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欠けた少年の帰る場所  作者: 羽衣月
聖騎士団
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切断二週間後

― 切断から二週間後 ―

第七砦・医務棟隔離区画


雪は止んでいた。


久しぶりの晴れだった。


白く積もった雪が陽光を反射し、砦の石畳を眩しく照らしている。


その朝。


ジンは、初めて自分の足で隔離室の外へ出た。


「……無理そうなら、すぐ戻っていいですからね」


隣を歩くセレナが静かに言う。


ジンは小さく頷いた。


まだ顔色は悪い。


痩せた身体。


左袖は空のまま垂れている。


歩く速度も遅い。


それでも。


二週間ぶりの外だった。


廊下へ出た瞬間。


空気が変わる。


すれ違った騎士達の視線が、一斉にジンへ向いた。


「……」


誰も喋らない。


だが。


その目に浮かぶ感情だけは分かってしまう。


罪悪感。


後悔。


痛々しさ。


そして――恐怖。


以前なら。


「ジンくん!」


そう笑いながら声を掛けてきた騎士達が、今は誰も近づけない。


ジンの方も、視線を合わせない。


右手で左袖をそっと押さえながら、静かに歩いている。


その時だった。


廊下の向こうから、ミーナが駆けてきた。


「ジンくんっ」


小柄な鼠獣人の少女。


両手には包み袋。


焼き菓子の甘い匂いがする。


以前なら、そのまま勢いよく抱きついていた。


だが今は違う。


途中で足が止まる。


ジンの身体が、びくりと強張ったからだ。


「……ぁ」


ミーナの耳がしゅんと垂れる。


ジンはすぐ俯いた。


「ご、ごめんなさい……」


反射みたいな謝罪。


その言葉に、ミーナの瞳が潤む。


「ち、違うのぉ……!」


慌てて首を振る。


「怖がらせたかったんじゃないのぉ……!」


涙声だった。


ミーナは包み袋をぎゅっと抱き締める。


「お菓子、焼いたの……」


「ジンくん、甘いの好きだったからぁ……」


以前と同じように接したい。


でも。


もう前みたいに距離を詰められない。


その現実が、ミーナの胸を締め付けていた。


ジンはしばらく黙っていた。


やがて。


小さく頭を下げる。


「……ありがとうございます」


また敬語だった。


その優しさが、逆に痛い。


ミーナは耐えきれず、ぽろぽろ涙を零した。


「そんな言い方しないでよぉ……」


「前みたいに、ミーナさんって呼んでよぉ……」


ジンの指先が微かに震える。


だが。


返事は出来なかった。


同刻。

第四大隊訓練場


槍の打ち合う音が響いている。


だが、その中で。


リオーネだけは何度も集中を乱していた。


「っ……!」


槍先が逸れる。


訓練相手の騎士が慌てて距離を取った。


「だ、大丈夫ですか!?」


リオーネは返事をしない。


ただ、自分の両手を見つめている。


あの日。


ジンの肩を押さえつけた手。


怯える少年を拘束した手。


瑠璃色の瞳が、ゆっくり歪む。


「……すまない」


誰へ向けた言葉なのか、自分でも分からなかった。


周囲の騎士達も気まずそうに目を逸らす。


最近、第四大隊では誰も以前みたいに笑わない。


皆どこか壊れていた。


その時。


訓練場の端に、ジンの姿が見えた。


セレナに付き添われ、廊下を歩いている。


リオーネの呼吸が止まる。


ジンも、こちらへ気づいた。


一瞬だけ目が合う。


その瞬間。


ジンの肩が、小さく震えた。


リオーネの胸へ鋭い痛みが走る。


恐怖。


まだ、自分は怖がられている。


当然だった。


リオーネはゆっくり視線を落とす。


もう、ジンの前で槍を握る資格すら無い気がした。


同日・夕刻。

医務棟隔離室


夕陽が薄く差し込んでいた。


窓の外では、雪解け水が静かに軒先から落ちている。


ジンは寝台へ腰掛けたまま、右手で器を持っていた。


少しずつ。


本当に少しずつだけ、片腕の動作に慣れ始めている。


だが時折、無意識に左手を使おうとしてしまう。


その度に動きが止まり、瞳が小さく揺れた。


コン、と控えめなノック。


「……入るわね」


ベリアリアだった。


牛獣人の癒術騎士。


以前より明らかに痩せている。


目元には隠しきれない隈。


それでも彼女は、出来るだけ優しく笑おうとしていた。


ジンの肩が、少しだけ強張る。


完全には消えない反射。


だが以前みたいに怯えて呼吸を乱す事は減っていた。


その代わり。


静かに距離を取るようになっていた。


ベリアリアは、その変化が苦しかった。


「今日、少し歩けたって聞いたから……」


柔らかな声。


ジンは小さく頷く。


「……はい」


短い返事。


沈黙が落ちる。


以前なら。


ベリアリアは寝台の横へ座り、頭を撫でていた。


ジンも安心したみたいに身体を預けていた。


でも今は。


互いに、その距離へ踏み込めない。


ベリアリアは静かに椅子へ腰掛けた。


「……傷、まだ痛む?」


その問いに、ジンは少し考える。


そして。


「だいぶ、大丈夫です」


小さく答えた。


嘘だと分かる。


時折、幻肢痛で顔色が変わるのを皆見ている。


それでもジンは、“平気なふり”をしていた。


周囲を安心させるように。


迷惑を掛けないように。


それがもう、癖みたいになっている。


「……そう」


ベリアリアの声が少し掠れる。


ジンは視線を落としたまま、右手で空になった左袖をそっと押さえた。


そして。


ぽつり、と呟く。


「……ちゃんと、動けるようにならないと」


ベリアリアが顔を上げる。


ジンは続けた。


「片腕でも出来ること、覚えないとですよね」


静かな声だった。


怒りでも絶望でもない。


必死だった。


ここへ残る為に。


聖騎士団へ居続ける為に。


自分が“不要”にならないように。


「僕、掃除とか……荷物運びとかなら出来ると思うし」


「訓練の補助とかも……」


そこで少し言葉が詰まる。


以前みたいに戦えない事は、もう理解していた。


だからこそ。


必死に“別の役割”を探している。


この場所へ居る理由を。


家族の中へ残る理由を。


「だから……」


掠れた声。


「ちゃんと役に立てるようになります」


その言葉を聞いた瞬間。


ベリアリアの胸が強く締め付けられた。


違う。


そうじゃない。


役に立つから居ていいんじゃない。


でも。


今のジンには、それ以外の価値基準が無い。


皆の役に立つこと。


必要とされること。


それだけを支えに、この子はここまで生きてきた。


ベリアリアの瞳が潤む。


だが泣いてはいけないと思った。


今泣けば、またこの子は気を遣ってしまう。


するとジンが、小さく視線を上げる。


そして。


ぎこちなく笑おうとした。


以前みたいな無邪気な笑顔ではない。


相手を安心させる為だけの、不器用な笑み。


「……大丈夫です」


掠れた声。


「ちゃんと、頑張るので」


その言葉が。


ベリアリアの心を、静かに抉っていった。

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