切断完了
ルシャの呼吸は、もう限界寸前だった。
涙で視界が滲む。
腕が震える。
それでも。
止まれない。
止められない。
「ぁ……ぁ……」
処置台の上で、ジンが怯えた目を向けている。
涙と汗と血で顔はぐしゃぐしゃだった。
「やだ……」
掠れた声。
「やめ……」
その言葉を聞いた瞬間、ルシャは歯を食いしばった。
そして――。
「ッッッッ!!」
渾身の力で斧を振り下ろす。
ガツンッ!!
鈍い衝撃。
続いて。
ブチッ――
嫌な音が、処置室へ響いた。
一瞬。
時間が止まる。
そして次の瞬間。
「ぁ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛ぁぁぁぁぁぁぁぁッ!!!!」
ジンの絶叫が響き渡った。
拘束具が激しく軋む。
身体が大きく跳ねる。
切断された左腕が、処置台の横へ重く落ちた。
血。
赤。
真っ白な床を、一瞬で染めていく。
「ジンくん!!」
アリアが泣き叫ぶ。
ベリアリアは完全に崩れ落ちていた。
ミーナは嗚咽を漏らしながらジンの右手へしがみついている。
セレナは震える手で止血処置を続けていた。
誰もが壊れかけていた。
その中で。
女王アストレアだけは静かだった。
彼女はゆっくりと切断された左腕へ近づく。
床へ落ちたそれを、蒼い瞳で見下ろす。
左腕断面からは、微かに紫色の魔力光が漏れていた。
空気が震える。
高濃度魔力反応。
側近達の表情が変わる。
女王は静かに口を開いた。
「……上出来である」
満足げな声だった。
まるで長年求めていた成果物を確認したように。
その言葉を聞いた瞬間。
アリアの顔が絶望で歪む。
「……っ」
誰も何も言えない。
すると女王は、ゆっくりと振り返った。
蒼い瞳が、処置室に集められた聖騎士団全員を見渡す。
泣いている者。
震えている者。
顔を背けている者。
皆、精神が壊れかけていた。
だが。
アストレアの声だけは、どこまでも澄んでいた。
「見よ」
静かな声。
しかし、その一言だけで空気が張り詰める。
「これこそが、聖王国が生き残るための力だ」
誰も動けない。
女王は続ける。
「北方帝国は百万を超える兵を有する」
「対して我らは疲弊し、資源も兵数も尽きかけている」
白銀の髪が揺れる。
「このままでは、いずれ国は滅ぶ」
「民は殺され、街は焼かれ、歴史は終わる」
その声には、不思議な説得力があった。
王として。
何万人もの命を背負う者の声音。
「だが――」
女王の視線が、切断された左腕へ落ちる。
「この力があれば、戦争は終わる」
静寂。
「帝国を滅ぼせる」
「聖王国は勝利できる」
その言葉に、若い騎士の何人かが顔を歪めた。
分かってしまったからだ。
ジン一人の犠牲で、何万もの命が救われる。
その理屈自体は、確かに成立してしまっていることを。
女王は高らかに告げる。
「覚えておけ」
「今宵、お前達は“勝利の礎”を見届けたのだ」
その瞬間。
ルシャの拳が震えた。
アリアは涙を流しながら首を振る。
ベリアリアは嗚咽を漏らしていた。
誰も、その言葉を受け入れられない。
だが。
誰も否定できなかった。
否定するだけの“答え”を、持っていなかった。
その中で。
女王だけが静かに微笑む。
そして。
もう泣き叫ぶジンには興味が無いように、一度だけ視線を向けた。
処置台の上。
血塗れになりながら、呼吸を乱し、涙を流している少年。
その姿を一瞥した後。
女王は静かに背を向ける。
「炉心部へ運べ」
側近達が切断された左腕を慎重に回収する。
まるで貴重な宝石でも扱うように。
ジン本人には、もう誰も視線を向けない。
「陛下」
側近の一人が頭を下げる。
女王アストレア・グランデールは、淡々と歩き出した。
白銀の髪が揺れる。
冷たい靴音だけが響く。
カツ――
カツ――
そのまま側近達を連れ、医務室の奥へ消えていく。
扉が閉まった。
重い音。
そして残されたのは――。
血塗れの処置室。
泣き崩れる聖騎士達。
そして。
左腕を失い、嗚咽混じりに震え続ける黒髪の少年だけだった。




