白髪の少年・生きる
一ヶ月後。
北方の雪は、ほとんど溶け落ちていた。
白一色だった世界には、少しずつ緑が戻り始めている。
冷たい風の中にも、春の匂いが混ざっていた。
森の中を。
一人の少年が、ゆっくり歩いている。
杖を突きながら。
「……っ」
まだ左脚は完全には治っていなかった。
雷撃で焼けた傷は深く、長く歩けば激痛が走る。
それでも。
最初に比べれば、随分動けるようになっていた。
右手には、小さな籠。
中には薬草や野草が入っている。
この一ヶ月。
ジンはグリムヴァルドの家で暮らしていた。
薬草採取。
水汲み。
薪割り。
出来る事は少しずつ手伝った。
左脚が動かない時は、座って薬草を仕分けるだけの日もあった。
グリムヴァルドは何も聞かなかった。
ジンも多くを話さなかった。
それでも。
静かな時間だけが流れていた。
「……」
ふと。
ジンは川辺で立ち止まる。
雪解け水は、以前より穏やかに流れていた。
杖を支えにしながら、ゆっくり水面を覗き込む。
そこに映った顔を見て。
ジンは少しだけ目を細めた。
左側の頬から首筋にかけて、雷傷が走っている。
アリアの雷。
あの日の傷。
薄く残る焼け跡は、今でも消えない。
そして。
髪。
黒かった髪は、ほとんど白へ変わっていた。
雪みたいな色。
まるで別人だった。
「……誰だよ」
ぽつりと漏れる。
水面の中の少年は。
もう、第七砦で笑っていた少年には見えなかった。
片腕。
白髪。
傷だらけの顔。
痩せ細った身体。
まるで。
戦争そのものが、人の形をして立っているみたいだった。
川の水が揺れる。
映る顔も歪む。
その時。
不意に後ろから声がした。
「そんな辛気臭い顔をするな」
グリムヴァルドだった。
薬草籠を抱えたまま、呆れたようにこちらを見ている。
「治るものも治らんぞ」
ジンは少しだけ目を逸らす。
「……別に」
「別に、じゃない」
グリムヴァルドは川辺へ近付き、水面を覗いた。
そこへ映る白髪の少年。
しばらく見つめ。
それから、静かに言った。
「生き残った顔だ」
ジンの瞳が、少しだけ揺れた。
グリムヴァルドはそれ以上何も言わない。
ただ。
川の流れだけが、静かに響いていた。
川の水面が揺れる。
白髪の少年の顔も、ゆらゆらと歪んだ。
左頬から首筋へ走る雷傷。
焼け爛れた痕。
アリアの雷。
あの日の傷。
ジンはしばらく無言でそれを見つめていた。
それから。
ふと、右手を自分の顔へ向ける。
指先へ、淡い光が集まった。
治癒魔術。
聖騎士団で叩き込まれた術式。
傷を塞ぎ。
肉を癒す力。
「……」
静かな集中。
光が、ゆっくり雷傷を包む。
淡い。
優しい光。
以前なら。
もっと強く、綺麗に発光していた。
だが今は違う。
魔力は不安定で。
術式もどこか揺らいでいる。
それでも。
ジンは魔術を流し込んだ。
傷を消したかった。
せめて。
この顔だけでも。
昔の自分へ戻したかった。
だが。
数秒後。
光が、静かに霧散する。
傷は残ったままだった。
焼けた皮膚。
深く刻まれた痕。
何一つ消えていない。
「……っ」
ジンの指先が小さく震える。
もう一度。
今度は少し強引に魔力を流す。
光が走る。
だが。
傷は動かない。
深すぎる。
魔力焼け。
神経まで傷付いた古傷。
治癒魔術では、完全には戻らない。
ぱちり、と。
術式が崩れた。
光が消える。
川辺へ静寂が落ちる。
ジンはしばらく動かなかった。
ただ。
水面の自分を見ている。
白髪。
雷傷。
片腕。
どれだけ魔術を使っても。
もう、昔の自分には戻れない。
その現実だけが、静かに胸へ沈んでいく。
その時。
後ろで、グリムヴァルドが小さく目を細めた。
「ほう……」
少し感心したような声。
「お主、魔術が使えるのか」
ジンの肩が小さく揺れる。
グリムヴァルドは川辺へ近付き、水面を覗いた。
そこへ映る白髪の少年。
雷傷。
片腕。
しばらくそれを見つめ。
それから静かに言った。
「だが、その傷は魔術では消えんよ」
風が吹く。
森が揺れる。
グリムヴァルドは淡々と続けた。
「傷跡は、魔術では治らん」
その言葉に。
ジンは何も返せなかった。
ただ。
水面へ映る自分を、静かに見つめ続けていた。
◇
それからの日々は、静かに過ぎていった。
雪は溶け。
森には少しずつ緑が戻ってくる。
ジンも、少しずつ動けるようになっていた。
左脚はまだ痛む。
長く歩けば杖が必要だった。
胸傷も、寒い日は疼く。
それでも。
生きるだけなら、もう問題ない程度には回復していた。
ある日。
グリムヴァルドは薬草籠を抱えながら、不意に言った。
「お主、魔術が使えるなら」
森を歩きながら、ちらりとジンを見る。
「簡単な魔術くらいなら教えてやろう」
ジンは少し目を瞬かせた。
「……魔術を?」
「うむ」
グリムヴァルドは当然みたいに頷く。
「もっとも、戦争用の物ではないがな」
その日から。
グリムヴァルドは、少しずつ魔術を教えるようになった。
だが。
それは聖騎士団で教わった物とは全く違っていた。
「これは毒草判別」
グリムヴァルドが指先へ淡い光を灯す。
すると。
地面の草花の一部だけが、ぼんやり赤く発光した。
「毒性がある植物は色が変わる」
「採取の事故防止だ」
ジンは目を見開く。
こんな魔術、知らなかった。
聖騎士団で教わる魔術は、
•戦闘
•治癒
•強化
そういう物ばかりだった。
生きる為の魔術ではなく。
“戦う為の魔術”。
グリムヴァルドは別の日、乾燥薬草を小袋へ入れながら言った。
「収納術式は覚えておけ」
「旅をするなら便利だ」
指先が光る。
すると。
小袋が、ふっと消えた。
ジンの目が僅かに見開かれる。
「……空間魔術?」
「基礎の基礎だ」
グリムヴァルドは平然としていた。
「荷運び用の簡易術式に過ぎん」
ジンは術式を見つめる。
知らない構成だった。
聖騎士団式とは違う。
もっと柔らかい。
生活へ溶け込んだ魔術。
「……こんなの、初めて見ました」
ぽつりと漏れる。
グリムヴァルドは少しだけ笑う。
「当たり前だ」
「お主ら人間は、戦争用の魔術ばかり発展させ過ぎた」
森を風が抜ける。
薬草が揺れる。
グリムヴァルドは続けた。
「本来、魔術とは生活の知恵だ」
「火を起こし」
「水を浄化し」
「食料を保存し」
「毒を避ける」
「そういう物から始まっておる」
ジンは静かに聞いていた。
知らなかった。
そんな魔術の世界を。
聖騎士団では教わらなかった。
戦う方法ばかりで。
生きる方法なんて、誰も教えてくれなかったから。




