スタンピード
数日後。
いつものように、ザインは辺境街の冒険者ギルドを訪れていた。
朝のギルド。
本来なら、酒臭い冒険者達が騒いでいる時間。
だが。
今日は空気が違った。
妙に騒がしい。
ざわついている。
冒険者達が依頼書を見るどころではなく、あちこちで怒鳴り合うように話している。
「北側だってよ!」
「いや東の森もだ!」
「マジかよ……」
緊張感。
それも、かなり大きい。
ザインは少し眉を顰める。
そのまま受付へ向かった。
狸系獣人の受付嬢も、いつもの柔らかい雰囲気ではなかった。
書類を抱え、慌ただしく走り回っている。
「……何かあったんですか?」
ザインが声をかける。
受付嬢は振り向き、ほっとしたような顔をした。
「あ、ザインさん!」
だが、その表情はすぐ曇る。
「実は……」
少し声を潜めた。
「近辺で魔獣の集団暴走――スタンピードが発生しているみたいなんです」
ザインの目が僅かに細まる。
スタンピード。
魔獣が異常増殖し、群れ単位で暴走する災害。
辺境では最悪級の被害を出す事もある。
受付嬢は続けた。
「既に近隣の村が二つ襲われてて……」
「今、ギルド総動員になってます」
その時だった。
ギルド二階。
ギルドマスター室の扉が勢いよく開く。
銀髪を後ろで束ねた長身の男――ラドヴィスが現れた。
眼鏡を押し上げながら、階段を降りてくる。
その表情は、いつもの疲れた事務屋ではない。
ギルドマスターの顔だった。
ギルド内が、静まり返る。
ラドヴィスは中央まで来ると、全員を見渡した。
そして。
低く、よく通る声で告げる。
「これより――」
「大規模討伐依頼を発令します」
「こちらへ向かってくる魔獣群の迎撃を行います!」
ラドヴィスの声が、ギルド全体へ響く。
「辺境街へ到達させれば被害は甚大になります!」
「冒険者全員で対処に当たってください!」
空気が、一気に張り詰めた。
スタンピード。
それは依頼ではない。
災害だ。
ギルド内の冒険者達も、もう騒いではいなかった。
武器を確認する者。
鎧を締め直す者。
無言で立ち上がる者。
空気が“戦場”へ変わっていく。
ザインも静かに左手袋を握る。
その横へ。
「おー、なんか久々にデカいの来たな!!」
リザリアがやって来た。
妙に嬉しそうだった。
巨大曲刀を二本背負っている。
尾がぶんぶん揺れていた。
「楽しそうですね……」
「そりゃな!」
リザリアは獰猛に笑う。
「こういうの、冒険者って感じするだろ!」
ザインは少しだけ苦笑した。
だが。
その胸の奥では、嫌な感覚もあった。
大規模戦闘。
集団戦。
怒号。
血の匂い。
どうしても、戦争を思い出す。
その時。
ラドヴィスがザインへ視線を向けた。
「ザイン君」
静かな声。
「無理はしないように」
眼鏡の奥の目は真剣だった。
彼は知っている。
ザインが“普通の少年ではない”事を。
そして。
左腕の問題も。
ザインは小さく頷いた。
「……はい」
その後。
辺境街の冒険者達は即座に動き始めた。
武器。
荷車。
回復薬。
矢。
防壁用資材。
ギルド総動員。
そして――
数時間後。
ザイン達は、辺境街近郊の丘へ布陣していた。
草原を見下ろす高台。
即席の防衛線。
木柵。
魔術陣。
弓兵達。
前衛冒険者。
そして。
遠く。
森の奥から。
地鳴りのような音が響いてくる。
ドドドドド……。
魔獣の群れ。
数が多い。
リザリアが曲刀を肩へ担ぎ、笑う。
「来るぞ」
ザインは静かに杖を握った。
風が吹く。
空気が、戦場へ変わっていく。
丘の上。
張り詰めた空気。
冒険者達が武器を構える中、ラドヴィスが前へ出た。
長い銀髪が風に揺れる。
黒いローブ。
手には、長杖。
眼鏡の奥の瞳は静かだった。
だが。
周囲の魔術師達は、その姿を見て息を呑んでいた。
ギルドマスター。
そして。
辺境最高峰の魔術師。
ラドヴィスは、静かに杖を掲げる。
詠唱。
空気が変わる。
莫大な魔力が丘全体へ広がっていく。
ザインの黒い瞳が僅かに見開かれた。
――大きい。
レヴィアナ級。
いや、それ以上かもしれない。
そして。
ラドヴィスが杖を振り下ろした。
「――焼き払え」
瞬間。
巨大な炎の魔法陣が空へ展開された。
次の瞬間。
轟音。
ゴォォォォォッ――!!
