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欠けた少年の帰る場所  作者: 羽衣月
冒険者
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少女の来訪

ジンが森で暮らし始めて、半年が過ぎていた。


北方の短い春は終わり。


森は深い緑へ包まれている。


川辺には花が咲き。


雪で閉ざされていた山道にも、獣道が戻っていた。


そして。


ジン自身も、少しずつ変わっていた。


「……っ」


森の中。


ジンはゆっくりと歩いていた。


杖無しで。


まだ左脚には痛みが残る。


雷撃で焼かれた傷は深く、完全には治っていない。


だが。


以前みたいに、まともに立てない程ではなくなっていた。


ぎこちないながらも、一歩ずつ進める。


「焦るな」


少し離れた木陰から、グリムヴァルドの声が飛ぶ。


腕を組みながら、こちらを眺めていた。


「変な歩き方を覚えると、一生癖になるぞ」


「……はい」


ジンは小さく息を吐く。


額には汗。


半年で体力はかなり戻った。


痩せ細っていた身体にも、少しずつ肉が戻ってきている。


それでも。


左脚だけは、まだ思うようには動かなかった。


一歩。


また一歩。


ゆっくり地面を踏む。


痛む。


だが。


歩ける。


それだけで、少し嬉しかった。


昔なら、こんな事で喜ぶ余裕なんて無かった。


生き残る事ばかり考えていたから。


途中。


左脚へ強い痛みが走る。


「っ……」


バランスが崩れる。


身体が傾く。


だが。


ジンは咄嗟に近くの木へ手を付き、なんとか踏み止まった。


荒い呼吸。


汗が頬を伝う。


グリムヴァルドがゆっくり近付いてくる。


「脚はどうだ」


「……前よりは」


「痛むか?」


「まぁ」


ジンが苦笑する。


グリムヴァルドは鼻を鳴らした。


「無茶をするな」


「お主、妙な所で頑張り過ぎる」


その言葉に。


ジンは少しだけ目を逸らす。


図星だった。


聖騎士団に居た頃から。


“無理をする”のが当たり前になっている。


休み方が分からない。


グリムヴァルドはそんなジンを見ながら、小さく息を吐いた。


「生き急ぐな」


森を風が抜ける。


葉が揺れる。


その音を聞きながら、グリムヴァルドは続けた。


「お主は、もう少しくらいゆっくり生きてもよい」


その言葉に。


ジンは少しだけ黙った。


ゆっくり生きる。


そんな事。


今まで考えた事も無かった。



――コンコン。


扉が叩かれる音がした。


夕暮れだった。


森へ差し込む光は橙色へ変わり、グリムヴァルドの住処にも長い影が伸びている。


室内には乾燥薬草の匂い。


暖炉では、小さく火が揺れていた。


ジンは机で薬草を仕分けていた手を止める。


半年。


この森で暮らして、半年が経っていた。


最初は何も分からなかった薬草も、今では簡単な判別くらいなら出来る。


毒草。


薬草。


煎じ用。


保存用。


そんな知識ばかりが、少しずつ増えていた。


「入れ」


グリムヴァルドが気怠そうに声を返す。


扉が開いた。


「グリムヴァルドー!」


元気な声だった。


小さな獣人の少女が、ぱたぱたと家へ入ってくる。


栗色の耳。


小さな籠。


見慣れた来客らしく、遠慮が無い。


「そろそろいつもの薬切れるから貰いに来たよー!」


「勝手に上がるな」


「いつも上がってるじゃん」


「……図々しい奴だな」


グリムヴァルドは呆れたように溜息を吐く。


だが。


そのやり取りには、どこか慣れた空気があった。


少女はそこで、初めてジンへ気付く。


「……あれ?」


ぱちぱちと瞬きをする。


白い髪。


顔の傷。


見慣れない少年。


その視線が、ふと左側へ向く。


空の袖。


その瞬間。


ジンは反射的に外套を引き寄せた。


左側を隠すように。


無意識だった。


もう癖になっている。


少女は「?」という顔をしたが、深くは聞かなかった。


代わりに。


じーっとジンの顔を見始める。


遠慮の無い視線。


子供特有の、純粋な好奇心だった。


「へぇー……」


少女が少し顔を近付ける。


そして。


ふと、ジンの瞳で止まった。


「……あ」


小さく声を漏らす。


「目、黒いんだ!」


ジンの肩が小さく揺れる。


黒い瞳。


東方人特有の色。


聖王国では珍しかった。


少女は悪気も無く言った。


「変なのー!」


けらけら笑う。


だが。


次の瞬間。


「でも綺麗!」


ぱっと笑顔になる。


「夜みたい!」


その言葉に。


ジンの呼吸が、ほんの少し止まった。


黒い瞳。


綺麗。


その言葉を。


昔、聞いた事がある。


――『黒い目なんだ』


ふと。


脳裏へ、小さな記憶が蘇る。


雪。


寒い砦。


意識も曖昧だった幼い頃。


誰かが、自分の顔を覗き込んでいた。


優しい声。


柔らかい匂い。


――『夜みたいで綺麗』


誰だったか。


そこまで思い出しかけて。


記憶は霧みたいに崩れていく。


顔が思い出せない。


声だけが、ぼんやり残る。


「……?」


少女が不思議そうに首を傾げた。


ジンは小さく目を伏せる。


「……そうですか」


掠れた声だった。


グリムヴァルドだけが、静かにその様子を見ていた。


「薬ありがとー!」


少女は、受け取った薬袋を嬉しそうに抱えた。


それから慣れた様子で、持ってきた籠を机へ置く。


中には。


焼きたてらしいパンが幾つも入っていた。


まだ少し温かい。


そして、その横には小さな革袋。


硬貨の音がした。


「お母さんが、いつもありがとうって!」


少女はにぱっと笑う。


グリムヴァルドは面倒臭そうに手を振った。


「よいよい」


「また咳が酷くなったら来い」


「うん!」


少女は元気よく頷く。


そして、帰り際。


ちらっとジンを見る。


「じゃあね!白いお兄ちゃん!」


そう言って、ぱたぱたと外へ走っていった。


扉が閉まる。


森の静けさが戻る。


暖炉の火だけが、小さく揺れていた。


ジンは机へ置かれたパンを見る。


少し驚いていた。


物々交換。


薬を渡して、パンと金を受け取る。


グリムヴァルドは、こうして生活していたのか。


しばらく沈黙が流れる。


その後。


ジンは小さく口を開いた。


「……そういえば」


グリムヴァルドが薬草を片付けながら視線だけ向ける。


「ここって、何処なんですか」


ジンは少し迷うように続けた。


「少女が一人で森まで来れるなんて……」


「近くに村でもあるんですか?」


グリムヴァルドはきょとんとした顔をした。


「ん……?」


それから。


少し呆れたように言う。


「知らなかったのか」


ジンは小さく瞬きをする。


グリムヴァルドは窓の外――森の向こうを見た。


「ここは辺境街に近い森だぞ」


その言葉に。


ジンの身体が小さく固まる。


辺境街。


その名は知っていた。


聖王国と帝国、その境界近くに存在する中立地帯。


流れ者。


傭兵。


獣人。


商人。


様々な者が集まる“境界の街”。


グリムヴァルドは淡々と続けた。


「聖王国と帝国の境目にある辺境だ」


「戦争から逃げて来る者も多い」


「まぁ……変わり者ばかり集まる土地よ」


暖炉の火が揺れる。


ジンは少し黙った。


辺境街。


そこは。


聖王国から、かなり離れている。


追っ手も。


聖騎士団も。


もう簡単には来れない場所だった。


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