暖かな…
レヴィアナ達と別れた後。
温泉街には、ようやく静けさが戻り始めていた。
砕けた石畳。
焦げ跡。
まだ少し煙が上がっている。
ザインは宿の住所が書かれた紙を、静かに懐へしまった。
金級冒険者。
レヴィアナ。
ヴァレル。
シオン。
ルドヴィカ。
妙な連中だった。
だが。
不思議と、嫌な感じはしなかった。
その時。
「おーーーい!!」
遠くから、大声が響く。
ザインが振り向く。
そこには、巨大な紙袋を抱えたリザリアが居た。
「何やってんだお前ぇ!?」
尾をぶんぶん揺らしながら、こちらへ走ってくる。
そして。
通りの惨状を見て止まった。
「……え?」
砕けた石畳。
焦げ跡。
焼けた壁。
そして、ザイン。
リザリアがゆっくり顔を上げる。
「……お前」
「何した?」
「してません」
ザインは即答した。
リザリアがじーっと見る。
「絶対なんかあっただろ」
「……まぁ」
少しだけ視線を逸らす。
するとリザリアは、急に楽しそうに笑った。
「ははっ!!」
「温泉入ってる間に街半壊させるとか流石だな!!」
「だから違いますって」
「で?」
リザリアが身を屈める。
「誰と戦ったんだ?」
完全にワクワクしていた。
ザインは少し黙り。
それから、小さく息を吐く。
「……金級冒険者です」
その瞬間。
リザリアの尾が、ぴたりと止まった。
「……は?」
数秒沈黙。
そして。
「なんで生きてんだお前!?」
温泉街へ、大声が響いた。
ザインは少し困ったように笑う。
そんなやり取りをしながら。
二人は夜道を歩き出す。
辺境街へ向かう帰り道。
湯気の立つ温泉街を背にしながら。
◇
辺境街へ戻った頃には、すっかり深夜になっていた。
森の中の住処。
暖炉の火だけが、静かに揺れている。
ザインは椅子へ座り、温かい茶を受け取った。
その向かいで。
グリムヴァルドが静かに話を聞いている。
温泉街。
金級冒険者達。
レヴィアナ。
紫の魔力。
そして――
“魔族”と言われた事。
そこまで聞いた時だった。
グリムヴァルドの目が、僅かに細まる。
暖炉の火が、ぱちりと鳴った。
「……魔族、か」
静かな声。
ザインは少し身を乗り出す。
グリムヴァルドは茶を一口飲み、それからゆっくり口を開いた。
「魔族とは、闇の魔力を操る一族でな」
「今では、ほとんど残っておらん」
「大昔は人間や獣人と戦争もしておったらしいが……まぁ今は伝承に近い」
ザインは黙って聞いている。
グリムヴァルドは、そこで少しだけザインを見る。
「しかし……」
低い声。
「お主の、無い左腕からは」
「確かに“魔族系統”の魔力を感じるからの」
その瞬間。
ザインの表情が固まった。
「……は?」
数秒。
完全に停止する。
そして。
「ど、どうして先に言ってくれないんですか!?」
思わず立ち上がる。
かなり珍しく、声が大きかった。
グリムヴァルドは気怠そうに茶を飲む。
「気付いておるかと思っての」
「気付きませんよ!?」
「そうか?」
「そうですよ!!」
珍しく本気で動揺していた。
グリムヴァルドは、ふぅむと鼻を鳴らす。
「それに」
「お主、過去も何も話してくれんではないか」
ザインが少し黙る。
グリムヴァルドは暖炉を見ながら続けた。
「事情があって、そういう事なのだろうと思っておった」
静かな声だった。
責める訳でもない。
ただ、本当にそう判断していたという口調。
ザインは言葉に詰まる。
確かに。
自分も多くを話してはいない。
聖騎士団の事。
左腕の事。
戦争の事。
逃げてきた事。
全部、曖昧にしていた。
暖炉の火が揺れる。
その前で。
ザインは静かに、自分の左腕を見下ろしていた。
暖炉の火が、静かに揺れている。
グリムヴァルドは何も言わなかった。
急かさない。
ただ、待っている。
ザインはしばらく左腕を見ていた。
黒い長手袋。
その下の、失われた左肩。
やがて。
小さく息を吐く。
「……実は」
静かな声だった。
「僕」
「聖騎士団に拾われたんです」
グリムヴァルドの目が、僅かに細まる。
だが、口は挟まない。
ザインは続けた。
「子供の頃に」
「そこから、ずっと聖騎士団で育ちました」
暖炉の火がぱちりと鳴る。
ザインの黒い瞳が、火を見つめていた。
「ある日」
「北の祠で、“魔石”に触れたんです」
その瞬間。
左腕を、無意識に握る。
「そしたら」
「その魔石が、左腕に吸収されて」
声が少しだけ掠れる。
「……そこから、おかしくなった」
