後悔
崖下へ、ジンの身体が消えた。
その瞬間。
雪原から音が消えた。
吹雪の音すら、遠い。
誰も動けなかった。
ルシャの剣先から、ぽたりと血が雪へ落ちる。
赤。
白い世界へ滲んでいく。
ルシャは、自分の手を見ていた。
震えている。
剣を握ったまま。
まるで、自分が何をしたのか理解出来ていないみたいに。
「……ぁ」
掠れた声。
膝が、崩れ落ちる。
雪へ沈む。
剣も手から落ちた。
ガシャン――
鈍い音。
ルシャは崖を見ていた。
さっきまで。
あそこにジンが居た。
白い髪。
怯えた目。
助けを求める訳でもなく。
ただ。
必死に生きようとしていた。
その少年を。
自分が斬った。
「……ジン?」
震える声。
返事は無い。
吹雪だけが唸っている。
アリアも動けなかった。
雷撃弓が雪へ落ちている。
指先が痙攣していた。
自分が撃った。
脚を射抜いた。
止めた。
だから。
ルシャの剣が届いた。
「……や……」
唇が震える。
「やだ……」
呼吸が乱れる。
頭が真っ白だった。
次の瞬間。
アリアが崖へ駆け出す。
「ジンッ!!」
雪を蹴る。
崖際へ滑り込む。
だが。
下は吹雪だった。
白。
何も見えない。
深い谷。
月光すら届かない。
「ジン!!」
叫び。
返事は無い。
アリアの瞳から涙が零れ落ちる。
「返事してよッ!!」
喉が裂けそうな声。
それでも。
返事は返ってこない。
後ろでは、他の聖騎士達も完全に沈黙していた。
誰も口を開けない。
誰も近付けない。
皆、理解してしまったから。
今、自分達は。
“守るべきだった少年”を追い詰めて。
崖下へ落としたのだと。
ルシャが、ゆっくり崖へ近付く。
足取りが死んでいる。
雪へ膝を付き。
崖下を見つめる。
「……違う」
小さな声。
「私は……」
震える。
「こんなの……したかったんじゃ……」
そこで、言葉が途切れた。
脳裏へ蘇る。
訓練場。
小さな黒髪の少年。
必死に剣を振る姿。
「ルシャさん!」
と、後ろから追い掛けてきた声。
笑いながら、槍を抱えていた姿。
全部。
全部。
今、崖下へ落ちていった。
ルシャの呼吸が崩れる。
「……ぁ……ぁ……」
涙が雪へ落ちる。
アリアは崖際で、必死に下を見続けていた。
「嘘……」
「嘘だよね……」
「ジン……」
雪だけが降り続ける。
白い世界。
静かな崖。
そして。
聖騎士団の誰もが。
自分達が、取り返しのつかない事をしたのだと理解していた。
吹雪は止まらなかった。
まるで。
聖王国の誰一人として、泣く事すら許さないみたいに。
白い雪が降り続ける。
崖の上。
そこに居た聖騎士達は、誰も動けなかった。
アリアは崖際へ膝を付き、必死に下を覗き込んでいた。
「ジン!!」
叫ぶ。
声が裂ける。
「返事して!!」
何度も。
何度も。
吹雪へ向かって叫ぶ。
でも。
返ってくるのは風の音だけだった。
「やだ……」
涙が止まらない。
「やだよぉ……」
弓を握る手が震える。
自分の指。
その指が、弦を離した。
自分が撃った。
自分が止めた。
だから。
ルシャの剣が届いた。
その事実だけが、頭の中で何度も反響する。
「私が……」
掠れた声。
「私が撃ったから……」
その瞬間。
アリアの喉から、壊れたみたいな声が漏れた。
「ぁぁぁぁぁぁぁッ!!!!」
慟哭だった。
崖へ縋り付く。
雪へ爪を立てる。
「ジンッ!!」
「ごめんなさい!!」
「ごめんなさいぃぃッ!!」
涙が雪へ落ちる。
吹雪が、それすら奪っていく。
ルシャも、崩れていた。
雪へ膝を付き。
剣を落としたまま。
自分の右手を見つめている。
震えていた。
止まらない。
「……なんで」
小さな声。
「なんで、振った……」
脳裏へ、何度もあの瞬間が蘇る。
雷撃。
突進。
迎撃。
剣。
血。
ジンの顔。
怯えていた。
自分を見ていた。
それなのに。
身体が勝手に動いた。
戦場で生き残る為に鍛えた反射が。
一番守りたかった相手を斬った。
ルシャの瞳から、涙が零れ落ちる。
「ジン……」
掠れた声。
「ごめん……」
「ごめんな……」
そして。
ルシャも、とうとう壊れた。
「ぁぁぁぁぁぁぁぁッ!!!!」
雪原へ響く咆哮。
獣みたいな叫びだった。
地面を拳で殴る。
何度も。
何度も。
雪が赤く染まる。
拳が裂けても止まらない。
「違うんだ!!」
「私はッ!!」
「お前をッ!!」
最後まで言葉にならなかった。
他の聖騎士達も、誰も止められない。
皆。
泣いていた。
理解していた。
あの少年は。
ずっと怖がっていた。
助けを求めていた。
それなのに。
自分達は。
追い詰めた。
逃げ場を奪った。
そして最後は――
斬った。
吹雪が荒れ狂う。
白い世界。
崖の下は見えない。
だが。
その白の中へ落ちていった片腕の少年の姿だけは。
誰の目にも、焼き付いて離れなかった。




