血濡れの欠けた少年
扉が閉まった後もしばらく、誰も動けなかった。
処置室に残っているのは、血の臭いと、ジンの荒い呼吸だけ。
「ぁ……っ、ぁ……」
細い喉から漏れる掠れ声。
ジンは処置台の上で震えていた。
左肩から先が――無い。
そこへ視線が向いた瞬間、身体がびくりと痙攣する。
「や……だ……」
現実を認識しかける度、呼吸が乱れる。
「僕の……腕……」
涙が止まらない。
拘束具は既に外されていた。
だが、もう暴れる力すら残っていなかった。
「ジンくん!!」
最初に我に返ったのはアリアだった。
泣きながら処置台へ駆け寄る。
「ごめん……!」
「ごめんねぇ……!!」
血塗れの少年へ抱きつこうとして、セレナが叫ぶ。
「アリアさん下がってください!!」
医療班としての声だった。
震えていても、止まれない。
「止血が先です!」
ベリアリアもようやく動き出す。
「輸血速度上げて!」
「圧迫固定急いで!!」
泣き腫らした顔のまま、必死に処置へ入る。
もう遅いかもしれない。
そう思いながらも。
それでも助けたかった。
「ジン!」
ルシャが処置台の横へ膝をつく。
斧は既に床へ転がっていた。
血で汚れたまま。
「……ッ」
ジンの身体が震える。
ルシャを見た瞬間、反射的に怯えたのだ。
その反応に、ルシャの顔が絶望で歪む。
「ちが……」
声が掠れる。
「私は……」
言葉が続かない。
さっき、自分がその腕を切り落とした。
その事実だけが重く残っている。
「やだ……」
ジンが震える声で呟く。
「来ないで……」
ルシャの息が止まった。
その言葉は、刃より鋭かった。
アリアが泣き崩れる。
ミーナも顔を覆って嗚咽していた。
「こんなのいやだよぉ……」
小さな身体を震わせながら泣く。
フィリスは壁際で立ち尽くしていた。
記録係として、戦死者も虐殺も見てきた。
だが今、目の前で起きているのは“戦争”ではなかった。
家族同士の破壊だった。
「縫合開始します!」
セレナの声。
羊獣人の少女は涙を流しながら、必死に医療器具を動かしている。
「魔力循環が不安定です!」
「ベリアリアさん!」
「分かってる……!」
ベリアリアの癒術光が震える。
普段なら温かく優しい光。
だが今は不安定で、今にも崩れそうだった。
ジンは処置台の上で、小さく嗚咽を漏らしていた。
「なんで……」
何度も。
何度も。
同じ言葉を繰り返す。
「なんで皆……」
その問いに、答えられる者は誰もいない。
ルシャは拳を握り締めたまま俯いている。
爪が掌へ食い込む。
血が滲むほど強く。
それでも、足りない。
自分を殴り殺したかった。
「……ごめんな」
ようやく出た声。
掠れていた。
「守れなかった……」
ジンは答えない。
涙を流しながら、ただ震えている。
その姿は、戦場でどんな敵よりも、皆の心を壊していた。
やがて。
ジンの呼吸が、急に浅くなる。
「……ぁ……」
焦点の合わない瞳が天井を彷徨った。
セレナの顔色が変わる。
「まずい……血圧低下してます!」
「輸血急いで!」
ベリアリアが叫ぶ。
だが、ジンの身体からは急速に力が抜け始めていた。
「ジンくん!?」
アリアが顔を上げる。
返事は無い。
震えていた指先が、ゆっくり動かなくなっていく。
「ジン!!」
ルシャが思わず身を乗り出した。
その瞬間。
ジンの瞳から、すっと光が消えた。
「あ……」
力なく開いていた口から、小さな息が漏れる。
そして。
ぷつり、と糸が切れたみたいに、身体が完全に沈んだ。
「……気絶しました!」
セレナが脈を確認する。
「まだ脈はあります!」
「でもかなり危険です!」
処置室が再び慌ただしくなる。
ベリアリアが必死に癒術を流し込み、セレナが止血と縫合を続ける。
アリアは処置台へ縋り付きながら泣いていた。
「起きてよ……」
震える声。
「お願いだから……」
ミーナも嗚咽を漏らしながら、冷たくなり始めた右手を握り締めている。
フィリスは壁際で、その光景を焼き付けるように見つめていた。
この夜を、自分は一生忘れられない。
そう理解してしまったから。
雪はまだ降り続いていた。
静かに。
どこまでも静かに。
まるで、この夜そのものを白く埋め尽くそうとするみたいに。




