絶叫
処置室は、もはや地獄だった。
ジンの絶叫。
泣き崩れる騎士達。
拘束具の軋む音。
そして、床へ滴り続ける血。
「ぁ……っ、ぁ……」
ジンの呼吸が急激に浅くなっていく。
顔色が白い。
異常なほど白い。
「……まずい」
リオーネが呟いた。
床へ流れる血液量が多すぎる。
ルシャの顔色も変わる。
「おい……」
斧を握る手が止まった。
ジンの身体から力が抜け始めている。
瞳の焦点も揺らいでいた。
「ジン!」
アリアが叫ぶ。
「しっかりして!!」
だが返事は弱い。
「……ぁ……り、あ……」
掠れた声。
指先すら震えている。
ベリアリアが血塗れの手で傷口を押さえる。
「止まらない……!」
「出血量が多すぎる……!」
その瞬間。
女王アストレアが初めて強く声を発した。
「殺すな!」
処置室の空気が凍る。
蒼い瞳が鋭く細められる。
「生かしたまま切除しなければ意味が無い!」
冷徹な声だった。
まるで壊れかけた兵器の修復を急がせるような声音。
「輸血を行え!」
側近達が即座に動く。
医療器具。
血液保存袋。
処置室がさらに慌ただしくなる。
その時だった。
バンッ!!
勢いよく医務室の扉が開いた。
「ベリアリアさん、輸血用の――」
入ってきた小柄な影が、言葉を失う。
ミーナだった。
白い鼠耳が硬直する。
その後ろにはセレナ。
羊獣人の少女も、処置室の光景を見た瞬間、完全に凍りついた。
「……え」
床の血。
拘束されたジン。
泣いているアリア。
血塗れのルシャ。
そして――。
左腕へ食い込んだままの巨大な斧。
数秒。
誰も動かなかった。
やがて。
ミーナの手から輸血箱が落ちた。
ガシャン――ッ!!
金属音が響く。
「な……に……これ……」
震える声。
瞳が揺れている。
セレナも顔面蒼白だった。
「……なんで」
医療班として数々の負傷兵を見てきた。
だが。
これは違う。
治療じゃない。
「なんでジンさんが拘束されてるんですか……?」
その問いに、誰も答えられない。
ミーナの視線がゆっくり動く。
そして。
血塗れのジンと目が合った。
「……ミー、ナ……さん……」
助けを求める声だった。
それを聞いた瞬間。
ミーナの顔から血の気が消える。
「え……?」
震える足で一歩下がる。
「な、なんで……?」
「なんで皆、ジンくんを……」
理解した。
理解してしまった。
ミーナの瞳に涙が浮かぶ。
「やだ……」
小さな声。
「やだよぉ……」
処置室の空気がさらに壊れていく。
女王だけが静かだった。
「医療班」
冷たい声。
「輸血を開始しろ」
セレナの肩が震える。
ミーナは涙を流したまま動けない。
「早くしろ」
再度の命令。
絶対命令。
セレナは唇を噛み締めた。
医療班として、人を助けるためにここへ来た。
なのに今、自分達がしているのは――。
「……ッ」
それでも。
逆らえない。
戦時下の王命は絶対だった。
セレナは震える手で輸血器具を拾い上げる。
その横でミーナが、泣きながらジンへ近づいていく。
「ジンくん……」
小さな手が、震える少年の右手へ触れた。
「ごめんねぇ……」
嗚咽混じりの声。
「ごめんねぇ……っ」
ジンは涙を流したまま、何も言えなかった。
もう、誰を信じればいいのか分からなくなっていたから。
セレナが輸血管を繋いでいる間も、処置室の空気は張り詰めたままだった。
ジンの呼吸は浅い。
涙で濡れた瞳は虚ろに揺れている。
右手には、ミーナが必死にしがみついていた。
「大丈夫だからぁ……」
震える声。
「死なないからぁ……」
だが、その言葉に何の根拠も無いことを、ミーナ自身が一番分かっていた。
ルシャは処置台の横で立ち尽くしていた。
斧を握ったまま。
血で濡れた刃先が、ぽたり、と赤を滴らせる。
「……続行しろ」
女王アストレアの声。
冷たい。
まるで感情が存在しない。
ルシャの肩が震える。
「もう……十分だろ……」
掠れた声だった。
「これ以上やったら……」
「対象は生存している」
即答。
「ならば続行可能だ」
その言葉に、処置室の何人かが顔を歪めた。
人間へ向ける言葉じゃない。
まるで“素材”に対する確認だった。
「……ッ」
ルシャは歯を食いしばる。
そして。
ゆっくりと、再び斧を構えた。
「やだ……」
アリアが震える。
「やだよ……もう……」
ベリアリアは顔を覆って泣き続けていた。
ジンだけが、その光景を見ていた。
涙で滲んだ視界の中。
自分を囲む“家族”達。
皆、泣いている。
苦しそうな顔をしている。
なのに。
誰も止めない。
「……なんで……」
声が震える。
「なんで止めてくれないんですか……」
誰も答えない。
ルシャの瞳から、ぽたり、と涙が落ちた。
そして。
「――ッ!!」
斧が再び振り下ろされる。
ガツンッ!!
衝撃。
骨へ当たる鈍い音。
「ぁ゛あああああああッッ!!!」
ジンの絶叫が響いた。
身体が大きく反り返る。
拘束具が悲鳴を上げる。
「痛い!!」
涙を撒き散らしながら叫ぶ。
「やめてぇぇぇぇッ!!!」
処置台が揺れる。
セレナが輸血管を必死に押さえる。
ミーナは泣きながら耳を塞いだ。
「やだよぉ……!」
だが終わらない。
骨はまだ完全に断てていなかった。
異常硬化した左腕が、まだ繋がっている。
ルシャの呼吸が乱れる。
「なんで切れねぇんだよ……!」
半ば悲鳴みたいな声だった。
その時。
ジンの視線が、真っ直ぐルシャへ向く。
恐怖に染まった目。
「ルシャ……さん……」
子供みたいな声だった。
「ぼく……なにか…悪い…ことし……?」
その瞬間。
ルシャの心が、完全に壊れかけた。
斧を持つ手が震える。
目の前にいるのは敵じゃない。
自分が守ると決めた弟分だった。
それでも。
女王の声が響く。
「止めるな」
冷たい声。
「切断を完了させろ」
その命令と同時に。
ルシャは、嗚咽混じりの声を漏らしながら、もう一度斧を振り上げた。