グリムヴァルドは黙って聞いている。
ザインは続ける。
「最初は、力が強くなっただけだと思ってました」
「でも……違った」
「女王が」
「その左腕を、切断しろって」
静かな森。
暖炉の音だけが響く。
ザインの声も、静かだった。
感情を押し殺すみたいに。
「聖騎士団の人達に」
「左腕を切られました」
「……魔道砲の炉心に使う為に」
グリムヴァルドの表情が、ほんの少しだけ険しくなる。
ザインは気付かないまま続けた。
「それで」
「次は右腕か脚も必要になるって知って」
「逃げました」
ぽつり、と。
「聖騎士団から」
暖炉の火が揺れる。
ザインは俯いたままだ。
「追われて」
「崖から落ちて」
「川に流されて」
「……そこで、グリムヴァルドに拾われたんです」
話し終わる。
静寂。
暖炉の音だけが、小さく響いていた。
「……そうか」
グリムヴァルドは、静かに言った。
その声は、とても優しかった。
暖炉の火が揺れる。
ザインは俯いたまま、自分の左腕を見ている。
グリムヴァルドはしばらく黙っていた。
やがて。
小さく息を吐く。
「そんなことが、あったのか……」
低い声だった。
そこには驚きも。
怒りも。
少しだけ滲んでいた。
聖騎士団。
女王。
子供の腕を切り落とし、兵器へ使う。
普通ではない。
グリムヴァルドは暖炉を見る。
そして。
ゆっくりザインへ視線を戻した。
「……聞いて悪かったな」
静かな声。
責めるような響きは一切無かった。
むしろ。
“話させてしまった”事への申し訳なさが滲んでいた。
ザインは少し目を見開く。
そんな反応をされると思っていなかったのかもしれない。
グリムヴァルドは続けた。
「無理に思い出させるものではなかった」
「すまん」
暖炉の火が、ぱちりと鳴る。
ザインはしばらく黙っていた。
それから。
小さく首を振る。
「……いえ」
「グリムヴァルドには、話しておきたかったので」
その言葉に。
グリムヴァルドは少しだけ目を細めた。
「そうか」
それだけだった。
だが。
その返事は、どこか暖かかった。
暖炉の火が、静かに揺れている。
森の夜は静かだった。
外では風が木々を揺らし、時折小さく枝が鳴る。
グリムヴァルドの住処。
薬草の匂い。
乾燥した葉。
棚へ並ぶ瓶。
その暖かな空間の中で。
ザインは椅子へ腰掛けたまま、自分の左腕を見ていた。
長手袋の下。
そこにある、黒い魔力義手。
そして、その奥にある“何か”。
グリムヴァルドは向かいで茶を飲んでいる。
静かな時間だった。
やがて。
グリムヴァルドが、小さく口を開く。
「……少しは楽になったか?」
ザインは少しだけ目を瞬かせる。
「……え?」
「話した事だ」
暖炉の火を見ながら、グリムヴァルドは続ける。
「ずっと抱えておったのだろう」
低い声だった。
ザインは黙る。
火を見る。
ぱちり、と薪が鳴る。
しばらくして。
小さく息を吐いた。
「……分からないです」
正直な声だった。
「軽くなったのか」
「逆に整理がつかなくなったのか」
「自分でも、よく分からなくて」
グリムヴァルドは、それを否定しない。
ただ静かに聞いていた。
ザインは左腕を握る。
黒い義手が、微かに軋む。
「聖騎士団にいた頃は」
「戦うのが普通でした」
「命令されて」
「敵を斬って」
「また次の戦場へ行く」
黒い瞳が、暖炉を映す。
「でも」
「辺境へ来て」
「リザリアと依頼受けて」
「温泉街行って」
「なんか……」
少しだけ困ったように笑う。
「普通なんですよね」
その言葉に。
グリムヴァルドは、少しだけ目を細めた。
ザインは続ける。
「普通に働いて」
「笑って」
「ご飯食べて」
「それが、なんか不思議で」
暖炉の火が揺れる。
その横顔は、まだ幼かった。
本来なら、戦争より先に日常を知る年齢だ。
グリムヴァルドは茶を置く。
そして、静かに言った。
「それで良いのだ」
ザインが少し顔を上げる。
グリムヴァルドは、穏やかな声で続けた。
「お主は今まで、戦場しか知らなんだ」
「ならこれから覚えれば良い」
「普通に生きるという事をな」
静かな言葉だった。
押し付けるでもない。
ただ、自然に。
ザインはしばらく黙る。
そして。
小さく笑った。
「……難しいですね」
「そりゃそうだ」
グリムヴァルドは即答した。
「皆、案外下手だぞ」
「普通に生きるのは」
その返答に。
ザインは少しだけ吹き出した。
暖炉の前。
森の夜。
その笑い声は、以前よりずっと自然だった。