激しい炎が、丘の前方一帯を飲み込む。
草原が燃える。
突撃してきた魔獣群が、一瞬で炎に呑まれた。
咆哮。
悲鳴。
焼ける臭い。
巨大な火柱が夜空を赤く染める。
冒険者達が思わず息を呑む。
「すげぇ……」
だが。
それでも。
止まらない。
炎の中から、焼け焦げた魔獣達が飛び出してくる。
狼型。
猪型。
巨大昆虫。
異常な数。
ラドヴィスが即座に叫ぶ。
「迎撃開始!!」
その瞬間。
丘全体が動いた。
「うおおおおおっ!!」
前衛冒険者達が突撃する。
弓兵が矢を放つ。
魔術師達の魔法陣が展開される。
そして。
リザリアが、獰猛に笑った。
「行くぞザイン!!」
巨大曲刀を抜き放つ。
次の瞬間。
ドンッ!!と地面を砕きながら前線へ飛び込んだ。
「オラァァァァッ!!」
巨大曲刀が、魔獣をまとめて両断する。
血飛沫。
肉片。
尾による薙ぎ払い。
完全に暴風だった。
ザインも杖を構える。
深呼吸。
戦場。
怒号。
血。
一瞬だけ。
昔の記憶が脳裏を過る。
だが。
「――風刃」
薄緑の刃が放たれる。
迫る魔獣の首が飛ぶ。
ザインは静かに前を見る。
今は。
聖騎士団ではない。
これは。
自分で選んだ戦いだった。
戦場は、混沌としていた。
炎。
血。
怒号。
咆哮。
夜の丘が、完全に地獄へ変わっている。
その中で。
ザインは前へ出過ぎなかった。
徹底して、援護に回る。
「左っ!!」
前衛冒険者の死角。
そこへ飛び掛かった牙狼へ――
「――風刃」
薄緑の刃が走る。
ズバッ!!
牙狼の首が飛ぶ。
前衛の冒険者が息を呑む。
「た、助かった!!」
だが。
次が来る。
上空。
ギャァァァッ!!
小型の鳥型魔獣。
群れ。
前線の隙間を縫うように飛来する。
ザインの黒い瞳が、即座に軌道を読む。
杖を振る。
「風圧」
ドンッ!!
空気が炸裂する。
鳥型魔獣達がまとめて吹き飛ぶ。
更に。
「――風刃」
空中で数体が真っ二つになる。
だが。
戦線は広い。
全部は防ぎ切れない。
「ぐぁぁっ!!」
前衛の一人が、猪型魔獣へ吹き飛ばされる。
ザインは即座に走った。
「下がって!!」
負傷者の腕を掴み、後方へ引きずる。
魔獣が追撃してくる。
だが。
「オラァァッ!!」
リザリアの巨大曲刀が、横から魔獣を叩き潰した。
血飛沫が飛ぶ。
リザリアは笑っていた。
完全に戦場の怪物だった。
「そっちは任せた!!」
「はい!!」
ザインは負傷者を後衛へ押しやる。
治療班。
回復薬。
怒号。
担架。
その横を、また別の負傷者が運ばれていく。
戦況は、決して楽ではない。
ラドヴィスの広域魔法で数は削れた。
だが。
スタンピードは止まらない。
遠くの森から、まだ魔獣の咆哮が響いていた。
ザインは息を吐く。
左腕を見る。
黒い魔力義手。
今は、まだ問題ない。
だが。
長期戦になる。
その予感が、嫌なほどしていた。




