片手での戦闘訓練
― 切断から一ヶ月半後 ―
第七砦・第四訓練場
雪は、以前より明らかに強くなっていた。
空は重く閉ざされている。
白。
白。
白。
吹き荒れる粉雪が、訓練場の視界をぼやけさせていた。
石畳には新雪が積もり始めている。
北方戦線でも異常な寒波だった。
最近になって急激に冷え込みが強くなっている。
砦の古参騎士達でさえ、
「今年はおかしい」
と口を揃えるほどに。
そんな吹雪の中。
まだ正式訓練前の第四訓練場には、二つの影だけがあった。
ジン。
そしてルシャ。
ジンは片手用へ調整された短槍を握っている。
右手だけで。
吐く息は白い。
指先は赤く悴んでいた。
それでも。
踏み込み。
突き。
引き戻し。
何度も繰り返している。
だが。
片腕となった身体は、まだ完全に重心へ馴染んでいない。
「……っ」
踏み込みの瞬間、軸が流れる。
槍が逸れる。
ガツン、と石畳へぶつかった。
鈍い金属音。
その瞬間。
ジンの肩がびくりと震えた。
呼吸が少し止まる。
未だに身体へ残っている反射。
数秒後。
ジンは静かに息を吐いた。
「……大丈夫」
小さな独り言。
自分へ言い聞かせるみたいに。
その時だった。
「槍先が流れてる」
低い声。
ジンの身体が一瞬強張る。
振り返る。
吹雪の向こうに、ルシャが立っていた。
紅髪の狼獣人。
大柄な身体。
だが以前より少し痩せて見える。
雪が肩へ積もっていた。
ジンの呼吸が僅かに浅くなる。
まだ完全には慣れない。
ルシャを見ると、どうしてもあの日を思い出してしまう。
ルシャの方も、それが分かっていた。
だから距離を取る。
以前みたいに不用意には近づかない。
数秒、沈黙。
吹雪だけが唸っている。
やがてルシャがゆっくり訓練場へ入ってきた。
「……続けろ」
掠れた声。
ジンは小さく頷く。
再び槍を構える。
踏み込み。
突き。
だが次の瞬間、また体勢が流れた。
「そこ」
ルシャが静かに言う。
「以前は左腕で軸支えてた」
その瞬間。
空気が止まる。
ジンの動きも止まった。
左腕。
その単語だけで、胸の奥が少し冷える。
ルシャも、自分で言った瞬間に後悔した顔をした。
「……悪い」
低い声。
だがジンは、すぐ小さく首を振る。
「いえ……」
ぎこちない笑み。
「事実ですし」
その笑顔が、逆にルシャの胸へ刺さる。
気を遣われている。
許されようとしている。
それが苦しい。
ルシャは数秒黙っていた。
やがて。
ゆっくりジンの隣へ立つ。
左側には立たない。
ちゃんと右側へ回る。
その小さな配慮を見て、ジンの瞳が少し揺れた。
「……片腕槍はな」
ルシャが低く言う。
「両腕槍とは別物だ」
いつもの教導口調だった。
少しだけ。
昔みたいな。
「無理に前と同じ動きしようとすると死ぬ」
ジンは真剣に聞いている。
ルシャは槍を持ち上げた。
片手だけで構える。
重心。
足運び。
肩の向き。
以前の豪快な槍術とは違う。
もっと体重移動へ寄せた動き。
「腕が減った分、腰で振れ」
「肩じゃない」
「身体全部で扱う」
ルシャの槍が空を裂く。
重い。
片手とは思えない威力。
ジンの目が少し見開かれた。
「……すごい」
ぽつり、と漏れる。
その瞬間だけ。
昔みたいな純粋な尊敬の顔へ戻っていた。
ルシャの胸が少しだけ痛む。
でも嬉しかった。
まだ。
完全には壊れていない。
「やってみろ」
ジンが頷く。
構える。
踏み込む。
今度は肩ではなく腰を使う。
槍が前へ伸びる。
以前より少しだけ安定した。
「あ……」
ジンの瞳が少し揺れる。
ルシャが小さく頷いた。
「そうだ」
静かな声。
「今のお前なら、そっちの方が強い」
その言葉に。
ジンの呼吸が、ほんの少しだけ止まる。
強い。
まだ。
そう言ってもらえた。
役に立てるかもしれない。
戦えるかもしれない。
その小さな希望が、瞳の奥へ微かに灯る。
だが次の瞬間。
踏み込みを誤り、身体が崩れた。
「あっ――」
倒れかける。
その瞬間。
ルシャが反射的に手を伸ばした。
大きな手が、ジンの肩を支える。
ぴたり、と空気が止まる。
互いの身体が強張った。
近い。
近すぎる。
脳裏へ蘇る。
血。
拘束。
斧。
ルシャの呼吸が止まる。
しまった、と思った。
だが。
数秒後。
ジンは逃げなかった。
怯えた目にはなった。
でも。
以前みたいに振り払わなかった。
その代わり。
小さく、小さく呟く。
「……ありがとうございます」
掠れた声。
ルシャの瞳が揺れる。
そして。
本当に久しぶりに。
ほんの少しだけ笑った。
「……馬鹿」
低い声。
「まだふらついてんじゃねぇか」
吹雪は強くなっていく。
白い雪が、二人の肩へ静かに積もっていた。




