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欠けた少年の帰る場所  作者: 羽衣月
聖騎士団
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逃走準備

― 夜 ―

第七砦・補給倉庫裏


吹雪は止まる気配を見せなかった。


白い雪が砦の石壁へ叩き付けられている。


夜の補給区画は静かだった。


巡回騎士の足音だけが、時折遠くを通り過ぎる。


その薄暗い倉庫裏で。


フィリスは木箱を前にしゃがみ込んでいた。


厚手の防寒布。


乾燥携帯食。


止血薬。


携帯火打石。


少しずつ。


本当に少しずつ、必要物資を集め始めている。


だが。


「……足りない」


掠れた声。


フィリスは帳簿を見下ろした。


片腕の少年を、吹雪の北方から逃がす。


それがどれほど無謀か、彼女自身が一番理解している。


食料だけでは駄目だ。


医療。


保温。


移動補助。


休息地点。


そして何より――。


“ジン本人を連れ出す理由”。


今のジンは、まだ聖騎士団を家族だと思っている。


自分から逃げようとはしない。


だから。


誰かが必要だった。


ジンの傍へ自然に居られて。


なおかつ、信用出来る人間。


フィリスは目を閉じる。


脳裏へ浮かぶ顔が二つあった。


セレナ。


そしてミーナ。


「……」


セレナは医療知識がある。


傷の管理も出来る。


何より、切断以降ずっとジンを診てきた。


幻肢痛の波も。


夜の発熱も。


全部知っている。


ミーナは補給班だ。


物資の流れに詳しい。


携帯食や冬装備も自然に持ち出せる。


そして何より。


二人とも、まだジンを“家族”として見ている。


フィリスはゆっくり息を吐いた。


怖かった。


もし拒絶されたら。


密告されたら。


全部終わる。


反逆罪だ。


女王への反逆。


聖騎士団への背信。


だが。


あの日の悲鳴が脳裏から消えない。


「……もう、間に合わなくなる」


小さな呟き。


フィリスは立ち上がった。


雪が強い。


その時だった。


「フィリスさん……?」


小さな声。


振り返る。


そこに居たのはミーナだった。


両手に補給袋を抱えている。


灰色の耳が不安そうに揺れていた。


「こんなところで、どうしたのぉ……?」


フィリスの呼吸が止まる。


見られた。


数秒。


沈黙。


吹雪だけが唸る。


ミーナの視線が、木箱の中身へ向く。


防寒具。


携帯食。


止血薬。


その瞬間。


小柄な鼠獣人の表情が、ゆっくり変わった。


「……フィリスさん」


掠れた声。


「それ……」


フィリスは迷った。


ここで誤魔化すべきか。


否定するべきか。


だが。


もう時間が無い。


フィリスは静かに目を伏せた。


そして。


小さく呟く。


「……ジンを逃がします」


吹雪が強くなる。


ミーナの瞳が大きく揺れた。


「え……」


フィリスは続ける。


「一週間後、また切断計画があります」


その瞬間。


ミーナの顔から血の気が引いた。


抱えていた補給袋が、雪へ落ちる。


「うそ……」


震える声。


フィリスは首を振った。


「本当です」


「このままだと、あの子……」


そこまで言って、言葉が詰まる。


ミーナは数秒動かなかった。


やがて。


小さな身体が震え始める。


「……やだ」


掠れた声。


「もう、やだよぉ……」


涙が零れる。


「また、ジンくん泣いちゃうじゃん……」


フィリスの胸が締め付けられる。


ミーナは両手で顔を覆った。


肩が震える。


だが。


数秒後。


彼女はゆっくり顔を上げた。


涙でぐしゃぐしゃのまま。


それでも。


その瞳には、確かな意思が宿っていた。


「……やる」


小さな声。


「ミーナも、手伝う」


吹雪が、二人の間を白く染めていく。


その夜。


聖騎士団の中でまた一人。


“王命より、ジンを選ぶ側”が増えた。



― 同夜 ―

第七砦・医務棟薬品庫


吹雪の音が、石壁越しに低く唸っていた。


薬品庫の中は静かだった。


乾燥薬草の匂い。


薬液。


消毒酒精。


棚一面へ並ぶ瓶と包帯。


その薄暗い空間で、セレナは一人作業をしていた。


淡い灯りの下。


羊獣人の少女は、静かな手付きで薬包を分けている。


止血薬。


解熱剤。


鎮静剤。


そして。


強力な痛み止め。


小さな革袋へ、一つずつ丁寧に詰めていく。


その動きには迷いが無かった。


まるで。


最初から決めていたみたいに。


「……あと三日分」


小さな呟き。


薬品台の横には、既に纏められた荷物が置かれていた。


携帯包帯。


縫合針。


簡易副木。


耐寒薬。


普通の巡回診療用にしては、明らかに多い。


その時。


コン、と小さなノックが響く。


セレナの手が止まる。


「……はい」


扉が開く。


そこに立っていたのはフィリスだった。


吹雪のせいで羽毛へ雪が積もっている。


フィリスは部屋へ入るなり、周囲を確認した。


誰も居ない。


扉が閉まる。


静寂。


数秒後。


フィリスが小さく口を開いた。


「……セレナ」


掠れた声。


「話があります」


だが。


セレナは驚かなかった。


代わりに、静かに薬包を畳む。


そして。


ぽつり、と呟いた。


「ジンを逃がす話ですよね」


フィリスの瞳が見開かれる。


薬品庫へ沈黙が落ちた。


吹雪だけが遠く唸っている。


フィリスは数秒、言葉を失っていた。


やがて。


ゆっくり視線が、薬品台の横へ向く。


纏められた携帯医療具。


耐寒薬。


片腕固定帯。


そこでようやく理解する。


「……まさか」


セレナは静かに息を吐いた。


「一週間前から準備してました」


掠れた声。


「追加切断計画の話を、医療班経由で聞いたので」


フィリスの喉が詰まる。


セレナは手を止めない。


薬包を丁寧に紐で纏めながら続ける。


「最初は迷いました」


「でも……」


そこで初めて、彼女の手が少し震えた。


脳裏へ浮かんでいるのだろう。


夜中、幻肢痛で呻いていたジン。


左肩を押さえて震えていた姿。


それでも、“大丈夫です”と笑おうとしていた少年。


「もう、診たくないんです」


掠れた声。


「これ以上、あの子が削られるところ」


フィリスは何も言えなかった。


セレナは普段、感情を大きく表へ出さない。


冷静だ。


医療班として、常に落ち着いている。


だからこそ。


今の声の震えが、本気だと分かってしまう。


セレナは小さく目を伏せた。


「……あの子、まだ聖騎士団へ居ようとしてるんですよ」


「片腕で訓練して」


「役に立とうとして」


「皆へ気を遣って……」


そこで言葉が詰まる。


「だから、余計に駄目なんです」


フィリスの羽毛が微かに揺れる。


セレナはゆっくり顔を上げた。


その瞳には、静かな覚悟が宿っていた。


「ジンは、自分から逃げません」


「だから私達が、連れ出さないと」


吹雪が窓を叩く。


その音だけが、しばらく薬品庫へ響いていた。


やがて。


フィリスは小さく頷く。


「……協力、してくれるんですね」


セレナは短く答える。


「最初から、そのつもりです」


そして彼女は、薬包の最後の紐を結んだ。


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