
少しだけ、“人の中に居る顔”をしている。
それが不思議で。
少しだけ安心してしまう自分が居た。
レヴィアナは紅茶のカップへ手を添えたまま、静かにザインを見ていた。
紫色の瞳。
以前より柔らかい。
だが。
魔術師としての警戒心までは消えていない。
ザインは少し視線を落とす。
それから、静かに続けた。
「……レヴィアナさんは」
「僕の、無い左腕から異様な魔力を感じたんですよね?」
その瞬間。
部屋の空気が、少しだけ静かになる。
ヴァレルも。
シオンも。
ルドヴィカも。
言葉を挟まなかった。
レヴィアナは数秒、黙っていた。
そして。
小さく息を吐く。
「ええ」
誤魔化さなかった。
「正確には、“左腕があった場所”ね」
紫色の瞳が、ザインの左肩へ向く。
黒外套の下。
失われた腕。
そこに残っている“何か”。
レヴィアナは静かに続ける。
「普通の魔力じゃない」
「魔物とも違う」
「でも、人間の魔力構造でもない」
その声音は、淡々としていた。
恐怖ではなく。
分析。
純粋な魔術師としての視点。
「正直、あの時はかなり危険だと思ったわ」
「だから攻撃した」
レヴィアナは肩を竦める。
「まぁ、結果的に早とちりだったんだけど」
ヴァレルが笑う。
「かなり派手にやってたけどな」
「うるさい」
レヴィアナが即答する。
シオンが小さく咳払いした。
「でも実際、僕も少し驚きました」
「ザインさんの魔力、かなり特殊ですから」
ザインは静かに聞いていた。
それから。
黒い瞳を少しだけ伏せる。
「……やっぱり、左腕ですか」
ぽつりと零れた声。
その言い方に。
レヴィアナは少しだけ目を細めた。
「心当たり、あるのね?」
ザインは数秒黙る。
窓の外。
雪。
湯煙。
静かな街。
それを見ながら、ゆっくり口を開く。
「昔」
「祠で触った魔石が、左腕に吸収された事があって」
静かな声だった。
感情を押し殺したみたいな声。
ヴァレルの表情が少し消える。
シオンの耳が僅かに揺れた。
ルドヴィカも、じっとザインを見る。
レヴィアナだけが静かだった。
驚いていない。
むしろ。
「……なるほどね」
納得したように呟く。
魔術師として、辻褄が合ったのだろう。
あの異常な魔力。
歪な構造。
人間離れした気配。
全部。
“後から混ぜ込まれた何か”なら説明が付く。
レヴィアナは紅茶を一口飲む。
それから。
少しだけ柔らかい声で言った。
「貴方、本当に碌な人生送ってないわね」
冗談みたいな言い方。
けれど。
その声音には、少しだけ痛みが混ざっていた。
ザインは静かに視線を落としていた。
「……それから」
黒い瞳が、少しだけ揺れる。
「その左腕を、聖騎士団に切断されたんです」
静かな声。
だが。
そこには、今までより少しだけ重い感情が滲んでいた。
ヴァレルの笑みが消える。
シオンの耳がぴくりと揺れた。
ルドヴィカの金色の瞳が細くなる。
ザインは続ける。
「それで……その」
少しだけ言葉に詰まる。
だが。
思い切るように、口を開いた。
「左腕は、魔導砲の炉心に使われたみたいで……」
沈黙。
重い沈黙だった。
レヴィアナの紫色の瞳が、ゆっくり見開かれる。
その瞬間。
空気が変わった。
飄々としていた魔術師の顔が消える。
純粋な驚愕。
そして。
理解。
レヴィアナは、じっとザインを見る。
白い髪。
黒い瞳。
左側の雷傷。
細い身体。
そして。
“聖騎士団”という単語。
やがて。
彼女は、掠れた声で呟いた。
「……あなた」
紫色の瞳が揺れる。
「聖騎士団って……まさか」
一瞬。
信じたくないものを見る顔をした。
そして。
「……黒髪の悪魔なの?」
その言葉が落ちた瞬間。
ザインの動きが止まる。
ヴァレルが息を呑んだ。
シオンの表情も固まる。
ルドヴィカだけが、じっとザインを見ている。
黒髪の悪魔。
北方戦線で囁かれていた噂。
女性だけの聖騎士団に所属していた、たった一人の少年。
異様な生命力。
何度傷付いても前線へ戻って来る。
敵兵を殺し続ける。
痛みも恐怖も壊れたように戦い続ける。
まるで“死なない悪魔”みたいだと。
そう呼ばれていた存在。
レヴィアナは、以前から違和感を覚えていた。
戦場慣れした動き。
年齢と噛み合わない傷。
そして。
あの、妙に静かな目。
全部が、今繋がってしまった。
ザインは数秒、黙っていた。
窓の外では雪が降っている。
湯煙が揺れる。
暖かな個室だけが、妙に静かだった。
やがて。
ザインは少し困ったように、小さく笑う。
その笑みは、自嘲に近かった。
「……よく言われましたね」
黒い瞳が、静かに伏せられる。
「戦場で」
否定しなかった。
その瞬間。
部屋の空気が、静かに凍り付いた。




