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欠けた少年の帰る場所  作者: 羽衣月
聖騎士団
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残った恐怖

第七砦・医務棟隔離室


窓の外では、まだ雪が降っていた。


白い。


静かな。


音の無い朝だった。


隔離室の中には、規則的な時計の音だけが響いている。


カチ、カチ、と。


その静寂を破ったのは、小さな呼吸音だった。


「……っ」


ベッドの上。


ジンの指先が微かに動く。


それに最初に気づいたのは、椅子へ座ったまま眠っていたベリアリアだった。


「……ジン?」


掠れた声。


彼女は弾かれたように顔を上げる。


少年の瞼が、ゆっくり震えていた。


長い睫毛が揺れる。


そして。


薄く、瞳が開く。


「……ぁ」


焦点が合わない。


ぼんやりと天井を見上げている。


熱に浮かされたような虚ろな視線。


まるで、自分がどこにいるのかすら理解できていないみたいだった。


「ジン!」


ベリアリアが思わず身を乗り出す。


その声に反応するように、ジンの瞳がゆっくり動いた。


そして。


ベリアリアを見た瞬間。


びくっ、と身体が震えた。


「――っ!」


息を呑む音。


それは安心ではなかった。


明確な、“恐怖”だった。


瞳孔が開く。


呼吸が浅くなる。


右手が無意識にシーツを掴んだ。


「や……」


掠れた声。


「こな……いで……」


ベリアリアの顔から血の気が引いた。


まるで胸を刺されたみたいだった。


「ジン……違うの……私は……」


声が震える。


だがジンは聞いていなかった。


いや、聞けていなかった。


脳裏へ蘇っているのだ。


斧。


血。


悲鳴。


押さえつけていた手。


泣いていた皆の顔。


そして、自分の腕が切り落とされる感触。


「ぁ……っ」


呼吸が乱れる。


視線が震えながら、自分の左肩へ向いた。


包帯。


その先には、何も無い。


一瞬。


時間が止まった。


「…………」


ジンの表情から、感情が抜け落ちる。


虚ろな瞳。


現実を理解した瞬間、人間が壊れる直前みたいな顔だった。


次の瞬間。


「ぃ――」


声にならない音。


そして。


「いやぁぁぁぁぁぁぁぁぁッ!!!」


絶叫。


隔離室へ響き渡る悲鳴。


ジンは反射的に後退ろうとして、ベッドから転げ落ちた。


「ジン!!」


ベリアリアが駆け寄る。


だが。


「触るなッ!!」


怯え切った叫び。


ジンは壁際まで逃げるように身体を引きずった。


右腕一本で。


失った左肩を庇いながら。


「来るな……!」


涙で顔がぐしゃぐしゃだった。


「来ないでぇ……!!」


完全に怯えていた。


目の前にいるのは、敵兵ではない。


ずっと自分を守ってくれていたはずの人。


一緒に食卓を囲んだ人。


眠れない夜、背中を撫でてくれた人。


それなのに。


今のジンにとって、ベリアリア達は“自分の腕を奪った存在”になってしまっていた。


「ジン……」


ベリアリアの瞳から涙が零れる。


だが近づけない。


近づけば近づくほど、ジンの恐怖が強くなるから。


その時。


扉の外で物音がした。


アリアだった。


悲鳴を聞いて駆けつけたのだ。


「ジンくん!?」


扉を開けた瞬間。


壁際で震えている少年と目が合う。


そして。


ジンの顔が、さらに恐怖で歪んだ。


「ひっ……!」


その反応に。


アリアの心が、音を立てて壊れた。


アリアの呼吸が止まった。


水色の瞳が、大きく揺れる。


「……ぁ」


声が出ない。


壁際へ追い詰められたジンは、小動物みたいに身体を縮こませていた。


右腕だけで自分の身体を抱き締めるようにして。


左肩の包帯を庇うように震えている。


そして。


その瞳は。


完全に怯えていた。


「ジンくん……」


一歩、踏み出す。


その瞬間。


「くるなぁッ!!」


悲鳴。


ジンが反射的に身体を引いた。


壁へ背中を打ちつけるほど強く。


「やだ……!」


呼吸が壊れている。


涙と汗で顔がぐしゃぐしゃだった。


「切らないで……!」


アリアの足が止まる。


まるで胸を槍で貫かれたみたいだった。


昨夜。


確かに自分は、ジンを押さえつけていた。


泣きながら。


謝りながら。


それでも。


彼が逃げないように。


動けないように。


「……っ」


喉が潰れる。


何か言わなきゃいけないのに、言葉が出てこない。


ベリアリアも動けなかった。


ただ泣きながら、ジンを見ている。


セレナだけが冷静さを保とうとしていた。


「アリアさん」


低い声。


「今は刺激しないでください」


だがアリアは聞いていなかった。


視線が、ジンから離せない。


少年はまだ震えている。


右手で必死に左肩を隠している。


もう無い腕を。


まるで、見られたくないみたいに。


「ぁ……ぁ……」


呼吸音が細い。


過呼吸寸前だった。


そして。


ジンの視線が、ゆっくりアリアの腰元へ向く。


そこにあったのは。


昨夜、処置室へ駆け込んだ時に付着したままの、乾いた血痕だった。


びくっ、とジンの身体が跳ねる。


「やだ……」


瞳孔が震える。


「やだやだやだ……!!」


完全に記憶が繋がってしまった。


自分の腕が斧で断ち切られる感触。


骨が砕ける音。


皆の泣き声。


そして。


押さえつけていた腕。


「ぅぁ……ッ」


吐き気が込み上げた。


ジンはその場で胃液を吐き出す。


「ジン!!」


ベリアリアが思わず駆け寄ろうとする。


だが。


「さわるなぁぁッ!!」


絶叫。


その瞬間。


ベリアリアの足が止まった。


ジンは壁際で、壊れたみたいに震えていた。


「こわい……」


掠れた声。


「みんな……こわい……」


その言葉が。


隔離室にいた全員の心を、完全に砕いた。


アリアがその場へ崩れ落ちる。


「違うの……」


涙が止まらない。


「違わない……よね……」


自分で言いながら、自分で壊れていく。


だって実際にやったのだ。


怖がられて当然だった。


家族だと思っていた少年を。


皆で押さえつけて。


泣きながら腕を切り落としたのだから。


ジンは壁際で膝を抱えたまま、壊れたみたいに同じ言葉を繰り返していた。


「こわい……」


「やだ……」


「いやだぁ……」


雪は今日も降り続いている。


静かに。


まるで、第七砦そのものを冷たい白へ閉じ込めるみたいに。

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